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1273. ハイドンとフロム


今日は朝からハイドンの交響曲を絶えず書斎に流している。このCDには、ハイドンが残した106のすべての交響曲が収められており、それを全て聴くには膨大な時間がかかる。

これと合わせて、モーツァルトの全ての交響曲が収められたCDがセットになったものがデータとして取り込まれており、総時間数は48時間近くになる。それにしても、ハイドンがこれほどまでに多くの交響曲を残していたとは知らなかった。

今年の春にウィーンに訪れた時、ハイドンの記念館の存在に気づいていたが、私は足を運ぶことをしなかった。その時はまだ、自分の中でハイドンがどのような作曲家であり、どのような曲を残しているのかわかっていなかったからである。

この多産な作曲家の曲を聴きながら、午前中から昼食後にかけて二冊の書籍を交互に読み進めていた。先ほど、エーリッヒ・フロムの“Escape From Freedom (1941)”を読み終えた。

随分と下線や書き込みをしながらこの本と向き合っていたように思う。フロムの書籍とゆっくり向き合ったのは今回が初めてであるため、フロムが個人と社会に関する発達論者の側面を持っていることに驚かされた。

とりわけ、それは両者の正の発達現象ではなく、負の発達現象、すなわち精神病理に関する洞察が非常に深いことに感銘を受けた。また、個人の精神特性は固定的なものではなく、可変的なものであり、動的に変化するという発想を持っているあたりに、ダイナミックシステム理論に通じるような発想を見て取ることができる。

あえて表面的な印象をもう少し列挙すれば、フロムを捉えて離さない中心主題のひとつは、「疎外」と「孤独」を取り巻く自由の問題であった。この問題は、私が欧州で生活を始めて以降強く意識するようになったものであり、当該箇所については実存的な読みを行っていたように思う。

自分の主題と合致する箇所に差し掛かると、フロムという存在が近づいてくるような感覚があった。逆に私が関心を持たないテーマについては、フロムという存在が遠ざかっていく。

読み手と著者のこうした関係は興味深く、読み手としては、自らの関心テーマを常に念頭に置きながら、自分を捉えて離さない主題がいざやってきたところで、著者と真剣な対話をするような態度が求められるだろう。

こうした対話がなされる時、読者は真の意味で著者から刺激を受け、自分が抱える既存の問いと向き合うことを促される。その促しによって、新たな問いが生まれ、その新たな問いが既存の問いを解決することが起こりうるのだ。

まさに、私たちが問いを解決するのではなく、問いが問いを解決するという循環をそこに見て取ることができる。そして、私たちの内面が真に成熟していく過程というのは、自らが問いを解決するプロセスというよりも、問いが問いを解決する流れの中に自己を位置付けるプロセスのような気がしている。

まさに、フロムの書籍を読むことによって私の内側に起こっていたのは、そのようなプロセスの一端だった。フロムから得られた促しをもとに、これから夕方の仕事に取り掛かりたい。2017/7/7

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