No.3647 光の蜃気楼_A Mirage of Light
本日の散文詩(prose poetry)& 自由詩(free verse)
No.1531, A Deep Connection
We breathe.
All of us are connected through the air.
The air is the agent to accomplish a deep connection for us.
Groningen; 09:09, 5/18/2022
No.1532, From the Depth of Time
From the depth of time, anything emerges.
There is the place where our soul resides peacefully and passionately.
Groningen; 10:54, 5/18/2022
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本日の3曲
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タイトル一覧
8421. ELSAアプリについて/平田篤胤のゆかりの地へ
8422. ELSAにリクエストをして/数学に関する夢
8423. 今朝方の夢の続き
8424. テクノロジーと人間の倒錯的関係/改革論者の病
8425. 変容を実感して/人間を超えた存在への眼差し
8426. 仕事/魂の慣性の法則と魂の襞
8427. 認知的・記憶的資本主義/箏の演奏と自己の純化
8421. ELSAアプリについて/平田篤胤のゆかりの地へ
時刻は午前5時を迎えた。今、小鳥たちが清澄な鳴き声を上げていて、おそらくこの時間帯の彼らの鳴き声が一番澄み渡って聞こえると思う。起床し、夢から覚めた後に、再び夢の世界に誘ってくれるかのような美しい鳴き声が辺りに響き渡っている。空は随分と明るくなっていて、遠くの空に朝焼けが見え始めている。太陽はこれから輝きを増して来るだろう。どうやら今日もまた昨日と同じぐらいに天気が良いようだ。明日は雷を伴う雨に見舞われ、明日からは少しばかり天気が崩れる。気温に関しても明後日からまた涼しくなる。いずれにせよ、ここからは過ごしやすい気候の日々が続くことを有り難く思う。
昨日は、随分とELSAのアプリを使って英語の発話能力の鍛錬を行っていた。このアプリのゲーミフィケーションの要素やコンテンツにハマっているようだ。一点、このアプリにIELTSのコンテンツだけではなく、TOEFLやGRE関連のコンテンツがあればもっと魅力的なものになるだろうと思った。TOEFLのボキャブラリーやスピーキングセクションを扱うコンテンツ、GREのボキャブラリーを扱うコンテンツがあれば、よりレベルの高いコンテンツもカバーすることになるため、上級者のユーザーを惹き付けるものになるのではないかと思う。アプリからコンテンツに関する提案はできないようなので、ウェブサイトからこうした提案ができないかを調べてみよう。それらのコンテンツが拡充されたら、もっとやり込んでいく可能性が自分にはある。
昨日届けられた『川面凡児伝』を昨夜読んでいるときに、ふと平田篤胤記念館が日本にないかを知りたくなった。もしあれば、今年の一時帰国の際に立ち寄ろうと考えていて、先ほど調べたところ、記念館は見つからなかったが、篤胤の墓と生誕の地の碑なら見つかった。篤胤は秋田出身であるから秋田のどこかにあるだろうと思っていたところ、幸いにも足を運ぶ予定だった秋田県立美術館や秋田市立千秋美術館の近くにあることがわかった。秋田をせっかく訪れるのだから、篤胤の墓と生誕の地の碑にも必ず足を運びたい。
今日もまた静けさの中で自分の取り組みを前に進めていこう。午後には散歩がてら、近くのショッピングモールに行き、切れた電球を購入したい。そして、その足で近所のおもちゃ屋に行き、書籍の受け取りをしたいと思う。今日もまた充実感に満ちた日になるという確信がある。フローニンゲン:2022/5/18(水)05:31
8422. ELSAにリクエストをして/数学に関する夢
早速であるが、ELSAのウェブサイトの問い合わせを経由して、先ほど書き留めていたことをリクエストしてみた。ELSAはアメリカ発祥のはずなのだが、どういうわけかイギリス留学向けのIELTSの対策コンテンツはあるが——もちろんIELTSはアメリカ留学にも使えるのだが——、アメリカ留学向けのTOEFLやGREに関するコンテンツはない。その点が改善され、TOEFLやGREのコンテンツが提供されるようになれば、アメリカ留学を考えている人や上級のアカデミック英語を学びたいと思っている人にとって非常に魅力的なアプリになると思うということを問い合わせから連絡し、可能であればコンテンツ開発チームに意見を伝えて欲しいと述べた。確かに、TOEFLやGREのコンテンツが提供されることは自分が望んでいることではあるが、きっと多くの人も望んでいるのではないかと思ったので、ユーザーの代弁をした形になる。返信は別に期待しておらず、近いうちにそれらのコンテンツが拡充されれば満足である。
