No.3496 太古のピラミッド_An Ancient Pyramid
本日の散文詩(prose poetry)& 自由詩(free verse)
No.1410, Study on Bonji Kawatsura
I determined to rigorously study Bonji Kawatsura’s cosmology and his view of life and death.
This is one of my lifeworks.
Groningen; 20:18, 4/7/2022
No.1411, Spiritual Resonance
Bonji Kawatsura came into my soul.
He inspired my soul very much.
His soul and mine resonate with each other.
This is a deep spiritual resonance.
Groningen; 20:20, 4/7/2022
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本日の3曲
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タイトル一覧
8152. 捗る読書
8153. 今朝方の夢
8154. TOEFLについて考え直して
8155. ジークンドーの鍛錬の自分なりの意味と意義
8156. 川面凡児に導かれて
8152. 捗る読書
時刻は午前7時半を迎えた。今、強い風を伴う形で雨が降っている。昨日は雨に見舞われることなくジムと自宅の行き来ができたが、ここ最近は天気が崩れる日が多い。
春に向けて、天候が最後の変化の時期に差し掛かっているように思う。自分もまた同様に変化の最中にいる気がする。
天候の変化、季節の変化、地球の変化と足並みを揃える形で共に変化している自己。ここにも自然と自己の一致と共鳴を見る。
今日は一日中雨のようであるから、基本的には家で大人しくしていよう。その分自分の取り組みは捗るだろう。研究活動と創作活動の双方に存分に打ち込むことができるだろう。
研究活動について言えば、昨日は7冊ほど書物を読むことができていた。エコロジーと宗教に関する書籍が2冊、修験道に関する書籍が2冊、忍術に関する書籍が1冊、ジークンドーに関する書籍が1冊、日本の影の霊性に関する書籍が1冊だ。いずれも洋書の学術書であり、どれも今後また再読をするであろう。
今日もまた7冊ほど未読の書籍を読み、再読として神道の書籍を読み進めていく。神道に関する洋書の再読が全て終わったら、再び和書の神道に関する書籍を読み返していこうかと思う。和書として読み返したい神道関係の書籍は11冊ほど机の上に積んでいる。それらはもう何回か繰り返し読んでいこうと思う。
洋書においては数はまだ少ないが、少なくとも4冊ほどは何度も読み返したい神道関係の本がる。それらとの付き合いはこれから長くなりそうだ。バルト旅行から帰ってきたら、21冊ほど神道関係の洋書を買い増す。そして、和書に関しては60冊ほど神道を含め、そこから派生させた関心領域の書籍を注文する。
気がつけば神道関係の書籍も随分と集まってきた。それらはどれも自分の研究に不可欠なものであり、とにかく今は自分で入手できる書籍を積極的に読み進めていこうと思う。それは今後の研究の基礎体力を養ってくれる。
実際に神学大学院に進学してからは、論文や入手困難な書籍を読み進めていく形で論文の執筆につなげていきたい。とにかく今は地道に基礎知識を獲得し、今後の研究を長く続けていけるように、関心領域を拡大させながら、同時に1つ1つの関心を掘り下げていくような試みをしていく。
バルト三国の旅行の日がいよいよ近づいてきた。およそあと10日後にバルト三国に向かう。すでに旅程は立てていて、あとは現地についてから思わぬ偶然で見つけた場所などに足を運びたい。
