top of page

1520. 残酷なまでの解放と自由の中にくつろぐこと


今朝はとにかく寒い。九月に入ってからまだ間もないというのに、今朝はとても寒い。

足元があまりに冷えるため、暖房を入れるか迷うほどであった。さすがに暖房を入れるにはまだ早いだろうと思ったため、とにかく暖かい格好をすることにした。

激しい雨が書斎の窓ガラスを打つ。今日はあいにく一日中雨のようだ。

明日も雨が降るらしい。昨日、数日間分の食料を買ったため、これから数日間は家から一歩も出ずに自分の仕事に打ち込むことになるだろう。 私たちには様々な欲求があるが、中でも「創造欲求」というのは、私たちが日々の生活の中に充実感や幸福感を見出す上で非常に大切なものであるように思える。しかし、現代社会は、そうした創造欲求を私たちに充足させてくれるようには動いていない。

実際には、その他の欲求に私たちを向かわせるような、巧妙な仕掛けが随所に存在しているのが現代社会の姿だろう。現代人の多くが血眼になって充足させようとしている最たるものが、金銭の獲得と共謀した偽りの自己実現を求める欲求だろう。

現代社会は、実に巧妙な思想的・制度的な枠組みをもってして、私たちにそうした欲求を追いかけるように仕向けてくる。実際に、多くの現代人はその枠組みに気付くことすらなく、盲目的に、決して満たされ得ぬ偽りの自己実現を求めることに駆り立てられている。

これはとても不幸かつ危機的な事態であるように思える。現代経済において、金銭というのは無限に増殖を続ける性質を持っており、さらにはそれは実態を持たない。

私たちは実態を持たない無限に増殖を続けるものを追い求め、それを止めることを一向にしない。満たされ得ぬものを追い求め続けることが疲弊感をもたらすのは当然だろう。

現代人の多くは、この疲弊感に苛まれているように思えて仕方ない。それでいて、その疲弊感を生み出しているものが何なのかが見えていないという二重の不幸を経験しているのだ。

この二重の不幸を乗り越えていくためには、少なくとも二つの方法があるように思える。一つは、そうした不幸を生み出す構造特性に意識を与えることである。

この世界を呪縛する思想的・制度的な枠組みに認識の光を与えることにより、これまでの自分がそうした枠組みを盲目的に信奉していたことにハタと気づかされるだろう。しかしながら、そうした構造特性に気付くことは容易ではない。

それほどまでに、この世界の大部分は一つの強力なイデオロギーで支配されていると言える。この状況において可能な打ち手は、極めて単純だが、そうしたイデオロギーの支配がかろうじて及ばない世界に行き、自分を呪縛する物語とは全く別の物語がこの世界に存在することを見出すことにあるのではないかと思う。

現代社会を呪縛するイデオロギーがかろうじて及ばない世界というのは、物理的な世界のどこかの場所かもしれないし、絵画や音楽、そして文学などの芸術世界の中にある場所である。そうした場所を自分で発見し、そこに自己を晒してみなければ、もはや自己を呪縛する物語に気づけないような世の中になっている気がしてならない。

もう一つの手段は、無限に増殖するものを追い求めることをやめ、自らが何かを創造することを行っていくことである。金銭や情報のように無限に増殖するものを盲目的に追い求め、それらを消費するだけの生活は、間違いなく私たちを疲弊させる。そこには生きる充実感も幸福感もないだろう。

人には誰しも創造欲求なるものがある。私たちは本来、創造することを宿命づけられた生き物だと思うのだ。

自分の内側にある意味を見出し、意味を作ることを通じて、この世界に自己の表現物を創造していくこと。そうした創造行為に従事することは、生きる充実感と幸福感を私たちに必ずもたらしてくれるだろう。私たちは創造され、創造することを宿命づけられた生き物なのだ。

無限に増殖するものを追い求め、それらを消費することに躍起になることをやめ、自己を表現しながら創造活動に従事する生き方の先に、残酷なまでの解放が待っているだろう。残酷なまでの自由の中にくつろげるかどうか。

生の充実さと幸福さを存分に享受することのできる、残酷なまでの自由さに自己の存在が溶け落ちるほどにくつろげるかどうか。それがこのような現代社会で真に生きていくための肝のように思えて仕方ない。2017/9/8(金)

No.166: Working Memory and Music Composition I participated in the first class of “Theory of Learning and Instruction” in the morning. This course will solidify my knowledge about learning theories.

The main topic of the today’s class was cognition, especially executive functions. I could rebuild my knowledge about the characteristics of executive functions.

What I most felt intriguing is that our working memory is domain specific. The unique nature of working memory is not only holding information in mind but also manipulating it——short-term memory just holds information.

The more we learn or practice, the more we can acquire complex working memory to deal with information more efficiently. However, we should notice that building a sophisticated network of working memory takes time.

Once we hasten the process, we will fail to construct a robust network of knowledge. We need to recall Jean-Jacques Rousseau’s insightful assertion that slower is better for our learning.

From my experience of music composition, I can observe that my working memory to compose music becomes more and more efficient in accordance with the accumulation of my practice.

Although the progress of my music composition is quite slow, it is not unusual but quite natural in terms of the intrinsic nature of learning.

I will practice composition tonight, taking into consideration the characteristics of executive functions. Monday, 9/11/2017

過去の曲の音源の保存先はこちらより(Youtube)

過去の曲の楽譜と音源の保存先はこちらより(MuseScore)

bottom of page