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2258. 攻撃性と創造性


昨夜の睡眠時間は申し分なかったのだが、今朝方に見た夢は少々暴力的な内容だった。夢の中の身体のみならず、夢の外の身体にも攻撃的なエネルギーが強く宿っていた。

今朝の正式な目覚めは、そうした攻撃的なエネルギーを発散した直後であったことを改めて思い出す。私はこうした夢を時々見るのだが、自分の攻撃性の根源が何であるかはまだ掴めていない。

自分でも少しずつ気づき始めているが、こうした攻撃的なエネルギーというのは自己を突き動かすための重要な役割を果たしている。つまり、それは単純に攻撃的な害のあるものなのではなく、自分の活動を支える非常に重要なものなのだ。

ただし、注意をしなければならないのは、こうした攻撃性に無自覚なまま日々を過ごすことであり、このような攻撃性に飲み込まれてしまうことは避けなければならない。そうしたことからも、自分の内側にある攻撃性の拠り所のようなものは早めに特定しておいた方が良さそうだ。

だが、以前からこうした問題意識はあるものの、一向に攻撃性の根源が何なのかはわからない。この点についてはさらなる省察が必要であり、最適な方法は、こうした攻撃性が現れた瞬間瞬間に考えを深めていくことだろう。

最も適したタイミングは夢でそれが現れた時だと思うが、今日のように夢の内容そのものはすぐに滑り落ちてしまう可能性もあることに注意が必要だろう。また、一風変わった観点として、そもそもその攻撃性は自らの根源を明るみにされたいのか、という攻撃性の立場に立つことも大事かもしれない。

繰り返しになるが、自分の中に潜む攻撃性というのは自己を突き動かす根源的なエネルギーになっており、その根源を明るみにすることによって、攻撃性が持つ本来の力を発揮できなくなってしまう恐れもあるかもしれない。

攻撃性の根源が明るみになることによって、そのエネルギーがさらに活性化されるのか、それともエネルギーが減退してしまうのかはわからない。できれば、後者に陥ることを避け、真にそのエネルギーを解放させることにつながるように、攻撃性の根源の探求を続けていこうと思う。

おそらくこれは、創造エネルギーと呼ばれるものと何か密接に関わっているのではないかという予感がある。無から有を生み出す際の爆発というのは、こうした攻撃性の背後にあるエネルギーの発散現象と似ている。

また、有と有を組み合わせる際にも、時としてこうした力強いエネルギーが必要なこともあるように思える。自分の内に秘められた攻撃性というのは、ひょっとすると創造性と置き換えていいものなのかもしれない。

もちろん、すぐさまそうした置き換えをしていいものではないと思うが、そうした側面は多分にあると言えるだろう。今は「攻撃性」と名の付くものを、真に「創造性」と呼ぶためにも、自分の内側に潜んでいる攻撃性についてはもう少し深く理解する必要があることは確かだ。

書斎の窓から見える空は、うっすらとした雲に覆われている。それは雨雲ではないのだが、天気予報によるとこれから午後にかけて雨が降るらしい。

開けた窓から、数羽の小鳥が鳴く声が聞こえて来る。今日も様々な気づきと発見に満ちた一日になりそうだ。フローニンゲン:2018/3/13(火)07:55   

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