合計すると、今回のバルト三国の旅は11日ほどになる。その間にフローニンゲンの気候も変化しているのではないかと思う。それも含めて、今回のバルト三国旅行は何かと楽しみな旅だ。フローニンゲン:2022/4/7(木)07:40
8153. 今朝方の夢
今日は昼前にでも家の掃除をしようと思う。1階と2階に掃除機をかけ、綺麗にしたい。最近はこうした掃除も神道的な祓いの儀式として行うようになった。そのような意味づけで掃除をしてみると、掃除の効能をより実感する。それは心身を清め、魂を清める素晴らしい実践だ。そのような効能を今日の掃除からも得られるだろう。
依然として雨風が強い。幸いにも午前中の早い段階から雨脚が弱まり、風も和らぐようだ。それであれば、午後にタイミングを見計らってスーパーに行き、必要な食品を購入したいと思う。
今朝方は2つほど印象的な夢を見ていた。夢の中で私は、複雑に入り組んだ建物群の中の1つの建物の中にいた。建物の中の部屋は学校の教室のようになっていて、そこで私は模擬試験を受けていた。
模試の名前は特定されていて、進研模試だった。高校時代にこの模試を毎年何回か受けていて、この模試に対しては特に悪い印象はなく、むしろ問題は良心的であり、良い印象を持っていた。そのような印象を持ちながら英数国の3科目の模試を受けることになった。
最初の科目は国語であり、解答用紙が配られた。そこで異変を感じた。なんと解答用紙がバラバラに破れていたのである。
私はすぐに手を挙げて、試験官に解答用紙の異変を伝えた。すると試験官の若い男性は微笑み、バラバラになった解答用紙をパズルのように組み立てるところから試験が始まるのだと述べた。そんな試験があるものかと思ったが、その試験官は本気でそれを述べているようだったし、他の受験生もバラバラの解答用紙を渡されているようだったので、彼の言うことはどうやら本当だと思った。
なのでまずは問題を解き始める前に、バラバラになった解答用紙を元に戻すところから始めた。始める前はすぐに元に戻せるだろうと思っていたのだが、いざ取り組み始めると難しく、なかなか復元できなかったので苛立ちの感情が芽生えてきた。刻一刻と問題への回答時間が減っていく中で焦りもあり、それによって苛立ちが募っていった。
あるところで私は、解答用紙を組み立てることが完全に馬鹿らしくなった。そこでふと、「自分の人生は解答用紙を直すことではない」と呟き、途中まで組み立てていた解答用紙をくしゃくしゃにして、地面に叩きつけた。そして試験官に、模試を辞退することを伝えた。
そもそも自分がなぜ模試を受けているのかさえ理解できなかった。自分の貴重な人生を模試に費やすことは馬鹿げていると思ったし、バラバラになった解答用紙を組み立て直すことに時間を費やすこともまた馬鹿げたことだと思ったのである。会場を後にした私は爽快感に包まれ、そこで夢の場面が変わった。
次の夢の場面では、忍術の鍛錬をしていた。忍術の師範から奥義を授かる機会に恵まれ、いくつかの秘伝の技を教えてもらっていた。それらについては速やかに習得することができ、奥義を伝授された私は、再び里に戻ってきて活動を始めた。
忍術の鍛錬をしていたのは山奥であり、そこから里に戻る際には空を飛んでいた。それも忍術の1つの術かもしれないと改めて思ったことを覚えている。フローニンゲン:2022/4/7(木)07:56
8154. TOEFLについて考え直して
先日TOEFLの試験結果が返ってきて、過去最高点を更新することはできなかったが、神学大学院に出願する際の要求スコアを超えていたので、もうTOEFLは受けまいと思っていた。しかし、少し考え直してみた。
と言うのも、仮に2023年から神学大学院に進学した場合、そこから2年間のプログラムを終えた後、そこからもう1つ神学関係で修士号を取得しようと考えていて、そうなると2024年に再び出願準備をする必要があり、その時には今年の3月に受けたTOEFLのスコアの有効期限が切れてしまうのだ。
もちろん、2024年の出願の前に再びTOEFLを受験すればいいだけの話だが、その時は大学院のプログラムが進行中であり、普段の学業の進行を妨げたくないという思いがある。もちろんTOEFLはもうほとんど対策がいらない状態だが、それでも試験であることに変わりはなく、また自分の性格上、ついつい対策に時間を取って、試験が気になってしまうので、アメリカに留学している最中に再びTOEFLを受けたくないという思いがある。
