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819. うららかな春の朝の恩寵


早朝、いつもと同じ時間に目を覚ました瞬間に、何かが違うと感じた。寝室の窓の外に広がる景色が、これまでのような闇の世界ではなく、薄青色の世界になっていたのだ。

日の出が早くなり、いよいよフローニンゲンの街にも春が近づいてきていることを感じ取った。思えばこの三週間は、断続的な雨が続く日が多く、一日中快晴の日はほとんどなかった。

だが、天気予報を確認すると、今日からはこれまでとは打って変わって雨の日はほとんどなく、快晴の日が続くことがわかった。季節の変わり目は、まさに昨日と今日の間にあったのではないかと思うほど、取り巻く天候が大きく変動した。

正直なところ、早朝の今の私の気分はこれまでにないほど爽快であり、闇の世界から光の世界に参入した歓喜にも似た気持ちで満たされている。書斎の窓の外に広がる雲ひとつない青空は、それぐらいに澄み渡っている。

この文章を書いている最中に、私は何度窓際に駆け寄り、外の世界を眺めただろうか。早朝の淡くまばゆい太陽光が全てのものを優しく包み込んでいる。

赤レンガの家々、新緑を待つ木々、そこにやってくる小鳥たち、犬の散歩をする人たち、通行人や車。それらの全てが、春の太陽と青空の下にある。

私の目には、生命も非生命も、早朝の太陽と青空に包まれながら歓喜の踊りを踊っているようにしか見えなかった。そこには、物質と生命の確かな躍動があり、何かの始まりを告げるものが確かにあった。

そうした躍動感や新たな始まりをもたらすのは、私たちを超えた自然の力かもしれないし、あるいはさらに超越的な力なのかもしれない。いずれにせよ、今目の前に広がる世界には、人知を超えた世界からの恩恵や恩寵が降り注がれている。

私は、こうした恩恵や恩寵に絶えず気づいていたいと思う。それらを享受しようとするのではなく、それらを見出すことだけで十分なのだ。

そうした恩恵や恩寵に気づく時、それらは自然と私たちの内側に流れ込んでくる。そして、私たちの存在そのものが、恩恵や恩寵を授かったものだということに気づくだろう。

私は多くを望まない。こうした感覚を日々の生活の中で感じ、その感覚の中で生きることさえできればそれで十分だ。

恩恵や恩寵を常に見出し、それを感じながら日々の仕事に黙々と取り組むこと。それこそが、観想的かつ黙想的な生活なのだと思う。

早朝からこのような気分になったのは、何ヶ月振りのことだろうか。全てのものを丸裸にし、全てのものを溶かしてしまうかのような、うららかな春の朝の世界の中で、私は静かで濃密な幸福感を感じている。

今日一日を生きることが楽しみで仕方ない。2017/3/10

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