勉強関係で言えば、今朝方の夢は勉強に関するものだったように思う。夢の中で私は、ある旅館の一室にいて、そこで大学時代のサークルの先輩(滋賀の名門膳所高校の出身)と一緒に勉強をしていた。中身を見ると、大学での専門科目ではなく、どうやら高校数学のようだった。大学入試を終え、随分と高校数学の勘が鈍ってしまっているように感じた。先輩は私よりも3つ学年が上だったので、より勘が鈍っているようだった。そんな2人が問題集と格闘し、問題を解いていた。しばらくして、お互いにノートを交換して答え合わせをしようということになった。ノートを交換して丸つけをしようとすると、先輩が指定された問題以上に多くの問題を解いていることに驚いた。また、字は細かく綺麗であり、その点についても驚かされた。私は、自分の解答に自信がなかったが、先輩が丸をつけている音が結構聞こえてきたので、随分と正解していてホッとした。一方、先輩の方はかなり多くの問題を解いていて、どこから丸つけをすればいいのか悩んだ。一応約束として一緒に解こうと述べていた問題から答え合わせをしようと思ったが、自分の問題集と違うのか、答え合わせするのが複雑な問題で厄介だった。先輩は早々に自分の解答の丸つけを終えてくれたようであり、私は少しもたもたしていて、早く自分も丸つけをしなければいけないと思った。そんな夢を見ていた。この夢について言えば、夢の中にその先輩が出て来ることは初めてのことだったので、その点がまず注目される。そして、2人で高校数学の問題を解いていたこともシンボルとして興味深い。確かに、今でも高校数学の問題を解きたい衝動に駆られることがあり、そうした潜在的な欲求がどのようなところからもたらされているのかを知りたいところだ。いくつか考えられることがあり、1つは純粋に高校数学が好きだった自分の念がまだ無意識の層に残っていることと、もう1つは、好きで得意だった数学で大学入試の際に一度失敗したという苦い記憶があることなどが挙げられそうだ。数学をテーマにした夢を見るときは、結構後者の要因が強いように思える。実際のところは、今でも数学的なものに対する憧れの念のようなものがあり、それもまた夢の世界に影響を与えているかと思われる。フローニンゲン:2022/5/18(水)05:56
8423. 今朝方の夢の続き
朝の輝きはとどまるところを知らず、地上に豊かな光を届けている。輝きの中に埋没し、輝きと化して、至福さを感じている自己がいる。
時刻は午前7時を迎えた。先ほど洗濯物を干し終え、これから再び朝の活動に取り掛かる。今日は、バーナード·スティグラーの主著“Technics and Time”を本格的に読み返そうと思う。幸いにも今日は時間がたっぷりあるので、この3部作を旺盛に読み返しながら、それでも時間があれば他の書籍の再読に取り掛かりたい。関心の軸を再びテクノロジーとマネーに移し、それらの探究と並行して神道の研究を進めていく。
そう言えば、今朝方の夢についてもう1つ思い出したことがあった。そちらの夢についても振り返っておこう。夢というのもスティグラーのテクノロジー哲学の中で1つ鍵となる現象かつ概念であり、夢日記の執筆を通じて得られた洞察が、スティグラーの夢の観点の理解につながって来るように思える。
夢の中で私は、高校時代のクラスメートの数学のチューターをしていた。彼は小柄で、とても優しい友人だった。彼の数学力はお世辞にも高くなく、彼の今のレベルに合わせた問題を選び、彼にその問題に取り組んでもらっていた。問題を解き終わるまでにしばらく時間がありそうだったので、彼に飲み物はいらないかと尋ねた。「何を飲みたい?」と聞くのではなく、私はあえて「何色の飲み物が飲みたい?」と彼に尋ねた。というのも、彼が選ぶ色によってまた数学の問題を変えようと思ったし、解説の仕方を変えようと思ったからである。すなわち、色を尋ねることは、ある種のタイプ分析だったのだ。彼は、赤色を選んだので、アセロラかグレープフルーツジュースの濃いものを持ってこようと思った。実際に彼に飲み物を持ってきて差し出すと、彼はまさかこれがタイプ分析によってもたらされたものとは知らず、美味しそうにその飲み物を飲んだ。そこでふと彼のノートを見ると、彼は一生懸命に問題を解いていることがわかった。もちろん、まだ不完全な解答だったが、頑張って問題と向き合っていることがわかった。すると、数人の先生が部屋に入って来て、私たちに話しかけてきた。彼に数学のチューターとして数学を教えているということを伝えると、数人のうちの2人の年配の男性教師が彼のノートを見て、全然ダメじゃないかという表情を浮かべた。