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8115-8121: フローニンゲンからの便り 2022年4月1日(木)



No.3463 緑の革命_A Green Revolution


本日の散文詩(prose poetry)& 自由詩(free verse)

No.1394, Heavenly Gifts

I realize that I always receive a tremendous amount of heavenly gifts.


I can hear from somewhere: “Render to Caesar the things that are Caesar’s, and to God the things that are God’s.”

I’ll share the gifts with this world instead of giving them back to heaven.

That is the wish of the god.

Groningen; 07:56, 3/31/2022

No.1395, Unexpected Snow

It has been snowing today since morning.

It is unexpected, but my soul enjoys it.

Something unexpected sometime brings enjoyment.

Groningen; 20:06, 3/31/2022


下記のアートギャラリーより、本日のその他の作品(4つ:コメント付き)の閲覧·共有·ダウンロードをご自由に行っていただけます。

本日の3曲


全ての楽曲はこちらのMuseScore上で公開しています。

楽曲の一部はこちらのYoutubeチャンネルで公開しています。

タイトル一覧

8115. 雪がやって来る朝に/今朝方の夢

8116. 新たな使命の芽生え

8117. お賽銭に見る霊的成熟度

8118. 隠された宗教的暗号の開示を受けて/魂の故郷としての神道

8119. 治癒と変容の道としての神道研究

8120. 古代文献・陰陽道への関心/身土不二

8121. ジークンドートレーニング92:脱力とコークスクリューフック


8115. 雪がやって来る朝に/今朝方の夢


時刻は午前4時を迎えた。この時間帯は当然ながら辺りは真っ暗である。当然ではないことがあるとすれば、今日は雪が降るということだろう。


4月を目前にした3月最後の今日は、一日中雪マークとなっている。今この瞬間は雪が降っていないが、午前7時ぐらいから雪が降り始め、午後には雪の嵐がやって来るという予報になっている。今日からしばらくはまた寒い日が続くようだ。


今朝方は、断片的な夢を見ていた。夢の中で私は、大学時代のゼミの友人の中でも家が近く、とても仲の良かった2人と一緒にゼミ合宿に向かおうとしていた。


今回のゼミ合宿の場所は、お寺の宿坊とのことであり、今からそれが楽しみであった。実際に、行き道においては3人で宿泊予定の宿坊についての話で盛り上がった。それに加えて、今回のゼミ合宿は卒業論文の最終発表がメインでもあったので、卒業論文の進捗についてもシェアし合った。


そのような夢を見て目覚める直前に、光の差す方向に行こうとする自分がいた。夢の中の私は実際に、「光の差す方へ」という言葉を心の中で呟き、光を求めて一歩踏み出した。そこで夢から目覚めた。


このシーンはどこか啓示的である。薄黄色い光が知覚され、それに導かれる形で光を求めた一歩がそこにあった。現実世界の自分もまたそうした一歩を今日歩もう。


昨夜、弘文堂から出版されている『神道辞典』をずっと眺めていた。気になる用語を片っ端から読んでいき、用語から用語へと縦横無尽に飛びながら用語の海を泳いでいた。この辞典はこれから長らくお世話になるだろうが、コラムもあり、1つ1つの用語の解説も非常に分かりやすく、自分にとっては読むことが苦にならずに楽しめる辞典である。


現在、何人かの神道家に着目をして、彼らの神道思想を探究しようと思っている。その中の1人として、昨日改めて、川面凡児の死生観やコスモロジーを探究したいという思いを強くした。


川面神道神学の研究に向けて、バルト三国の旅から帰って来たら和書を探してみようと思う。洋書において川面凡児を取り上げたものは今のところ見つかっていない。


今、神道に関する大きな研究テーマとして、死生観やエコロジー思想を掲げていて、時代区分においては中世の神道を探究することが焦点になっている。小さなテーマとして、個別具体的な神道家に着目するというものがある。


当然ながら、大きなテーマと小さなテーマを掛け合わせる形で研究を進めていくことは可能であり、むしろ最初のうちはそのような形で研究を進めていくと良いかもしれないという考えを持つ。さて、今日も大いに読書に励もう。フローニンゲン:2022/3/31(木)04:27


8116. 新たな使命の芽生え


時刻は午前5時半を迎えようとしている。つい先ほどから、霙まじりの小雨が降り始めた。天気予報の通り、今日はこれから雪が降る。今降っている霙まじりの小雨が雪に変わるのだろう。そこに変化と変容を見ることができる。


