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8016-8020: フローニンゲンからの便り 2022年3月15日(火)

更新日:2022年3月18日



No.3399 喜びの木_A Tree of Joy


本日の散文詩(prose poetry)& 自由詩(free verse)

No.1349, The Divine Shrine

Everything comes and goes to the most sacred shrine.

Everything dwells in it.

Groningen; 20:10, 3/15/2022


No.1350, Words as Gems

Words emerge from the depth of myself in the form of a string of beads.

Every single word is a gem for me.

Groningen; 20:15, 3/15/2022


下記のアートギャラリーより、本日のその他の作品(4つ:コメント付き)の閲覧·共有·ダウンロードをご自由に行っていただけます。

本日の3曲


全ての楽曲はこちらのMuseScore上で公開しています。

楽曲の一部はこちらのYoutubeチャンネルで公開しています。

タイトル一覧

8016. 展望/進歩

8017. 質の高い積み重ね/今朝方の夢

8018. 天狗の里の夢

8019. 習慣/今朝方の夢の続き

8020. 充実感の中で


8016. 展望/進歩


時刻は午前5時半を迎えた。昨日はジムでサウナに入っていたこともあり、快眠がもたらされ、目覚めもすっきりとしたものだった。


この時間帯はまだ暗くてわからないが、天気予報の情報によれば、今は晴れているらしい。ところが、今日は午前中に雨が降るようだ。幸いにもそれは正午をめどに止むとのことである。


おそらく今日は日光浴をすることはできないかもしれないが、雲があっても、毎日太陽が出ている時間帯には窓辺に行き、程よく紫外線を浴びようと思う。明日からはまた天気が良いようなので、心身の健康に必要な太陽の光を享受しよう。


今日は午前中から昼にかけてオンラインセミナーがある。その登壇に向けて特に準備をすることはないが、セミナーが終わった後にはいつものように音声ファイルを作成していこうと思っている。今日のセミナーの内容とは関係ないが、今の自分の関心である神道の話やマーシャルアーツの話をするかもしれない。


今はこういう形でしか探究を通じて得られた知見を共有する術がない。もちろんこの日記もその1つの手段かもしれないが、研究してきたことを発表する場という意味では限られている。それを考えると、今直感的に感じている大学への復帰という選択肢は現実味を帯びてくる。


仮に来年、神学大学院に進学することになったら、それは良いきっかけになるかもしれない。そこから再び大学機関に所属しての研究生活に入ることは十分に考えられる。そして、ゆくゆくは大学で教鞭を執る可能性もある。夜明け前にそんな展望が開てくる。


マーシャルアーツの鍛錬も神道の研究もゆっくりとだが着実に、そして日々の鍛錬と研究は質を高くして行っていこうと改めて思う。質の低いことをどれだけ続けていても仕方ないのだ。それによって辿り着けることには限界がある。


一方で、質を意識してゆっくりと着実に継続していくことは、自分を遥か遠くまで連れて行ってくれる。それは自分を無限にどこまでも運んでくれる力があるのだ。


今、神道関係の書籍が続々と揃い始めている。当面は、これまで注文した神道関係の和書と洋書を繰り返し読むことをしていきたい。それは神道に関する研究の基礎固めになるだろう。


繰り返し書物を読むことは、マーシャルアーツの鍛錬における反復と似ていて、それは無闇矢鱈に繰り返すことを意味していない。重要なことは、創意工夫と楽しみや喜びという感情を伴わせてそれを行うことである。フローニンゲン:2022/3/15(火)05:42


8017. 質の高い積み重ね/今朝方の夢


今、神道の音楽を聴きながら、ゆっくりと1日の活動を始めようとしている。先ほど書いた日記の中で、ゆっくりとだが着実な進歩について言及していた。それを現在のTOEFL対策に採用するのであれば、スピーキングの回答例をこまめに音読していくことを実践してみようと思った。


本番まで2週間を切り、いよいよ最後の仕上げの時期に差し掛かっている。今回は、TOEFL対策を楽しみながら行うことができ、それによって仕上がりはすでに良い。そこから最後の仕上げに入っていこうと思う。


とりわけスピーキング対策においては、すでにこれまで膨大な問題を解き、問題に対する自分なりの回答を文章としても書き残していたので、それを繰り返し読みながら、自分の表現をさらに洗練させていくことを行いたい。それはまた、問題の形式に慣れることも促進してくれるだろうし、問題の傾向についても身体次元で理解することも促してくれるだろう。


音読のためにまとまった時間を取るのももちろん手だが、それよりも、1日の中でこまめに音読をしていくのが良いかと思う。数分あれば数問の回答例を音読できるので、机を離れる前や机に戻って来た際には音読を行うという習慣を持ってみるというのは良いかもしれない。


机を離れることや戻ることは1日に何度も行うので、1日をトータルしてみれば、きっとまとまった時間を取って音読するよりも多くの量の音読ができるだろう。それに加えて、1回1回の音読の量が少ない分、より集中して質の高い形での音読が実現されるに違いない。


こうした発想での実践は、まさに自分がマーシャルアーツの鍛錬で意識していることと全く同じである。1回の分量を落としながらも質を高くして、集中力の減退や疲労を防ぐのである。それは学習においても実践においても変わらずに重要なことのように思える。今日は早速上記のアイデアを試してみよう。


今朝方の起床直前に見ていた夢を思い出す。夢の中で私は、マーシャルアーツの心を説く先生の話を聞いていた。教室には私しか生徒がおらず、先生は高校時代にお世話になっていた女性の英語の先生だった。