2024年の夏休みにTOEFLを受験するというのも手ではあるが、せっかくの夏休みにTOEFLを受験するのも気が引ける。そうしたことから、今年の秋にもう一度TOEFLを受けてみようと思ったのである。
もうスコアメイキングをする必要はないが、仮に秋に受験した結果が今回よりも良かったら、それはそれで儲け物である。確かに今回は、リーディングに関しても残り時間1分でギリギリ駆け込んだ形だったし、リスニングに関してはあろうことか、最後の問題を回答する時間がなく終了してしまった。このあたりはタイムマネジメントの改善の余地があった。
今年の秋の日本への一時帰国の前にTOEFLを受験すれば、2024年の出願においてもそのスコアが使える。それはアメリカに留学してからも好都合である。
TOEFLの試験の予約は大体2ヶ月前からなので、8月の頭にでも試験を予約しておこう。3月に使ったテストセンターの雰囲気が良かったので、また同じ場所で試験を受けよう。
今回と同じく、前泊をし、同じホテルに宿泊しよう。前泊の際には、またしても今回と同じように、せっかくなのでアムステルダムの美術館に足を運ぼう。
3月はアムステルダム国立美術館を訪れたので、秋の際にはゴッホ美術館に久しぶりに足を運ぼうと思う。ゴッホ美術館を訪れるのは、これで3回目かと思う。人生の節目節目にゴッホ美術館を訪れることによって、その期間の自分自身の変化を知ることになるだろう。
秋のTOEFLの受験の際には、あえて全くと言っていいほど対策をしないようにしよう。唯一やることは、前々日と前日にETSのウェブサイトの模擬試験を解くことぐらいである。
あえてそれくらいの対策に留め、本番においては今回のように少し力が入って丁寧に問題を解いていくことをせず、大胆に問題を解いていこうと思う。そう言えば、過去もそのように大胆に選択肢を選んでいった方がスコアが高く、時間的にもゆとりがあったように思う。フローニンゲン:2022/4/7(木)09:37
8155. ジークンドーの鍛錬の自分なりの意味と意義
時刻は午前11時を迎えた。最近は天候の変化が激しいためか、天気予報が外れる。しかもそれが良い方向に外れてくれることが多い。
今日もまさにそんな1日であり、午前中は太陽の姿を拝むことができ、書斎の窓辺で日光浴をしながら読書を楽しんでいた。読書はすこぶる捗り、午前中の段階で5冊の初読を終えた。今日はまだまだ時間があるので、さらに読書を進めていこう。
先ほど十分に日光浴を楽しむことができたので、ここからまた天気が崩れるような日が続いたとしても、しばらくは日光の力を体の内側に蓄えることができるだろう。程よく身体に紫外線を当てることによって、心身の健康を維持·促進していこう。
日光浴をしながら読書をしていると、ふと、改めて今自分が行っているマーシャルアーツのトレーニングの現代的な意味について考えていた。現代においては、確かに暴力はこの社会において存在しているが、普段から注意深く生活を送っていると、身の危険を感じる暴力に出会す機会はほとんどない。
むしろ、そうした出来事を経験しない形で人生を終えていく人の方が多いだろう。だが、もちろん何があるのかわからないこの現代社会の中で、護身としてマーシャルアーツを鍛錬することにはそれなりの意味があるだろう。
自分にとってそれよりも重要なことは、マーシャルアーツの鍛錬を通してでなければ開発されない身体意識というものがあり、それを涵養していくことと、失われた感覚を研ぎ澄ましていくことかと思う。身体意識や感覚が開発されてくると、それは知的活動においても計り知れないほどの恩恵がある。今毎日行っているジークンドーのトレーニングは、身体意識や感覚を研ぎ澄ませることにおいて、自分にとても合っている。
日々稽古している技を一生使わないことがあったとしても——それが実は一番望ましい——、技の鍛錬を通じて開発されていく身体意識と感覚こそが重要なのだ。それは現代という予測のできない世界の中で充実した人生を送る上でも非常に意味のあることかと思う。
