top of page

1815. 輝く三日月と創作ノート


あの美しい夕焼けが見えた方向を眺めると、もうそこには暗闇しかない。あの夕焼けの輝きはすでに視界から消え去っているが、心の中にはまだあの景色が色濃く存在している。

それだけで十分ではないだろうか。美しい夕焼けが去った後の闇夜の空は、ひどく寂しいものように思えた。

しかし、書斎の窓から西の空を仰ぎ見ると、黄色く輝く三日月を見つけた。その輝きは、先ほどの夕焼けに劣らない美しさを持っている。 先ほど私はふと、今からすぐにでも二、三本の論文が執筆できてしまいそうな予感がしていた。それは予感というよりも、内発的なエネルギーと論文の構成に関する概念的素描がそこにあったため、十分に実現可能な確信と言っていいだろう。

もう論文の全体像がそこにあり、それを形にするための内発的エネルギーも自分の内側にあるのだ。ちょうど明後日に、研究アドバイザーを務めてくださっているミヒャエル・ツショル教授に、これから取り組む新たな研究の計画書を送る。

今回の論文は、最初からツショル教授との共同論文として執筆していく予定だ。もちろん、筆頭著者は私が務めることになるが、最初からツショル教授に第二著者になっていただくことを前提に、二人で新たな研究を進めていく。

今回の研究も昨年の研究と同様に、さらなる研究の足がかりになるような広がりのあるものになることがすでに見えてきた。この研究が二、三本の論文として形になることは全く不可能ではなく、むしろそれ以上の数の論文が必要となるかもしれない。

創作に関して、最近不思議なことを思う。それは、創作というのは作り手の意図を超えたところに、「成長力」あるいは「発達力」とでも呼べるような力を持っており、それは作り手の意思を超えたところで作品を自然に育てていくのだ。

今、私は今回の研究が持つそうした内在的な力の存在に気づいている。であるがゆえに、今回の研究はさらに大きく育っていくのではないかという予感があったのだ。

こうした事柄は、作曲実践を通じていても実感することがある。学術論文にせよ、曲にせよ、作品にはこうした内在的な成長力があり、作り手としてできることは、そうした力に抗うことなく、その力が作品をあるべき姿にしていく自然な試みに寄り添っていくことなのだと思う。 学術論文の執筆と作曲実践に関して、私は創作ノートのようなものを残している。この日記も実際のところは、そうした創作ノートのようなものだと言っていい。

しかし、実際にノートに手書きで残しているものは、あたかもデッサンを描くように、論文や曲の全体をさっと掴んでおくためにある。そのようにして掴まれた全体像の細部や大きさそのものは変わりうるが、全体が持つ心臓は変わらない。

論文にせよ曲にせよ、作品そのものの本質が知覚されるたびに、それをノートに走り書きのように書き残している。そうした創作ノートを参照しながら、論文を執筆し、曲を作っていくという方法は今後もあまり変わらないであろう。

むしろ、この創作ノートをより意味のある形にしてための方法をさらに模索している自分がいる。なぜなら、作品としてこの世界に形になろうとしているものは、毎日私の内側に流れ星のように絶えず明滅しているからであr。

闇に包まれた西の空に浮かぶ三日月は、やはりとても美しい。2017/11/22(水)17:57

No.460: Daily Poetical Memoirs I am wondering about composing a diary-like and a poem-like piece of music.

Each of my musical works should be as small and short as possible.

Yet, it should also capture each poetic moment in my reality.

The more I spend my life in Europe, the more I notice that my life is replete with poetic phenomena.

Although this type of music might be called as lyrics, I want to regard it as music of daily poetical memoirs. 17:01, Sunday, 12/3/2017

過去の曲の音源の保存先はこちらより(Youtube)

過去の曲の楽譜と音源の保存先はこちらより(MuseScore)

bottom of page