今目の前で知覚されている事柄が、時の経過を経て変化·変容を経験すること。時の経過に絶えず晒されている私たちもまた、実はゆっくりと常に変化·変容しているのだろう。


なるほど、今朝は小鳥たちも早く目覚めたのだと分かった。彼らはこんな寒い日にも鳴き声を上げている。彼らもここ最近の暖かい日々のリズムに慣れていたはずであろうから、今日のような寒さは堪えるはずだ。小鳥たちの様子が心配になる。


そう言えば、同様の心配を植物に対してもしていたなと思った。昨日、ジムから帰っている最中にノーダープラントソン公園を通っていたときに、先日までの暖かさによって開花していた花々が鳴りを潜めるかのように萎んでいたのである。また暖かくなれば彼らは元気な姿を見せてくれるだろうか。それを願わずにはいられない。


漆黒の闇の世界の中に、小鳥たちの鳴き声と小雨が降りしきる音だけが聞こえて来る。こんな静かな世界の中で自分は何を感じ、何を思うのか。そんなことが脳裏によぎったので日記を書き始めたことを思い出した。


書きながらにして進んでいくこと。今日もまたそのような1日になるだろう。ここ最近は、学術論文を再び執筆することに対してとても意欲的である。また、しばらく時間を空けていた書籍の執筆にかけても動き出そうかという思いがある。


書籍に関しては日本語のものではなく、今度の書籍は英語のものになるだろう。今のところ、再び大学院に戻り、そこでのコースワークの最中に執筆する論文や、ジャーナルに投稿する論文などをまとめた学術書を出版したいという思いが強くある。それは神道関係の書籍になるだろう。


中世の神道を取り上げたものか、死生観にフォーカスを当てたものになるか、はたまたエコロジーとの関係で神道を取り上げたものになるか、そのあたりのテーマで学術書を執筆したい。


欧米の世界に対して伝えたいメッセージが自分の中で芽生え始めたことに驚く。これまでの自分は、日本にのみ意識が向かっていたように思う。


欧米での生活が11年目を迎えようとしているこの時期に、今自分の中で新しい使命のようなものが芽生え始めていることを感じる。春を目前にしてそのような芽生えがあったということは、決して偶然ではないだろう。


今の自分にできることは、とにかく種を撒くことと、それに養分を与え、育むことである。今日の読書も、来月のバルト三国旅行もその一環である。フローニンゲン:2022/3/31(木)05:39


8117. お賽銭に見る霊的成熟度


今朝は早く起床したため、時刻はまだ午前6時半であることに驚く。まだ辺りは真っ暗であり、夜明け前の今、小鳥たちが鳴き声を上げている。


昨夜に引き続き、神道の辞典を読み進めている。その中で、祭祀にまつわるセクションがあり、そこを眺めていたときにふと、神社に参拝する時のお賽銭というものに関心が向かった。この風習はいつからできたものなのだろうか。個人的にはこの風習には大きな問題があるように思える。


お賽銭の表の意味としては、神様にお願い事を聞いてもらうためのものだと思うが、実際のところは神社の経営にあてがわれるものなのではないかと推測される。欧米の人から見ると、神に祈りを捧げるのにカネを払うというのはどういうことなのかと疑問を持たれるかもしれない。


そもそも自分の問題意識は、お賽銭が神様にお願い事を聞いてもらうために差し出すものという形式が維持されていることによって、祈りの意味や意義が歪められているのではないかというところにある。


カネを差し出す側としては、必ずその祈りに見返りを求めてしまいがちだろう。しかし、本来祈りというものはそういうものなのかという問題意識があるのだ。


カネを差し出す祈りというのは、得てして利己的·自己中心的なものになりがちであり、そうでなかったとしても、やはり見返りを求めてしまうところに祈りの本質とはかけ離れたものを見る。また、神道を外国人に説明するにあたって、お賽銭というものが今の形式や意味を温存させたままだと、「日本の神はカネで動くのか?」という認識を与えてしまいかねないことも問題かと思う。


参拝者は、神様に願い事をかなえてもらうためにお賽銭を投げて参拝するが、実際のところ願い事が叶うかどうかは神社にとっては問題ではなく、それは経営にあてがわれるという意味で重要なのだ。そうであれば、表立ってお賽銭は神社の運営上必要な寄付であるという意味も付与した方が良いのではないかと思えて来る。そのあたりを隠蔽している点に疑問を持つ。


ここでは、決して参拝の意義や祈りの現生利益について否定しているわけではない。表の意味と裏の意味が異なるにもかかわらず、裏の意味を明らかにしないままおかしな構造があるように思えたので書き留めたまでだ。いずれにせよ、お賽銭によって神様が願い事を叶えてくれるというのは、とても未開で未熟な発想のように思えて仕方ない。


