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1546. 科学・哲学・音楽


昨夜は就寝前に、自分は何に集中して仕事を進めていく必要があるのかを考えていた。科学と哲学と音楽の三つの領域が乱雑に交差し合い、今はその渦の中にいるようだ。

それら三つの領域に従事していると、時にその激しい渦に巻き込まれ、自分がどこにいるのかがわからなくなる。そして、自分がどこに向かっているのかもわからなくなってしまうことがある。

科学と哲学と音楽の全ての領域を探究する過程を通じてこの世界に関与することは不可能なのだろうか。どのようにすれば、それら三つの領域を別々の形ではなく、一つの統合的な調和のもとに探究することができるのだろうか。

そのことに昨夜は少々頭を悩ませていた。人間発達や教育を取り巻く問題について、哲学的な観点から主題を特定し、それを音楽の形にしていく。しかし、その際に科学をどのように関与させたらいいのだろうか。

哲学、とりわけ教育哲学や美学、広義には人間発達を取り巻く思想と音楽を関連づけることは比較的容易に思える。人間発達や教育に関する現代社会の課題や問題を曲の中で提示し、それに対する思想的方向性を曲の形で表現していく。

それを具現化させるイメージは既にある。しかし、ここに科学をどのように関与させていけばいいのかが定かではない。

私の中にある科学の立場がぐらつき始める。少々力のない案なのだが、例えば、科学的な枠組みを通じて楽曲を分析することを通じて、美の創出方法を掴み、それを自分の作曲実践に活用するということは十分に考えられる。

楽曲を定量化し、非線形ダイナミクスやダイナミックシステムアプローチなど、私がこれまで探究してきた複雑性科学の手法を用いることによって、定量化されたデータを解析し、美の創出プロセスとメカニズムを掴んでいく。

そこでの発見事項を哲学的主題を持つ作曲実践に適用していく、という道を考えることはできる。しかしこの案は、どうも哲学と音楽との微妙な距離を生み出しているように思える。

自分の中で、二つの領域と科学の領域との間に密着感がないのだ。この問題を解決するにはどうしたらいいだろうか。

もしかすると、とりわけ科学というものを強調する必要はないのかもしれない。楽曲分析をする際の姿勢とアプローチそのものが科学的だとみなすことができなくはない。

確かに、私が日々少しずつ楽曲の分析をする様子を俯瞰的に眺めると、それは科学的なアプローチであり、科学者の発想の枠組みに基づいたものだと述べることができる。だが、なんとか三つの領域を完全な調和の中で探究をしたいという思いが湧き上がる。

こうした思いが湧き上がるのは、やはり今の探究方法がそれらの領域を分断的に扱っているということを示唆している。科学と哲学と音楽を架橋し、一つの調和世界の中で仕事をしていくという試み。その実現に向けて、学ぶ必要のある事柄が沢山ある。

同時にそれらは、単に文献を通じて学んでいくような類いのものだけではなく、それよりもむしろ、自らの手を動かしながら実践を通じ、さらには形を生み出しながら学んでいく類いのものだということを的確に認識する必要がある。

科学と哲学と音楽を分離させることなく、統合的な発想と方法を持って探究できる場所に行き、この試みに全てを捧げるような日々の実現を切に望む。2017/9/15(金)

No.192: Scientific Research and Social Commitments I should be careful not to be entrapped into my inner realm that can separate the interior from the exterior world.

Here, I warn myself of danger in my autistic attitude to the society. One of the foremost reasons for me to engage in scientific research is that it is based on social commitments.

Even my music composition requires a deep interaction with the society. I should engage in both activities on the basis of social commitments. Sunday, 9/17/2017

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