彼らはさらに、友人に対してその問題に関する質問を1つした。彼はその質問に対しても懸命に答え、私は開口一番、「正解!」と述べた。ところが、2人の年配教師は、「厳密に考えたら全然正解じゃないんだけどね~。正解なんて安易に言っちゃダメだよ」ということを述べた。それに対して私は、友人の自尊心を傷つけるような発言をした彼らに反論をしようとした。友人の方を見ると、さっきまでは明るい表情をしていたのに暗い表情になっていた。それを見て、2人の教師に、「お前らみたいなタコがいるから子供たちの自尊心が低くなるんだよ。とっととうせろ!タコ!」と述べた。すると、2人の教師は目を丸くし、私の威圧的な態度と言葉に萎縮して、すぐさまその場から消えた。彼らが消えた後、「あっ、タコ呼ばわりするだけではなくて、クズ呼ばわりもしておいた方がよかった」と思った。そこで夢から覚めた。フローニンゲン:2022/5/18(水)07:18
8424. テクノロジーと人間の倒錯的関係/改革論者の病
スティグラーの三部作を読み進めていると、テクノロジーと人間の倒錯的関係が見えて来る。元来、人間がテクノロジーを生み出し、それを活用する側だったはずなのだが、今はそれは逆の関係性を構築し始めている。人間はテクノロジーの組み立て役となり、テクノロジーを支える存在となり、テクノロジーに使われる側に回っている。また、種々のテクノロジーによって構成されたこの技術的社会は、人間という給仕者をある意味養分として駆動している。そんな転倒した絵図が見えて来る。
改革の病。イノベーションの病。このところ政治学の探究を進めていたり、個別具体的に選挙や政治運動に関心を持って情報を集めているのだが、保守と呼ばれる人たちが絶えず改革を叫んでいる姿をよく目にする。保守的なあり方を踏襲しながらも、改革すべきところを改革するというのは真っ当な判断だが、どうやらそうした真っ当なあり方というよりも、何でもかんでも改革をするかのような姿勢で改革を叫んでいる姿が滑稽に映る。保守の真髄から外れ、改革を声高に叫び続けている自らの姿を内省することができないこの現象は病的のように思えて来る。しかもそれは、1人の保守の政治家だけが患っているような病ではなく、保守を覆う集合的な病である点に注目しなければならない。改革の病と同じくして、経済界においてもイノベーションを声高に叫ぶ姿が継続して見られる。これもまた自分には病的に見える。イノベーションが求められる領域や事柄は確かに存在しているが、それは今に限ったことではなく、人類は歴史を通じて絶えずイノベーションをすることによって生存して来た性質を持っている以上、昨今のようにイノベーションを無造作に叫ぶことが滑稽に見えて来るし、それを叫ぶ当事者は何かの病にかかっているとしか思えないのは自分だけだろうか。保守を名乗る改革論者も、イノベーション推進論者も、往々にして自らが全く成長·変化しないというさらに滑稽な有り様を社会に露呈していることも注目に値する。変革を叫ぶ人間が決まっていつも変革できていないということを忘れてはらない。彼らの内省力は極めて低く、変革を推進する際の自分の論や観点の盲点に自覚的でないままに変革を叫ぶということのより深い理由と要因について考えていかなければならない。スティグラーの書物が刺激となって、本書の内容と直接的には関係ないが——だがきっと間接的に関係している——、そのようなことを考えていた。フローニンゲン:2022/5/18(水)08:51
8425. 変容を実感して/人間を超えた存在への眼差し
4年ぶりに同じ本を読んでいると、そこでの印象が随分と違うことに気づく。4年前の自分から今の自分への変化の軌跡をそこに見る。感じることも考えることも質的に大きく変化している。こうして4年間という時間軸で自分を眺めて見て初めて気づく変化。それこそが変容と呼ぶにふさわしいものである。興味深いのは、感じることも考えることも質的に変化しているのだが、それらが生まれ出て来る場所はやはり同じなのではないかということだ。やはりそこは魂とでも表現するべき個人的な深い特質である。そうした特質を可視化することを促してくれたのは、まさに1冊の書物であり、それを再読するという行為である。
こうした覚え書きが、自分の魂に刻まれ、それが後の参照点として魂をさらに育んでくれる。ゆえに書き続けていこう。絶えず書きながらにして魂を刻印していき、魂の歩みを確たるものにしていこう。
ニーチェ的な観点で、人間は何者かを問うだけではなく、人間を超えた存在は何者かを問う。その大切さにはたと気付かされた。人間とは一体どういう存在なのだろうかという問いは確かに重要だが、その問いで留まっていてはならない。さらにその問いを超えて、人間を超えた存在がどのような存在なのかを考察していく必要がある。さもなければ、全てが人間中心主義的な狭く利己的なものに陥ってしまう。