神をカネで買い、神をカネで動かすというのは一体どれほどの霊的成熟度の現れなのだろう。本当の意味で霊的に成熟している人間であれば、見返りを期待することなく、そして神社に行った時だけではなく、常日頃からこの世界に対して祈りを捧げているのではないかと思う。フローニンゲン:2022/3/31(木)06:50


8118. 隠された宗教的暗号の開示を受けて/魂の故郷としての神道


時刻は午前7時半を迎えた。今、冷たい雨がしとしとと降り注いでいる。


朝からずっと神道に関する辞典を読んでいる。辞書というものがこれほどまでに面白いと感じるのも久しぶりのことである。


神道に関する理解を少しずつ深めていくと、日本という国の物理的·精神的空間の至る所に神道的なものが隠れていることがわかってきて非常に面白い。これはキリスト教に関する理解を少しずつ深めていくと、欧米の物理的·精神的空間に隠されたキリスト教的なものを多数発見していったことに似ている。


もちろん日本には神道のみならず、仏教、儒教、道教、その他の宗教的な要素を見てとることができ、欧米社会においても同様である。今ここで感じている面白さは、宗教を理解すればするだけ、この世界に隠された宗教的暗号が紐解かれていくことであり、同時にこの世界に存在する宗教を超えたものへの気づきが増して来ることである。


そのようなことを考えながら、いつも日本に一時帰国する際に、なんとも言えない感慨に浸るのは神道的な作用によるものが大きいように思えてきたのである。


一昨年の一時期帰国の際には、オランダ航空を利用したが、いつもは日本航空にお世話になっている。企業にはいくつか神社を持っている会社があり、日本航空もまたその1つだと知った。日本航空は、日航香取神社を持ち、そこには交通安全と災難除けの神である「経津主神(ふつぬしのかみ)」が祀られている。


大抵はヘルシンキで日本航空のフライトに乗ることが多く、搭乗した瞬間にいつも和的な癒しを受ける。記憶が定かではないが、前回日本航空を利用したときには、日本に到着したときに美しい神社の映像がモニター画面に映し出されていたように思う。


あれは厳島神社だっただろか。モニターに映された神社の映像を眺めながら、日本に帰ってきたのだなという感慨に浸っていたことをふと思い出した。


神道というのはきっと、自分にとって魂の故郷なのだろう。その精神世界そのものが故郷なのだ。それとの深い結びつきがあるがゆえに、自分は物理的に日本から離れていても精神を保っていられるのだ。自らの精神的支柱に神道の精神がある。それを実感する今日この頃である。


こんな肌寒い小雨の降る日において、そして雪の降る日において、そこに神的なものや精霊的なものを見出すことができるのも、自分の奥深くに浸透している神道的なものの賜物だろう。自分はこの大切な賜物を携えながら、日々の活動に従事し、この世界に返礼を果たしていく。フローニンゲン:2022/3/31(木)07:50


8119. 治癒と変容の道としての神道研究


良い言葉が見当たらないが、自分にとって神道を含め、宗教というのは些細なものだが極めて重要であり、極めて重要だが些細なものであると思っている。神道を含めた宗教の研究もまたそうであり、それは些細なものだが極めて重要であり、極めて重要だが些細なものだと認識している。


研究をする際には、細かなことを調べていくことになるだろうが、そこで発見された事柄が真実かどうかはあまり重要ではない。神話的なものの真偽や、歴史的なものの真偽についても、それは些細なものであるという認識がある。


一方で、見逃すことができないのは、神話的なものや歴史的な事柄が、人間心理に投げかけて来る作用そのものである。この心理現象ないしは意識現象は見過ごすことができない。


今、日々神道に関する研究を進めていく中で、なるほどと思わず手を打ってしまうような事柄に出会ったとき、そこに自己発見や精神的な治癒なども起こることが大変興味深い。


例えば、神道における他界観や霊魂観に触れてみると、そこで語られていることの真偽や客観性などはさほど重要ではなく、間違いなく主観的な豊かな意味が自分の内側に流れ込んできて、それを通じて自己を新しく発見したり、治癒が起こることが見逃せないのである。すなわち、自分にとって神道研究は、治癒と変容の道なのだということがわかる。


それは対自分だけに当てはまることではなく、きっと多くの人にも当てはまりうることなのではないかと思う。一昨日に親友のメルヴィンに神道の話をしたときに、彼は「背筋に何かが走った」と述べ、神道の世界観の何かに共鳴し、彼なりの発見や洞察を得ているようだった。オランダ人の彼ですらそういう現象が起こり得るのである。


