top of page

1037. 作曲活動の進展


作曲という表現手段を得てから、私の生活は様変わりしたように思う。世界を認識する方法、そして世界との関与の仕方に関して、全く別の感覚器官が新たに加わったかのような感覚がするのだ。

昼食後、近くのスーパーに買い物に出かけた時、そこは音楽の種で満ち溢れていた。いや、音楽そのものが世界に満ち満ちていることに気づいたのだ。

これまでの私は、自然言語と数学言語のみを通じて世界を認識し、世界に関与しようとしていた。しかし、作曲という表現活動に少しずつ取り組むことによって、世界がこれほどまでに音楽言語で彩られたものだったのだということに初めて気づいた。

午後、先日イギリスから届いたテキストを紐解く私の心は踊っていた。それは、新緑の木々が春風に揺られるよりも小刻みなリズムを刻んでいた。

“Music Composition for Teens: A graded first course (2013)”という70ページほどの薄いテキストのページをめくる私の気持ちは、作曲をこれから純粋に楽しもうとする子供のような気持ちであった。15章から構成される本書のうち、今日は4章の途中まで読み進めた。

本書を読み進めながら、同時にMuseScoreという作曲専用ソフトを活用して、実際に五線譜に音符を置いて音を作っていった。このテキストは非常に親切に音楽用語について解説しており、音楽知識が全くない私でも難なく読み進めていくことができる。

新しい言語を学んでいるような感覚で音楽言語を学び、その知識をもとに音を生み出していく作業は、自然言語を学ぶのとはまた異なった喜びをもたらす。少しばかり今日の作曲実践から得られた気づきを書き留めておきたい。

最初のうちは、テキストに書かれている手順を忠実に守って音の流れを生み出していった。しかし途中から、テキストに書かれている内容から派生して、「テキストにこのように書かれているが、仮にこのように試してみたらどのような音が奏でられるのだろう?」というように、様々な実験をしながら曲を作っていった。

もちろん、テキストに書かれていることは作曲の基礎であり、非常に有益である。だが、テキストからはみ出す形でどんどんと自分なりに実験をしていくことの方が、もしかすると様々な発見があったかもしれない。

それほどに、自分で試行錯誤してみるということは、学びの幹を太くするのだ。現在使っている作曲ソフトへの音符の打ち込みが慣れていないため、キーボード上のどのキーを押せばどのような音が出るのかを確かめながら、試行錯誤の段階では規則性なく直感的に音を並べていた。

すると面白いことに、乱雑性の度合いが高すぎると意味のわからない音の流れが生まれるのだが、乱雑性の度合いが程よい場合、意味が通じる音の流れが生まれた。ここで言う意味が通じる音の流れというのは、私が感覚的に心地よいと感じる音の総体である。

直感的に音符を並べてみただけなのだが、それにもかかわらず、心地よいと感じさせる音の一端が生み出されたのは不思議なことだった。ある意味、それは思わず口ずさみたくなるようなフレーズのような心地よさを持っていた。

そこで、このフレーズを繰り返し並べてみると、そこからさらに思わず口ずさみたくなるようなメロディーが生まれた。これもまた私にとっては驚きだった。今のところ、このようなフレーズやメロディーを意図的に生み出すことができないのだが、それを生み出す法則性の尻尾が見えたような気がした。

先日初めて曲を作った時、それは非常に陰鬱な響きを持つピアノ曲であった。それとは打って変わり、今日作った曲は躍動感に満ちており、自分でも思わず口ずさみ、溌剌とした力が湧き上がってくるかのような曲であった。

作曲の方法を少しずつ学び、楽しみながら曲を作るということを今後も続けていきたい。2017/5/6

過去の曲の音源の保存先はこちらより(Youtube)

過去の曲の楽譜と音源の保存先はこちらより(MuseScore)

bottom of page