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1596. 文章執筆がもたらす精神の治癒と変容


昨日の日記に書いていたように、自分の内側に余白を作りながら日々の活動に取り組むことにより、随分と精神が落ち着くものである。就寝前に不必要な思考が働きすぎないようにするために、就寝前の時間は特に余白を内側に生み出す必要があるように思う。

興味深いことに、余白を作る手段の一つとして文章を書くことが挙げられる。一見すると、文章を書く行為は余白を生み出すことにつながらないのではないかと思うかもしれないが、私の場合はそれが余白を大いに生み出すことにつながる。

文章を書くことが余白を生み出すというのは、一昨日にPCの容量を整理した話とつながるかもしれない。より卑近な例で言えば、部屋の掃除と文章執筆との間には大きな関係があるだろう。

よく文章を書くことによって思考が整理されるということを聞くが、これはかなり的を得ているように思う。ただし、私の場合は、思考が整理されるだけではなく、感情や感覚などの、ありとあらゆる内側の現象があるべきところに落ち着く感覚が伴う。

一方で、文章を書くことが逆に混沌を引き起こすこともあるだろう。つまり、文章を書くことによって、既存の問いに対して新たな問いが立ち、混迷が深まるようなことも起こりうる。

だが、この混沌は既存の課題に対する思考や感覚を一度文章によってまとめ上げ、そこから新たに生み出されたものであるため、当初の不整理感とはまた違った性質を持つ。文章を書くことが素直に内側の現象の整理につながることもあれば、混沌を経て整理につながることもある。

いずれの場合にせよ、文章を書くことは、自分の思考や感覚などをあるべき場所に配置し直し、それらに落ち着きをもたらすことによって、また新たな運動に従事することを可能にするようだ。昨日は、鬱蒼とした天候の影響もあり、それが内側に影響を与え、憂鬱な気分が内側を支配していた。

そうした状況は、内側の流れを淀ませ、思うように活動に従事することを妨げていた。大学の講義から帰ってきた後に、ゆっくりと気がすむまで文章を書くことによって、徐々に内側の淀みが透き通っていき、抑うつ的な気分が徐々に晴れて行ったのを確かに感じていた。

「ライティングセラピー」という実践方法があるように、取り扱う内容や書き方によって、文章は精神的な治癒をもたらす働きもあるようだ。治癒と変容は不可分の関係にあるため、文章が持つ精神の治癒作用については見逃すことができないだろう。

また、記憶に残っている限り、日々の夢について書き留めておくことも、大きな意味を持つシャドーワークであり、気づかないうちに、それは私にとってなくてはならないものになった。

見た夢を書き留めている最中は、全く意識をすることはないのだが、書き終わってみて、やはり精神の治癒と変容への効果を感じることがよくある。精神の治癒と変容が意識の深層的な部分で起こるため、無意識の層で起こる夢を題材にして文章を書くことが、精神の治癒と変容をもたらし得るということは納得ができる。

今日も文章を書きながら、内側に余白を絶えず作る過程の中で本日取り組むべき事柄に従事したいと思う。2017/9/28(木)06:44

No.241: Multilinguistic Conceptual Reality I did not notice that it was already evening.

I think that my mind today continued to be in the reality constructed by Japanese because I had a couple of online meetings with Japanese.

During the break, I went shopping to the nearest supermarket, intentionally changing my linguistic reality by activating English and Dutch in my mind.

It is important for me not to stay in a monolinguistic conceptual reality so as to maintain the flexibility of my mind. 16:11, Friday, 9/29/2017

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