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729. 内側に流れ込む怒涛の流れ


前の学期が終わり、新学期が開始するとともに、私の中でも一つのフェーズが終わり、新たなフェーズが始まろうとしているのを感じる。

これはまだ私にとって未知な現象なのだが、およそ三ヶ月ごとにやってくる季節の周期に合わせて、自分の内側でも新たなものが芽生えてくるのを感じるのだ。発達理論の観点でいえば、三ヶ月ぐらいの時間単位で生じる発達は「メソな発達」と呼ばれるが、こうしたメソな発達が確かに自分の中で起こっているということを観察することができる。

そして、これまでの私の人生において、こうしたメソな発達を捉えることは非常に難しかったが、今の私には、メソな発達が生じた際の前後の差異が、もはや見落とせないほど明確なものとして自分の眼に映るのだ。まさに今の私は、オランダに来てから二度目のメソな発達を遂げたのだと思う。

今週から本格的に新学期が始まり、正直なところ、毎日の振り返りが全く追いついていない。咀嚼するべき項目が目の前に山積みにされているような感覚だ。

もちろん知識的な意味で振り返りをしておきたいことがあるのと同時に、経験としても振り返りをしておきたいことが無数に存在しているのである。毎日二つか三つの日記を書き記すだけでは、全くもって量が足りないのだ。

裏返せば、日々の生活の中において、知識的・経験的な学びがそれほどまでに多く、そして深いものだと言えるだろう。今の私は、日々の生活の中で、文章を大量に書く形で内側の思念を外に表出させておかなければならないほど、内側に流れ込んでくる怒涛の流れに飲み込まれそうなのだ。

仮に内側に流れ込む知識や経験を再度外側に表出させる行為を行わなければ、それらに押しつぶされてしまうかもしれないとすら思う。それぐらい、日々の知識や経験を咀嚼するための振り返りが追いつかない状況にあるのだ。

しかしながら、学期の初めということを考えると、これは致し方ないのかもしれないとも思う。というのも、私はいつも学期の始まりの最初の週から次の週にかけて、その学期で課せられる全ての課題文献に目を通すからである。

これは米国の大学院時代においても習慣にしていたことであるが、とにかく学期の開始に伴い——事前に課題文献がわかっている場合には学期が始まる前から——、全ての書籍と論文を一読しておくのである。

これはもちろん、日本語・英語を問わず、私の文章読解力が優れていないという問題もあり、他の人が一回か二回で理解する内容だとしても、私は最低五回ぐらい同じ文章を読まないと理解が進まないのだ。

そのため、理想的には学期の始まる前から、それが無理であれば、少なくとも学期の始まりとともに、全ての文章を一度は必ず読了しておくのである。この作業が終われば、学期の進行に合わせて、余裕をもって繰り返し文献を読み込んでいくことができるのだ。

とにかく、一度も読んだことのない未知な文献をできるだけ早い段階で既知に変換しておくということが重要になる。今学期は、これまでの学期以上に大量の論文が課題となっており、さらには、自分の研究や関心に合わせて無数の論文を読むことを自らに課しているため、ここ最近は文章を書くことよりも、自然と文章を読むことが増えてしまう。

そのような最中にあっても、いや逆にそのような最中であるからこそ、文書を書くことを怠らないようにしたいと思う。2017/2/9

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