後ほど、昨日キャンセルした箏の注文を受けて、再度本来欲しいと思っていた立柱ケース付きの箏を注文しよう。そちらもまだ在庫補充が未定の状況だが、注文は済ませてしまっていい。箏の演奏が楽しみなだけではなく、自分なりの箏曲の作曲もまた大きな楽しみだ。これについては、やはりどこかのタイミングで音楽大学院で理論的な学習をしたいところだ。これまではずっと理論は独学でやって来ていたし、そもそもある程度理論を学んだところで実践優位で作曲を進めていた。より自由で創造的な形で曲を生み出すために、理論をしっかりと学ぶことは重要であり、そのタイミングが近々やって来るような予感がしている。そうした未来への展望もまた静けさの中で自然と開かれて来て、展望を眺める自己はその展望に酔いしれている。フローニンゲン:2022/5/18(水)10:18
8426. 仕事/魂の慣性の法則と魂の襞
日記の執筆であれ、論文や書籍の執筆であれ、箏の演奏であれ、作曲であれ、絵画の制作であれ、そこに自分固有の形が生み出されていくことが重要なのだ。そして、形を生み出すものを育んでいくことこそが重要なのであり、自分の仕事はそれに他ならない。「仕事」というと、何か個別具体的なものを想像しがちだが、自分の場合はそうではない。より抽象的なものであり、自分なりの形を生み出し、それを育むことが自分の仕事なのだ。今取り掛かっている読書もその一環である。全ての学習と実践がそれに関係するものなのだ。
朝の穏やかな世界が魂を大いに寛がせている。魂は、その歩みによって生じる慣性の法則に従って、向かうべき場所にしかるべき速度で歩みを進めていく。それが大事なのだ。魂が持つ固有の慣性の法則を見出し、それを阻害しないこと。世の中にまみれて生きていると、いかにそれが阻害されてしまうことか。自分の魂の慣性と感性は自ら守り、そして育むこと。それを忘れてはならない。それを忘れずにいれば、魂は自らの輝きを失わず、進むべき場所にしかるべく速度で進んでいく。
ある変容体験を経た後、自分が触れるものは全て魂の襞を通過するものになった。魂の襞を撫でるものは、全て魂の養分となっていく。魂の襞を優しく撫でるそよ風のようなものに絶えず触れている感覚がある。外形上は嵐のように激しいものであっても、それと触れる当事者である魂は、自らの襞を優しく撫でるものだと認識している。自分の魂は、優しさも激しさも、どちらも共に自らの養分として吸収していく。魂の健やかさと逞しさをそこに見る。そんな魂が形を生み出す様子を見守り、自己は魂の形を生み出す媒介者としての役割をただただ果たしていく。自己と魂はそうした関係を結んでいる。自己は魂に奉仕する形で存在しているが、それを通じて自己もまたより豊かな存在になっていく。そうした相互互恵的な関係がそこにあるのがまざまざと見て取れる。フローニンゲン:2022/5/18(水)10:33
8427. 認知的・記憶的資本主義/箏の演奏と自己の純化
私たちの認知が改変され、搾取されているという意味においての認知的資本主義、それは主に人間の認知を改変と搾取の対象にする。そして記憶が改変され、搾取されているという意味での記憶的資本主義、それは主に人間の記憶を改変と搾取の対象にする。それらの横行に意識が向かう。資本主義は誕生から随分と姿を変え、様々な形で人間性質の改変と搾取を行っている。今行っている探究は、現在の資本主義の改変·搾取構造を突き止めるものであり、それに対する処方箋を提示するものでなければならない。
ふと、箏の演奏を通じて、自己がより透明な存在になっていくのではないかという直観があった。これは箏だけに限らないと思うが、音楽の演奏と一体となることを通じて、崇高な曲と一体となることを通じて、自己は純化のプロセスを辿り得る。音楽はある意味、その純粋さにおいては他の芸術領域以上のものであり、音楽の演奏は他の実践以上のものとして働きうる。自分にとって音楽の演奏は、そのような意味付けと役割を持つ。それゆえに、今日中に箏の再注文を済ませておこう。自分の魂に訴えかけて来た箏を注文し、その到着を静かに待つ。それはしかるべき時に到着するだろう。
箏の演奏も1つの自分の作品として結晶化しうる。そこまで練習を重ね、そこからもさらに練習を重ねていく。作品としての自分の演奏も、何らかの方法で形として記録しておきたいと思う。演奏の練習は日記で克明に書き綴っていき、自分なりに一曲が完成したと思ったら、実際の演奏を録画しておくのも手である。演奏は、その瞬間の自己の顕現であり、魂の発露でもあり、形として記録するに値するものなのだと思う。
それではもう少し読書をしたら、買い物に出かけよう。今日は気温が随分と上がっていて、ジョギングと散歩を織り交ぜながら外の世界を楽しもう。それもまた自己に十分な活動エネルギーを注いでくれる。フローニンゲン:2022/5/18(水)14:37
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