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2274. 夢見の意識下の心象イメージと自己超越体験について


今日は六時半に起床した。起床してみると、昨日よりも少し暗く、辺りは若干侘しさを醸し出していた。

それはおそらく、フローニンゲンの上空を覆う薄い雲のせいかもしれない。今日からまた気温が下がるようだ。

本日の最高気温は3度であり、最低気温はマイナス6度である。日中は一定して2度ぐらいの気温のようだが、夜からは冷え込み、明け方にはマイナスの世界となる。

今日はインターン先のオフィスに行く日なので暖かい格好をしていこうと思う。天気予報を見ると、日中は雨が降らなさそうなのだが、帰り際の降水確率が少しだけ上がっていたため、今日は折り畳み傘を持参してオフィスに向かおうと思う。

今朝方、目を覚ます瞬間に、脳内で文献の要約のようなものが現れた。私は目を閉じながら、その要約を眺めていた。

ちょうど意識がサトルからグロスに移行する過程だったのだろう。そうした移行過程においては、時々自覚的にこうした心象イメージを捉えることができる。

振り返ってみると、こうした心象イメージを自覚的に眺めることが起こり始めたのは学部時代の頃だったように思う。今朝方眺めていた心象イメージは、おそらくここ数日間読んだ文献に関するものだろう。

サトルからグロスの意識に移行する際に立ち現れる心象イメージのほとんどは書籍や論文などの活字情報である。時には書籍を開いているような形で、一ページ一ページを夢見の意識の中でめくることができる。

今朝方眺めていたのは、発達科学やシステム科学に関する情報だったと記憶している。この数日間でそれらの分野に関する文献を読み進めていたため、夢の中でそれらの情報の整理が行われていたのだろう。

まさに、文献の要約リストを眺めていた時に、「情報というのはこのようにして脳内に整理され、そして格納されるのだ」という気づきを得た。それらの情報は脳内を流れていくのではなく、夢見の意識の中で、自覚的に読みたい箇所と読む速度を調節することができた。

今朝方はそのような現象に見舞われた。それに付随して思い出したのは、昨夜の就寝時の体験である。

昨夜もまた、自己を超え出ていくあの感覚に見舞われた。これは過去に何度か経験しているものであり、とりわけ欧州での生活を始めてから定期的に起こるようになった現象である。

自己が自己を超えていき、一人の固有な人間として自己がこの世界を生きていることに対して呆気にとられ、微笑が漏れる体験である。昨夜のそれはこれまでとは異なる点があった。

それは、自己が自己を超えて行った後、自己がこの世界に仕えているという感覚が明確になったことである。「世界に仕えながら生きる」というのは、ここ最近私の中で主題として立ち現れていたものであり、それがより明確な体験として実感させられたのが昨夜の出来事である。

自己がこの世界を生きていることの奇跡。そして、そうした固有の自己が世界からの促しに応じる形で、この世界に積極的に参与する使命を与えられているということの明白性。

この体験を私は超越的なまなざしで観察しており、その体験は、時間としてはいつも以上に長かった。もしかすると、今後この体験を積み重ねていくごとに、体験時間が増し、より明確にその体験が示唆することを通じてこの世界を生きていけるようになるのかもしれない。

昨夜から今朝方にかけて非常に多くの示唆を得たように思う。フローニンゲン:2018/3/16(金)07:16 

No.874: Merciful Days

Merciful days have been passing by in my daily life.

I suppose that today will be also saturated with both solace and celebration. Groningen, 08:17, Wednesday, 3/21/2018

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