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1335. 久しぶりの一時帰国:名古屋での熱情と爽やかな風


この空気。とても懐かしい濃厚な日本の空気が、自分の肺に溢れるように流れ込み、それが全身の細胞を生き生きとさせる。

久しぶりに日本に帰ってきた私は、日本の大地を踏んだ瞬間にそのようなことを思った。今回の滞在先は名古屋だ。名古屋のあるホテルで、一つの学会に参加する。

私のアドバイザーの知り合いに、京都大学に在籍しておられる非常に著名な分子生物学者の方がいる。私はその日本人教授について全く知らなかったのだが、アドバイザーの助言もあり、その教授が主宰する学会に参加することにした。

分子生物学という言葉を聞くと、とても専門的な印象を与える。分子生物学は生物現象における非常にミクロな世界を扱う、という程度の知識しか私にはない。

日本に一時帰国する前に、アドバイザーであるサスキア・クネン教授の論文を読み、ダイナミックシステムアプローチを活用した研究に関しては、発達科学よりも生物科学の方が圧倒的に先に進んでいるという考えを改めて持った。

特に、モデリングの技法やコンピューター・シミレーションに関して随分と先にいるのが生物学だ。その論文の中に “Dynamic Systems Biology Modeling and Simulation (2014)”という専門書が引用文献に挙がっていた。

とても興味深かかったので、私はその書籍を購入し、それがちょうど先日自宅に届いていた。到着に合わせて早速中身を確認すると、モデリングの技法やコンピューター・シミレーションの活用に関して非常に進んでいるということを即座に見て取ることができ、これはとても参考になると思った。

私の研究対象は人間の知性だが、生物学のアプローチから学ぶことが多々ある。そうした思いを胸に、名古屋で開催される今回の学会に参加することにした。 学会会場かつ宿泊先のホテルに到着すると、そこはとても落ち着いた印象を放っていた。華美でもなく質素でもなく、それでいて和の精神が生きているようなホテルだった。

ホテルの自室に荷物を置き、私は早速学会会場に行くことにした。今回は学会といっても、その京都大学の教授に師事している研究者が集まる身内の学会だ。

学会会場に到着しても、まだ私はその教授の正式な氏名を知らなかった。会場は、ホテルの中規模な会議室であり、50人ぐらいの収容人数だった。

その教授のアシスタントらしき女性が、すでにホワイトボードの前に立って何やら準備をしていた。私はそのホワイトボードの近くに座った。すると、参加者が一斉に集まってきて、学会がすぐに始まった。

私はまだ、学会で取りあげられるテーマが何なのか知らなかった。学会参加者に配られていた資料を確認してみると、一冊の小冊子が入っていることに気づいた。

早速それを取り出し、中身をパラパラと眺めてみると、当然ながら分子生物学に関する内容だった。その冊子を少し眺めてから、改めて会場全体を見渡すと、内輪の学会にしては意外と参加者が多く、その教授が非常に権威的な人物であることがわかった。

それでいて、その教授の雰囲気はとても穏やかだ。今回の学会に関する趣旨説明があったのかなかったのかわからないうちに、突然、その教授が口を開いた。 教授:「お配りしたテキストを今からみんなで一緒に読み合わせていきましょう」 その言葉に阿吽の呼吸でうなづくアシスタントの女性。 アシスタントの女性:「それでは今からお配りしたテキストを読んでいきましょう。注意点としては、今からこちらの方から文章を読んでいただく時に、きっかり12文字だけ音読してください」 このテキストを12文字ずつ読んでいくことに私は少し違和感を覚えた。小冊子とはいえ、それを読み終えるには相当の時間がかかるだろうと思った。アシスタントの女性の顔を見ると、意味ありげな笑顔を振りまいていた。 アシスタントの女性:「きっかり12文字でお願いします。行替えなどに着目すると、12文字で読んでいくコツが徐々につかめると思います」 行替えに着目をしてみたが、文章を12文字で切っていく切れ目を見つけることは至難の業だった。会場の参加者の顔を見ると、このテキストの読み方に慣れているのだろうか、不審に思うような表情や不満げな表情を浮かべている人が一切いないように思えた。

「郷に入っては郷に従う」という言葉にあるように、私も一応、この学会で共通認識になっていると思われる、その読み方に挑戦してみることにした。 ホワイトボードの前に立っているアシスタントの女性の横に座っている女性は、その教授と非常に近しい仲の教授のようであり、その方もこの領域の権威のように思えた。アシスタントの女性は、横の女性教授を飛ばし、私の横に座っている男性にテキストを読む旨の言葉を投げかけた。