いずれの宗教を選択·採用するかは、まさにそれこそその人の使命·天命による導きによるところが大きいだろう。自分の場合は、それが神道だったにすぎない。


神道の思想や世界観、さらには風習や実践を広く世界に紹介することを通じて、治癒と変容を実現していくこと。それが自分に課せられた非常に重要な役割に思えて仕方ない。


冷たい風が吹き抜けて行った。それは心の中で暖かい風に変わり、神風だと知った。フローニンゲン:2022/3/31(木)08:14


8120. 古代文献・陰陽道への関心/身土不二


時刻は午前11時を迎えた。早朝からずっと読書に打ち込んでいて、ふと顔を上げて窓の外を見ると、雪が降り始めていた。今もずっと雪が降り続けていて、それが積もらんとしている。どうりで寒いわけであり、ずっと室内にヒーターが自動で入っているわけである。


午前中の読書を通じて、雑多なことを考えていた。まず、喜びに従ってものを考え、畏怖の心からものを考えていくのが学問の要諦なのかもしれないという点が挙げられる。また、学術的探究の本質は、その人に訪れた個人的な究極的関心事項を突き詰めていくことにあるのだということも思った。


そこから、『古事記』や『日本書紀』に影響を与え、それら以前に存在していた日本古来の文献であるホツマツタエ、ウエツフミ、カタカムナなどにも関心が伸び、それらの古代文献についても研究していきたいという思いを持った。


そして、そこから時代が下り、中世の神道世界よりも前の古代の末期の平安時代に芽生えた陰陽道にも関心を持った。陰陽道は、中国伝来の道教の教えである陰陽五行説に強く影響を受け、日本固有の古神道を元に、密教や修験道なども取り入れながら生まれた日本独自の思想実践体系である。この探究に向けて、今、色々と文献調査をしている。


バルト三国の旅から戻ってきたら、和書の一括注文をしようと思う。こちらはリストが膨らんでいて、50冊から70冊ぐらいの間で書籍を購入することになるだろう。


明日から4月を迎えるというのに、目の前の雪は降り止むことを知らない。淀みなく、滞りなく進んでいくのは自分の探究や実践もそうである。


自分が欧州のこの土地から得た事柄は無数のものがある。日々、この土地の恩恵の上に自分の全てが成り立っている。


自分の身体と生活をする土地が深く結びついているという「身土不二」の発想がここにある。「身(しん)」は、「心(しん)」でもあり、「神(しん)」でもある。


自分の中の心も内在神も、この土地と密接不可分に結びついているのである。それに対して畏敬の念を持ちながら、土地からもたらされる働きに感謝の気持ちを持って、日々の生活を引き続き営んでいこう。そうすれば、自己の存在の土の上に、一輪の花が、あるいは無限の花が咲くだろう。フローニンゲン:2022/3/31(木)11:19


8121. ジークンドートレーニング92:脱力とコークスクリューフック


時刻は午後4時を迎えようとしているが、依然として雪が降り続けている。午前中から降り続けていることもあって、今、地面には雪が積もっていて、辺りは雪化粧に覆われている。


そんな中、午前中から午後にかけて読書は捗り、今日は随分と多くの書籍を読み終えた。今日の読書を通じて色々と発見や今後の研究テーマについてもアイデアが浮かび、平安時代中期に安倍晴明によって創始された陰陽道の影響を受け、垂下神道の一派として生まれた土御門神道についても注目をして研究をしてみようということを思った。このテーマの研究をするための文献もいくつか良さそうなものを見つけたので、次回の一括注文の際に購入をしよう。


先ほど、本日のジークンドーのトレーニングをしていた。まずは準備運動がてら脱力のエクササイズを行った。これによって、とりわけ上半身の脱力状態が実現され、オンガードポジションにも力みがなく、各種の手技にも力みがない状態が実現される。


そこから今日は、コークスクリューフックという応用的な技を練習した。ロビンさんが以前動画でその技についても紹介していたので、その時の内容を参考にしながら練習を重ねた。


ボクシング漫画やアニメに出て来るような捻るような動作ではなく、カービングステップから角度をつけて肘を上げてストレートリードを打つような要領で行うのがジークンドーのコークスクリューフックである。これを実際にロビンさんから習うのは、おそらくランク3に入ってからだろう。少なくともランク2の表の中には含まれていない。


実際にロビンさんから直接教えてもらうときにはまた新たな発見があるだろう。今のところは、ロビンさんの動画を見たり、ジークンドーの解説書を読みながら練習を重ねていこうと思う。


ジークンドーのトレーニングを終えて脳がリフレッシュしたこともあり、これから夕食までの時間を再び読書に充てたいと思う。夕食後にも時間があるので、今日はあと3~4冊ぐらい本が読めるのではないかと期待する。フローニンゲン:2022/3/31(木)16:00

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