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1732. 演奏記号と化粧


今朝の目覚めは七時を過ぎており、今日はいつもより遅い時間に一日の仕事を開始させた。もうすっかりと寒くなり、書斎の窓から見える景色は冬の様相を呈し始めている。

紅葉の終わりかけた木々と裸の木々の対照的な姿を眺めることができる。今年の春や夏に、あれだけ青々と生い茂っていた木々の葉がこのような姿になっているのを眺めると、少しばかり感慨深いものがある。

生命力の溢れる青々とした木々と裸の木々、それらは連続的なサイクルを通して、永遠の方向に伸びているような気がしてならない。今目の前に見ている木々は、やがて青々とした葉を茂らす。

そして再び、それらは散り、また次の季節の中で青々とした葉を実らせる。これは驚愕に値することだと思う。

目の前の木々の内側で起こっている現象とそれを促進する目には見えない力の存在に、ただただ驚かされるばかりである。 昨夜も一日の最後に作曲実践を行っていた。その前に数十分ほど、専門書を用いて作曲理論について学んでいたが、一日の最後の時間に活字情報と向き合うことは時に厳しいことがある。

大抵、一日の最後の時間は、もう活字情報が一切入ってこない状況になっている。昨日の日中も、それほどまでに活字を読み書きすることに時間を充てていた。

早々と作曲理論に関する専門書を机の脇に置き、作曲ソフトを立ち上げ、実際に手を動かしながら曲を作る実践に移行した。すると、その日一日がいくら活字情報に満たされたものであったとしても、音符だけが並ぶ音楽言語の世界の中に私は自然と入っていくことができる。

作曲ソフトを立ち上げて、音符だけが並ぶ世界を眺めた時、それは別世界への扉のように思える。自然言語の世界と音楽言語の世界を行き来するような生活を、今の私は毎日送っているようだ。

現在は、前者の世界の方が巨大だが、これから後者の世界がより広大かつ深いものになっていった時、私の認識世界はどのように変容するのだろうか。そのようなことにも関心がある。

昨夜の作曲実践では、またあれこれと新しい概念や技術を試していた。その過程の中で、昨日は演奏記号の中にいくつか興味深いものを見つけた。それらを実際に楽譜上に置いてみて、音を確かめながらその記号の意味を自分なりに掴んでいった。

中でも嬉しい発見は、先日ショパンの楽譜を眺めていた際に、よくわからない演奏記号が楽譜一面に散りばめられており、それがペダル記号だということがわかったことである。

実際にペダル記号を用いてみると、音が伸びていくような感覚があり、実に面白かった。そうした実験を繰り返しながら、演奏記号を曲の中のどこにどれほど用いるか、という塩梅に関する感覚を磨いていかなければならないと思った。

今の私は正直なところ、新しい演奏記号の意味を理解すると、それを多用したくなる衝動に駆られる。そうした衝動を抑えながら、必要な箇所に必要な演奏記号を配置していくための知識と経験が、今後は必要になってくるだろう。

以前、バッハの曲を聴きながら、トリルという興味深い演奏記号の存在を知った。だが、それを自分の曲の中に取り入れようとしてもどうもうまくいかない。

昨日もある種強引にトリルを使ってみようと思ったが、あまりにも不自然だったので、その案を不採用にすることにした。こうした試行錯誤は、実に深い充実感をもたらしてくれ、音楽言語の世界の中に没入することの契機となる。

昨夜の作曲実践の最後に考えていたのは、一切の演奏記号のない素の美の存在についてである。演奏記号をあれこれと適用しながら思っていたのは、それは化粧に該当するということである。

化粧をせずとも素の美を持つ人がおり、その美を実際に顕現させている人がいるように、演奏記号が一切ない曲でも美を顕現させることができるのかもしれない。昨日私が作っていた曲は、残念ながら素の美がそれほどなく、どうしてもたくさんの化粧が必要だった。2017/11/3(金)08:38

No.377: That’s it. This is it. That’s it. This is it.

Love for creation. Joy for creation.

That’s it, and this is it. 09:53, Monday, 11/13/2017

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