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2103. 神無月と神々が集う場所


三月は「弥生」とも呼ばれることを、先ほどふと思い出した。そこで旧暦の名称について少しばかり調べてみた。

私が生まれた誕生月は10月であり、それは「神無月」と呼ばれる。神なき月。

その由来についても調べてみた。どうやら日本古来、この月には日本津々浦々の神様が出雲大社に集まり、出雲以外の地域に神様がいなくなってしまうのでそのような名称になったらしい。

一方で、出雲には数多くの神様が集まることから、出雲地域では10月を「神在月」と呼ぶとのことである。神無月の由来に関する知識は些細なものかもしれないが、その由来そのものに対して思いを巡らせてみると、少しばかり自分の中にざわつくものがあることに気づく。

それが何かは今はわからない。神々が集う場所。

そうした場所はおそらく日本の出雲のみならず、その他にも世界中に存在しているような気がしてならない。そして私は、そうした場所に導かれながら世界各地を遍歴しているように思えてくる。

この巡礼の旅はまだ当分終わりそうにない。

欧州での生活が始まって以降、私は特に生の向こう側の世界について想いを馳せることが多くなったように思う。それは彼岸への憧れからもたらされるというよりもむしろ、自らがいつか辿り着く場所に対する自然な関心からもたらされると言っていいかもしれない。

彼岸はきっと安らかな場所なのだろうという思いが湧き上がる。昨夜通過した、夢を見ない深い眠りの意識の状態と同じように、そこは一切が不在かつ有在の静寂な場所なのだろうと思わずにはいられない。

今日は、研究で用いる「トレンド除去変動解析(DFA)」に関する論文をいくつか読んでいく。昨夜も二本ほど論文を読んでいた。

この手法に関する論文はどれも非常に専門的であるから、一度や二度読んだところでは多くを理解することはできない。そもそもそれらの論文を今回読む目的は、DFAの背後にある数学的な処理手続についての理解を深めることにあるため、その目的に合致した箇所を中心に読み進めることが賢明だろう。

そうでなければ、DFAを取り巻く諸々の周辺的な論点の量に圧倒されてしまい、一向に理解が進んでいかないだろう。今日は、当初の目的に合致する箇所のみを取り上げ、そこを丹念に読んでいくことを意識しようと思う。

こうした科学論文を読むことのみならず、今日はオットー・ランクの“Art and Artist: Creative Urge and Personality Development (1932)”をいよいよ読み始めたい。目次に印をつけた箇所から読み進める。

昨夜もまた、いつか哲学的な探究をより本格的に行いたいという考えが湧いていた。独学の形で、自分の関心分野に関する哲学領域を探究することに合わせて、いつか哲学を学術機関に所属する形で体系的に探究していきたいという考えがある。

もしかすると、三つ目や四つ目の博士号として哲学探究を進めているかもしれない。哲学探究は、それほどまでに自分を惹きつける何かがあるようだ。フローニンゲン:2018/3/1(木)06:35

No.822: Our Intrepid Souls

I believe that our souls are fearless, audacious, and adventurous.

All of us have them, or we are the souls. Groningen, 08:31, Saturday, 3/3/2018

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