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925.【ザルツブルグ訪問記】小さな町オーベンドルフから


——小さいことは美しい——レオポルド・コール ザルツブルグから列車に揺られ、無事にウィーン国際空港に到着した。搭乗までに時間があったので、セキュリティーを通過した後にカフェに立ち寄り、少しばかり日記を書き留めておきたいと思う。

今この瞬間に書き留めておきたいことは、昨日訪れたオーベンドルフというオーストリアの小さな町についてである。この町について知っているだろうか。

この町は、『きよしこの夜』が誕生したことでも有名な場所である。人口が6000人ほどの町に私は引き寄せられるように足を運んだ。

この町は、以前私の父が訪れたことのある場所でもあり、その時の旅の話をこれまで何度か聞いていた。その話を最初に聞いたのは、おそらく私が高校生の頃だったと思う。

父から初めてオーベンドルフの町について話を聞いた時、とりわけその場所に訪れたいという特別な思いが湧くことはなかった。だが、昨年の年末に父と話をした時に、偶然にもこの町の話が出てきた。

それ以降、私の頭の片隅にこの町の存在があった。これも何かの縁なのだろう、日本への一時帰国を終えてオランダに戻ってからしばらく経つと、私はザルツブルグで開催される学会に参加することになったのだ。

ザルツブルグに参加することを決定して以降もしばらくの間は、オーベンドルフという町の存在が私の顕在意識に上ることはなかった。だが、ザルツブルグに向けての出発が近づき、近郊の土地を含めてあれこれと調べていると、偶然にもこの町の存在に気づいたのである。

学会に参加していたオーストリア人に話を聞くと、オーベンドルフという町について知っている人はほとんどおらず、『きよしこの夜』の存在すら知らない人も多いことには驚かされた。しかし、それでも私は何かこの町に不思議な縁を感じていたため、ザルツブルグ滞在の最終日の午後に、この町に向けて出発した。

ザルツブルグの駅からオーベンドルフまでは電車で20分ほどなのだが、その電車が2時間に一本しかない。私はとてもローカルな列車に乗り込み、ザルツブルグから北上し、オーベンドルフに向かった。

赤い色をした二両編成の小さな列車に乗りながら、開いた窓から吹き込む爽やかな風を全身に浴び、私は目に映る景色をぼんやりと眺めていた。すると、私は時間の流れない時間感覚の中にいた。

ここは時間を超越した世界であり、自分の内側の真実の声を聞くことのできる世界である。そこで私は、『「その」ために「この」ように生きる必要がある』という自分の内側で静かに鳴り響く真実の声を聞いた。

世間一般で信じられている生きる目的や生き方を信じてはらない。そして、それらに従って自分の日々を刻んではならない、という光を伴った重厚な声を聞いたのだ。私は、この世界で生きるほとんど全ての人たちがこの声を聞くことなく、他者や社会が作り上げた偽りの声に従って生きていることを知っている。

また、私自身も、固有な自己の核からかすかに発せられるこの声に常に従って生きることが難しいことも知っている。だが、私たちは聞き取らなければならない。私たち一人一人にだけ聞こえる真実の声を。

本当の幸福は、その声の中にある。そのようなことを思いながら、私はオーベンドルフに向かう小さな列車の中にいた。

オーベンドルフの駅に到着すると、あまりにも小さな駅であることに驚いた。改札もなく、一応駅員が滞在する小さな建物があるだけの駅だった。

列車から降りた時、目の前に広がる景色の美しさに思わず息を飲んだ。新緑に溢れたなだらかな山々が私の目に飛び込んできた。

駅から『きよしこの夜』が誕生した礼拝堂までは、歩いて20分ほどかかる。私は高台にある駅から町の中心部に向かうために下って行った。道中、鳥の鳴き声が小さくこだまする。

現代的な街では享受できない豊かさがこの町にはあった。それは私が最も大切にしているものであり、その豊かさの中で生きたいと常に思っている。

自然に溢れる道を歩くだけで、芸術がもたらすような感動がそこにあった。自然とは芸術であり、芸術とは自然なのだということがわかった。

そして、自然と芸術の中には、私たちを感動に誘う扉が常に開かれていることにも気づいた。開かれた扉の先に行くかどうかを決めるのは私たちだ。

私たちの感覚が淀んでさえいなければ、そして、内側の真実の声に従って歩いていれば、必ずこの扉の向こう側の世界に入ることができる。そのようなことを思わずにはいられなかった。

しばらく歩いていると、礼拝堂に行くために渡らなければならない川が見えてきた。そうなのだ。私が歩いてきた道というのは、ドイツの領土であり、川を渡った先はオーストリアの領土なのだ。

私はこの川を眺めながら、文字通りドイツの国境沿いを歩いていた。川の水はとても澄んでおり、川原で休んでいる人たちの姿がちらほら見えた。

今日の気温はとても暖かく、長らく歩いていると汗ばんでくるほどであった。山々に囲まれ、綺麗な川を眺めながら歩いていると、目的地の礼拝堂に到着した。

話に聞いていた通り、本当に小さな礼拝堂であった。私は礼拝堂の中に入り、その場にあった長椅子にしばらく腰掛けていた。

そこでは何ら特別な感情が芽生えなかったがゆえに、特別な時間であったと言える。どれだけそこに座っていたのだろうか。立ち上がる準備ができた時、私は礼拝堂から出て、町を少し散策をして再び来た道を引き返した。

礼拝堂にせよ、この町にせよ、小さなものには特別な何かが宿っていることに気づかされた。そして、小さなことに全てが宿るというのは、全ての事物に通じる真理のように思われた。

そうではないだろうか。2017/4/10

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