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1223. 喰らう夢


今朝は五時に起床し、五時半より午前中の仕事に取り掛かることにした。今日は起床直後から、活力のようなものがみなぎっているのを感じた。

フローニンゲンの空には珍しく、今朝はうろこ雲が空に見える。ちぎれちぎれになった雲を見ていると、昨夜の就寝前に考えていたことを思い出した。

私は時折、論文や書籍のページを食べる夢を見る。これは文字通り、夢の中の私が、論文や書籍の特定ページをちぎり、それを口に入れ、噛み、飲み込む内容を指す。

昨夜の就寝前にその夢について思い返していた。端的に述べると、論文や書籍の味は極めてまずい。

実は書斎の本棚に、今から百年以上も前に出版された、ジョン・ロックの “Essays on the Human Understanding”とアンリ・ベルグソンの Time and Free Will”のハードカバーがあり、一度、これらの書籍のページを食べる夢を見たことがある。

特に後者の書籍は、ページの節々にカビのようなものが生えており、そのようなページをちぎり、それを喰らうことはひどくためらわれるのだが、実際にそれを行う自分が夢の中にいたことは確かだ。一口噛むごとに、それは吐き気を催すのだが、それでも私は少しずつページを食べ続けるというような夢の場面に出くわすことが過去にあった。

一方、出版年が最近のものであり、印刷の紙が新しい論文を食べることに関しても、若干の抵抗があるのだが、それらの二冊の書物のような古書を食べる時ほどの抵抗感はない。論文を喰らう夢に関しても、一つのページをちぎりながら、少しずつ口に運び、それを喉に入る大きさに咀嚼するような内容を持つ。

ただし、書物にせよ、論文にせよ、どちらの味も苦々しいことに違いはない。そのようなことが、昨夜の就寝前に思い出された。

これらの夢が象徴していることはいくつも考えられるだろうが、そもそも、書物や論文を文字通りに食べるという行為に着目する必要があるかもしれない。私の日々の生活の様子から、なぜ私がそのような夢を見るのかに関する理由については容易に想像することができる。

しかし、このちぎるという行為が意味する「分解」と、分解された紙を口に入れて噛むという「咀嚼」、さらには、それらを胃の中で「消化」するということの意味は、多くのことを私に教えてくれる。

また、ロックやベルグソンなどの書物が単に古く、時にそれらの書物にカビが生えているという理由以外にも、それらを食べることの難しさを表す理由が見つかる。それらの古典は、長大な時の流れに晒され、それに耐えてきたものである。

また、そうした時の流れに晒される中で、文化的なものを含め、様々なものが古典の中に織り込まれていく形で、無数の蓄積がそこにあるのだ。そうした時の重みや文化的な堆積が、安易にそれらの書籍を食べることを許してくれないのかもしれない。

夢の内容を改めて思い出すと、それらをちぎり、分解するところまでは他の書籍と変わらないのだが、特に、それらを口に入れて噛むという行為、つまり咀嚼をするということが非常に困難である。古典と向き合うことに関する態度と方法を、もう一度考え直させてくれるような夢だ。 先ほど見えていたちぎれ雲が、夏のフローニンゲンの早朝の空を依然として覆っている。ただし、先ほどのように大きな塊ではなく、ちぎれ雲そのものがさらに細かくちぎれ、もはや大きな塊は見えない。

そうしたちぎれ雲が、一つ一つ空全体の中に還っていく姿を見るにつけ、書物や論文を単に分解するのではなく、それらを一つの全体に溶け込ませることが重要なのだと改めて知る。

そのために咀嚼という行為があり、そのために消化という行為があるのだろう。2017/6/27

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