研ぎ澄まされた身体意識と感覚が、不確定の世界で生きる際の最良のナビゲーターとしての役割を果たしてくれるように思うのだ。少なくとも自分にとって、マーシャルアーツの鍛錬はそのような効力を持っている。
また、ジークンドーの素晴らしい点はシンプルであることなのだが、これがまた自分にとって重要なことを教えてくれる。複雑な世界の中で、複雑性の開発に向けて努力するというよりも、シンプルであることの大切さを教えてくれるのがジークンドーだ。しかもそれを身を持って教えてくれる点が実に素晴らしく、実に有意義である。
シンプルであること。複雑な世界の中でシンプルであることの価値をもう一度見つめ直し、シンプルな在り方を体現させてくれるのがジークンドーの良さかと思う。護身云々を超えて、ジークンドーのトレーニングの自分なりの意味と意義はそうしたところにあるだろう。フローニンゲン:2022/4/7(木)11:27
8156. 川面凡児に導かれて
時刻は午後8時に近づきつつある。今日は断続的な雨に見舞われたが、朝には日光浴をすることができ、午後には雨が降っていない時間帯に買い物に出かけることができた。今は雨は降っていないが、風が強い。
午前中にマーシャルアーツの自分なりの意味や意義について書き留めていたように思う。シンプルさが体現されたジークンドーのトレーニングを今日もまた行っていた。とにかく感覚を研ぎ澄ませるという目的と、眠っている身体意識と潜在能力を呼び覚ますという目的で、日々のジークンドーの鍛錬をしていく。
これまで様々な領域の実践を数多く行ってきた経験からすると、マーシャルアーツのトレーニングでしか開発できないものが確かにあることを実感する。霊性の開発においてもそのアプローチは非常にユニークであり、ここから自分自身がどのように変貌を遂げていくか楽しみである。その変貌の背後には、マーシャルアーツの貢献が必ずあるだろう。
今日も神道の研究を行っていた。すでに初読を終えた2冊の洋書を丹念に読み返しながら研究を進めていると、研究の方向性に関して少し修正を加えた。以前は吉田神道の創始者である吉田兼倶(1435-1511)や、江戸時代に活躍した国学者かつ神道家の平田篤胤(1776-1843)の神道思想について研究をしようと思っていた。
平田篤胤に関して言えば、コスモロジーや霊魂観に着目して研究をしようと思っていた。ところが彼らの研究の前に、川面凡児(1862-1929)という近現代の神道家の巨人に焦点を当てた研究をしたいと思ったのである。
川面に関しては以前から関心があり、1冊だけ彼の思想を取り上げた和書を読んでいた。そこから、彼のコスモロジーと霊魂観の深さに惹かれるものがあり、まずは彼を取り上げて研究をしようと思った。
どうやら欧米の神道研究者の中で川面を取り上げている研究者はほとんどいないようだ。今のところ皆無だと言ってもいいぐらいである。川面の研究が難しいのは日本語の文献しかないこと以外にも、川面が活躍した神道を取り巻く時代背景も影響しているだろう。
以前から購入を検討していた川面凡児全集全10巻を近々購入したい。それらの書物を用いて文献学的かつ解釈学的に研究を進めていくのが最良のアプローチだろうか。
如何せん川面を取り上げた書籍や論文がほとんどないこともあり——洋書に関しては全くない——、この研究をする際に引用はどのようにすればいいのだろうかと悩む。全集だけをもとに研究することが可能なのだろうか。このあたりは実際に神学大学院に進学し、研究の指導教官の助言を仰ぎたいと思う。
いずれにせよ、神道界の巨人である川面凡児に絵も言われぬ関心を持っている自分がいる。自分の魂の奥底が刺激され、魂に揺さぶりをかけられているかのような感覚がする。これこそ霊感の証であり、霊的共鳴による導きなのかもしれない。フローニンゲン:2022/4/7(木)20:05
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