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2229. 論文の読み方についての再考


論文を読み進めることに関して、先ほど日記を書き留めていた。やはりすでにわかっているようなことでもあえて自分の言葉にしてみることによって、いろいろと新たな発見があるものである。

また、書くという行為自身とその表現物が刺激となり、さらに新たな考えが生み出されていく。自らのライフワークの性質上、大量の学術論文を日々読み進めていくことは不可欠であり、それは自分の中でも大切にしていることである。

もはや私は、小さな自我に囚われる形で知識体系を構築していかない。この世界からの要求と促しに従う形で知識体系を構築し、それをこの社会に還元していく。そのような思いが日増しに強くなる。

大量な論文を読んでいく際に、自分の関心事項やそれを読む目的に応じて、自分が論文の読み方を変えていることに気づく。基本的には、論文の概要と結論は必ず最初に読み、そこから分岐点があるようだ。

関心が高く、その論文を読む必要性が高い場合には、そこから調査方法に関する部分を読んでいく。著者の課題意識、つまり研究仮説に私が関心を持った場合、それをどのような手段でアプローチして行ったのかを掴むために、調査方法のセクションを読んでいく。

このセクションを読むことによって、自分の知らない非常に面白い方法で仮説の検証を行っている論文に出会うことがある。そうした出会いによって、記載されている研究手法について関心を持ち、それについてさらに調べ、自分の研究に活用してみるということが起こることがある。

調査方法のセクションを読んだ後に、先行研究に関するセクションを読むというのが、私が採用している論文の読み方だろうか。もちろん、自分の関心度合いと論文を読む要求事項に応じて、調査方法について読まないこともある。

だが、概要と結論部分だけは比較的丁寧に読みことを心掛けている。今日もこのような形でいくつかの論文を読み進めていく。

今日から改めて意識をしたいのは、論文を自分の言葉でまとめることである。思い返してみると、私がマサチューセッツ州のレクティカに在籍していた頃、レクティカの設立者のセオ・ドーソン博士と文献レビューを執筆する機会があり、その時に論文に対する要約文を自分の言葉で作っていくことの大切さを教えられた。

もうかれこれ四年ほど前のことになるが、その時のことをふと思い出した。ここ最近は、日々読んだ一つ一つの論文に対して逐一要約文を書き残すことをしていなかったように思う。

このあたりは少しばかり改める必要があるだろう。ここでまた一つ新たな習慣を作りたいと思う。

読んだ論文の一つ一つに対して、特に概要と結論部分を中心に要約文を短くていいので執筆していく。その際には、自分の考えを必ず何かしら添えることを忘れないようにする。

これを毎日少しずつ英語で書き残していこうと思う。誰に見せるわけでもないので、とにかく自分の納得のいく分量と形で愚直にそれを継続させていく。フローニンゲン:2018/3/6(火)06:56   

No.848: Blissful Sunbathing

As the season approaches spring, a different sense of happiness in winter germinates within me.

A day in which I can feel that I am doing blissful sunbathing also comes today. Groningen, 10:48, Sunday, 3/11/2018

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