その男性の顔を一瞥すると、どうやら日本人ではなく、モンゴル人のようだった。アシスタントの女性の言葉が聞こえなかったのか、それとも日本語が理解できないのか、その男性は黙ってじっとテキストを見つめていた。 : “Hi, can you read Japanese?” モンゴル人男性: “No…” : “I see. No problem.” そのモンゴル人男性は、日本語が読めないようだったので、私が代わりに読むということを会場の全員に伝えた。すると会場にどっと笑いが起きた。

笑いが起きた意味が私にはわからなかったが、今の流れでは、そのモンゴル人の男性が日本語が読めないことに対する笑いのように受け取るしかなかった。実際に、そのモンゴル人の方も、日本語が読めないことを笑われたのだということを察しているようであり、うつむき加減だった。

私はとても嫌な気持ちなりながらも、12文字きっかり読んで、そのモンゴル人男性とは反対側に座っている隣の人につなげた。その隣の人が12文字を読み終えた時、やはり私は先ほどの会場の笑いがどうにも許せなかった。私はとっさに、主催者の教授に大きな声で質問を投げかけた。 :「先生、12文字でテキストを読んでいく趣旨はなんなのでしょうか?」 教授:「それは後にわかりますよ。ですが、12文字ずつ読んでいくと三時間かかりますがね」 教授は含み笑いをしながらそのように述べた。そこで再び会場に笑いが起きた。趣旨が明確ではない中で三時間を過ごすということ、そしてこの会場の不気味な連帯感とその対極にある排除的雰囲気がとても気味の悪いものに思えた。

そして何より、私の隣に座っているモンゴル人の男性に対して取った、この場の全員の態度がどうしても許せなかった。会場にいる全ての人物に対して、私は「均質化された哀れな日本人」という言葉を心の中で発していた。

侮蔑的な言葉を自分の内側で持つことによって、なんとか自分の内側の怒りを鎮めることができるかと思ったが、やはり先ほどの会場全体の態度、そしてその教授の態度をどうしても許せなかった私は席を立ちあがった。 :「失礼します。帰ります。先生、どうもありがとうございました」 私はその教授の方を見ることなく、荷物をかばんにしまいながら半身で会釈をし、そのような言葉を投げかけた。権威的な人物の許しがたい言動や態度を見るにつけ、幼少時代の私はいつも、「二度と起き上がれないところまで叩き潰す」という言葉を呪文のように心の中で述べる習慣があった。

それは成人になった今も変わらない。そしてその言葉を心の中で唱えるだけではなく、幼少時代から常にその言葉を何らかの態度で示すことが今もなお続いている。教授に捨て台詞を投げることが、今回の私の態度表明だった。

私が帰ることを伝えると、会場は静かになっていた。そして会場全員が私の方を見つめていた。

私は一応、モンゴル人の男性に一緒にこの会場を後にするかどうかを尋ねた。すると、そのモンゴル人は一応残っておくという旨の言葉を私に述べ、一言をお礼を添えた。

私は立ち上がったままスーツを整え、とても平静な顔を装いながら会場を後にすることにした。そして、会場のドアを壊れるぐらいに激しく閉めた。 ホテルのロビーに行き、宿泊をキャンセルしてもらい、今から帰る旨を伝えた。すると、中学時代の後輩が私の後を追ってきた。 後輩:「先輩、帰っちゃうんですか。学会はまだ始まったばかりですよ・・・。それに招待されたディナーはどうするんですか?」 :「あれを見て許せるのか?」 私は後輩が心配して追いかけてきてくれたことに感謝しながらも、ホテルの受付の方にキャンセルの手続きを進めてもらうように述べた。だが、後輩の「ディナー」という言葉を聞いた時、日本食がたまらなく恋しく感じ始めていた私の心は少し揺らいだ。

しかし私は、あのような人たちと同じ場所にいることはできないという強い思いがあったため、やはり帰るということを後輩に伝えた。後輩も渋々承諾をしてくれたようだった。

ホテルの外に出た時、爽やかな風が自分の全身を包んだ。その涼しい風は、私の内側の熱を冷ますかのような優しさを持っていた。そこで私は夢から目を覚ました。 あの京都大学の分子生物学者は夢の中の人間だったのだと思う。しかし、夢の中に出てきた“Dynamic Systems Biology Modeling and Simulation (2014)”のテキストは確かに現実世界の私の書斎のソファの上に置いてある。

全くの架空の人物や事物と現実の人物や事物が錯綜としていた。だが、私は実際の現実世界においてあのような場面に遭遇していたら、全く同じ態度を示していたと思う。2017/7/23(日)

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