top of page

2481. 内側から自己を開く道


今朝方、新たなものを創造していこうという明確な意思と共に目覚めた。今朝は六時半を少し過ぎた時間に目を覚まし、早朝の習慣である身体運動を行ってから、自らの身体を一日の活動の開始に向けてゆっくりと調整をしていった。

身体がいかに大切かを実感する日々。身体は、日々の活動を一歩一歩前に進めていくための土台としてあるだけではなく、日々の充実感と幸福感の基礎は身体の状態に強く依存している。

昨日はもしかしたら少々身体に負荷をかけていたかもしれないと反省をする。特に脳に対する負荷が大きかったように思う。

情報が脳にそれ以上入らないというような拒絶状態が起きるまで脳を酷使してはならないように思う。その手前で情報を取り入れることを中断する必要がある。

昨日は論文執筆に際して、先行研究に関するいくつかの論文を読んでいた。論文の執筆や協働プロジェクト関連の資料を作成することに加え、日記や作曲などの創造活動に従事した後に他者が執筆した論文を読むことは脳に対して負担になっていたようだ。

仮に他者の執筆した論文や書籍を読む場合には、少なくとも自分の脳が喜ぶようなものを適切に選んでいく必要があるだろう。自分の肥やしになるものは、脳が自発的に躍動し始める類のものであり、決して脳が拒絶反応を示す類のものではないはずである。

今日も少しばかり論文を読んでいくが、その際には、情報を得ようとするような態度であってはならないと思う。少なくとも強固な知識体系を作っていくことを意識するべきであり、理想的には叡智の獲得と創出に向けた自覚が必要である。

外側のものを自己の内側に溜め込み、それを用いて外側の現象を外側から語ることほどつまらないものはない。また、そうした試みには意義も価値もないのではないかと思う。

外側のものを取り入れることを否定しているわけではない。むしろ、外側のものを取り入れることは自己の成熟過程において不可欠である。なぜなら、私たちは内発的かつ外発的な力の双方によって成熟を遂げていくからである。

ただし、成熟の根幹には内側から外側に向かって開いていくという本質があるがゆえに、外側のものを仮に取り入れたとしても、それを内側から開いていく力の阻害にしてはならない。往々にして、現代人の成長力というものが鈍化しているのは、外側からのものを過剰に取り入れすぎていることに起因しているように思える。

外側からのものを懸命になって取り入れれば取り入れるほど、内発的な発達力が弱体化していく。現代に生きる私たちに求められているのは、内側から自らを開いていく力なのだと思う。

この点は自分も肝に銘じようと思う。とにかく内側から外側に向けて形を生み出していくこと。内発的な造形力を高めていくこと。それを日々の生活の中で絶えず意識する。

自己の創造行為に何とも言えない喜びや無尽蔵な活動力が湧き上がってくるというのは、おそらく創造行為というものがこの世界への真の参画を表しているからではないかと思う。言い換えると、創造行為に従事している時の自己は、深く自らと繋がっているのみならず、深くこの世界と繋がっているのだ。

外側からは必要最低限のものだけを取り入れればいい。しかも、それは自分にとって本当に必要なものである必要がある。

外側から自己に流入するものを吟味した形で取り入れた上で、あとは徹底的に創造行為に従事していく。それが内側から自己を開いていく道だ。フローニンゲン:2018/4/28(土)07:35

過去の曲の音源の保存先はこちらより(Youtube)

過去の曲の楽譜と音源の保存先はこちらより(MuseScore)

bottom of page