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1229. 雨の降る日に思うこと


大きなハトが書斎の窓に接近し、一気に急上昇する形でさらに上空に飛び去っていった。外は相変わらず雨模様だが、そこにはどことなく風情がある。

ちょうどこの時期は、日本は梅雨に入っているだろう。そして、もうしばらくすれば、そうした梅雨の時期が終わり、日本独特の夏がやってくる。

フローニンゲンは、七月を迎えようというのに、相変わらず涼しい日々が続く。先日調査した年間の気温データによると、七月が最も気温の高い月であるということだった。

昨年私がフローニンゲンにやってきたのは、八月の頭であるため、まだここで七月を過ごしたことはない。当時の記憶を遡ると、八月もちらほら暑い日があったが、日本の暑さと比べると全く問題ないほどであった。

年間を通して最も気温の高い来月においては、その暑さを逆に原動力とする形で自らの仕事を進めていきたいと思う。そういえば、ここ数日は、自分の中に潜んでいる問いの悪魔が非常におとなしかったように思う。

悪魔的な何かに取り憑かれることもなく、淡々とした日々が続く。そうした日々に対して、一切の価値判断は含まれない。

ただ、日々がそのように過ぎ去っていくだけである。また、仮に問いの悪魔が前面に現れたとしても、それはそういうものとして、しかるべき形で日々を過ごしていくことになるだろう。

つい先ほどまで降っていた雨が突然やむかのごとく、問いへ駆り立てる存在はどこかに消え、突如として怒涛のような雨が降り注ぐかのごとく、そうした存在が顔を出すことがあるのは自然の成り行きである。

無風から微風に変わり、微風から無風に変わった。私には捉えられないものが、このように世界を動かしていることに対して、神妙な気持ちになった。

先ほど感じていた風情とは、この気持ちの中にあるものである。先ほど湯船に浸かりながら、今後の博士課程での研究テーマについて少しばかり考えを巡らせていた。

ここ数年間の探究生活により、自分の中で探究すべき主題のようなものをようやく発見できたように思う。だが、そうした主題を探究するには、どうしても知識と技術が必要であった。

それは、探究領域に関する知識であり、研究を進めるための方法的な技術である。振り返ってみると、米国で取得した修士号は、発達心理学に関するものであり、オランダで取得した修士号は、タレントディベロップメントとダイナミックシステム理論および非線形ダイナミクスに関するものだった。

実は、今回の修士号を取得する以前から、自分の中では、博士課程で研究したいと思う主題があり、ただし、それを研究するためには、多様な知識領域の基礎を確立し、技術的な基盤を固める必要があった。

そうしたこともあり、九月からの実証的教育学に関する三つ目の修士号を取得しようと思うに至った。これをもってして、博士課程での研究に進むことができるのだが、それら三つの修士号で得た知識と技術を活用した研究に打ち込むことができる一年間の修士プログラムが米国にあることを知っている。

この計画は今後どのようになるかわからないが、博士課程の最後の準備として、四つ目の修士課程に進む可能性も依然として高い。幸運にも、現在は日本企業と提携させていただく仕事も多く、学術世界でのキャリアを急いで構築する必要に迫られていないという事情から、このような歩みを進めているということもある。

もっと重要な理由は、私自身の特性によるものだろう。私は昔から、学習速度が遅いため、焦って何かを探究することができないのだ。

まさに、ジャン=ジャック・ルソーが指摘したように、「発達は遅い方が望ましい」という教育思想を自ら体現させる形で、ゆっくりと歩みを進めていくことが自分の特性に合致している。

そうしたこともあり、現時点での希望としては、やはりもう一度米国に行き、そこで四つ目の修士号を取得してから博士課程に腰を落ち着けたいと思う。2017/6/28

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