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1312. 自分の中の夏


今朝は五時半過ぎに起床した。昨日は、オンラインゼミナールに向けての資料作りに午後から夜にかけての時間を充てており、そのおかげもあり第三回のクラスの説明資料のほとんどが完成した。

今週末からゼミナールが開講することになるが、開講前までに、少なくとも第四回のクラスまでの説明資料を作成しておきたいと思う。これまではマイクロソフトのPPTを使って説明資料を作成していたいが、Preziを活用するのは今回が初めてであるため、実際のクラスでの受講生の反応が今から楽しみである。

説明の中で組み込まれる変動性や動きの観点からすれば、学習者にとってはPreziの方が説明内容が頭に入りやすいのではないかと思う。そのあたりの理由については、Preziについて紹介した過去の日記に書き留めていた通りである。 今日は早朝から晴れ間が広がり、雲に覆われた昨日の空が想像できないぐらいに青空が広がっている。起床時には、朝日が寝室に差し込んできた。その黄色く輝く朝日に照らされながら今日は目覚めた。

早朝の六時から書斎の机につき、今日の仕事を始めた。書斎の窓から、遠方の空に一羽のカモメが飛んでいるのが見えた。

朝日に照らされたカモメの背中は美しく、勇ましく東の空に向かって飛んでいく様子は頼もしく見えた。カモメが飛び去った後、私は少しばかり日本の夏について思いを馳せていた。

七月の第三週に入った今頃の日本の夏はどうであろうか?日本の夏固有の暑さも含め、日本の夏の雰囲気がとても懐かしい。

日本の夏を象徴する諸々の風物が自分の内側に流れ込んでくるかのようである。日本にいなくても、日本の夏を私はよく知っている。なぜなら私は日本人であり、長らく日本に住んでいたからだ。

だが、私はオランダの夏を知らない。このことは私を少しばかり寂しくさせる。20度前後の気温が続く、オランダの夏を初めて体験するからだろうか、自分の中でオランダの夏を見出していかなければならないことを知る。

オランダの夏といつ出会ったのかもわからない状況が続く中、今の気候を夏だとみなし、少しずつオランダの夏を知ろうとする試み。それを続けていたら、そうこうしているうちにオランダの夏も半分を過ぎてしまった。

オランダのこの夏は、自分の人生において一回限りのものである。どの夏もそうだ。

そのような思いで夏と向き合ったことがあるだろうか。一つの季節がその瞬間に存在しているということが、自分の人生における一回限りの出来事だということに、私たちはどれほど自覚的だろうか?

一つの季節が持つ有限性と尊さに気づけない時、私たちは自分の内側の季節など見出しようがないだろう。仮に今この瞬間、自分を包む夏を感じ、一回限りのこの夏に祈りを捧げながら毎日を生きることができなければ、自分の中にある夏を見出すことなどできはしないだろう。

私は、オランダの夏を真に掴み、自分の中の夏を見出したいのだ。2017/7/17(月)

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