先生がマーシャルアーツを行っているというのは初耳だったが、先生の話から、かなり本格的にマーシャルアーツに従事してきたことが窺えた。先生の話を聞けば聞くほどに、自分も自分の言葉でマーシャルアーツの真髄が何かを説明できるようになる必要があると実感した。先生の説明がひと段落してからは、私の方からいろいろ質問したりして、マーシャルアーツに関する対話が長く続いた。


自分の中におけるマーシャルアーツの意味付け。それは今ゆっくりと深めているものであり、その中にはもちろん、今の自分が毎日取り組んでいるジークンドーに対する意味付けも含まれている。


意味を求め、意味を超えていくこと。探求と超越は密接不可分な関係を結んでいるのかもしれない。


結び。それは神道においても非常に重要な概念および実践である。フローニンゲン:2022/3/15(火)05:56

8018. 天狗の里の夢


時刻は午前7時を迎えた。辺りがうっすらと明るくなっている。洗濯機が止まったようなので、この日記を書き終えたら洗濯物を干そう。


今朝方の夢についてもう少し書き留めておきたいことがある。夢の中で私は、天狗の里にいた。そこには深い渓谷があり、私はその渓谷の上空を飛んでいた。


空を飛ぶ速度は極めて早く、一気にその渓谷を抜けていこうとしていた。渓谷の端から端まで飛んで移動しようと思っていたのだが、最後の最後で疲労が見られ、結局渓谷の深い溝の地面に着陸することになった。


着陸した目の前に岸壁があり、今からそれを登ることを思うと大変だなと思ったが、登るより仕方なかったので、呼吸を整えてから岸壁をロッククライミングのように登っていくことにした。すると私の脳裏には、以前似たような体験をどこかでしたことを思い出した。


あれは天界での出来事だっただろうか。天国に足を運んだ際に、地上から天界まで到達するほどの氷の結晶のような岸壁があり、私はそれを登っていた。


私の隣には見知らぬ子供がいて、彼も必死にその岸壁を登っていた。私たちは協力してその岸壁を登り切ろうとしていた。


しばらくは順調に岸壁を登っていたのだが、途中からその子供に疲れが見え始めて来た。


雲の上まで抜け、天界への扉まであと少しというところまで来たので、私は彼を励ましながら、休み休み岸壁を登っていくことにした。彼は最後の力を振り絞って、天界への扉まで残りわずかのところまでやって来た。


しかし、彼の疲労は極限まで来ていて、最後の最後で気を抜いてしまったのか、彼は手を滑らせてしまい、岸壁に片手をついた状態でなんとか耐えていた。


天界の風は優しくもあり、厳しくもあるのか、突風がやって来て、彼は片手で自分の体を支えることができなくなり、手を離してしまった。私の方も自分の体を支えておくことで精一杯だったので、彼に手を差し伸べることはできず、結局彼は地上に向かって落ちていってしまった。


そのような過去の記憶が脳裏に蘇りながら、私は渓谷の絶壁を登っていた。しばらく壁を登っていると、壁の質感が変わった。これまではもちろん岩だったのだが、何か鉄筋コンクリートのようなものに感触が変わったのである。


見ると、目の前の壁が現代的なマンショの壁になっていて驚いた。そして、壁の向こう側が透けて見えるようになっていて、どうやら壁の奥にはエレベーターがあるようだった。実際に、エレベーターが動いていて、数人の若者の男女がエレベーターに乗って、上の階に向かっていった。


彼らの手元を見ると、お酒やおつまみが入ったスーパーの袋を持っていて、これから宅飲みでもするのだろうかと思った。私は彼らの姿を見ながら、引き続き必死に壁を登り続けていた。


すると、その音が聞こえたのか、彼らは何か外にいると述べ始めたのである。私はすぐに身を隠し、彼らに見つからないようにした。


なぜそのような行動を取ったのかはわからないが、壁を命綱も道具もなしに素手で登っている姿を見せたらきっと驚かせてしまうと思ったからかもしれない。いずれにせよ、私は彼らに気づかれることなく、無事に彼らをやり過ごし、壁の隙間から誰もいなくなったエレベーターに乗り込んだ。すると、そこには無数のエレベーターでできたパズルの世界が広がっていた。フローニンゲン:2022/3/15(火)07:17


8019. 習慣/今朝方の夢の続き


早朝に書き留めていたように、席を立って戻ってくるたびにスピーキングの回答例を音読することを試してみると、これはなかなか良い実践かと思った。TOEFLの試験本番までの2週間はこのような形で音読量を増やし、地味だが成果をもたらすであろうスピーキング対策をしていきたい。


TOEFLが終わったら、この習慣の代わりに何か別の習慣を作ってみるのもいいかと思った。普段何気なく行っている行動に付随させる形で新しい実践を取り入れれば、意外と簡単に習慣化することが可能なのだ。


先ほど、今朝方の夢について振り返っていた。天狗の里の渓谷の絶壁を登り、エレベーターの中に入ってみると、そこは無数のエレベーターで入り組んだ複雑なパズルのような世界だったという夢だ。実はこの夢にはまだ続きがある。なので、それについても書き留めておこう。


無数のエレベーターが複雑に入れ組んだ世界に入り込むと、エレベーターを操作することはできるようだったので、上下左右にエレベーターを動かしながら、私はどこかに向かおうとしていた。


エレベーターを上下左右に動かすと、エレベーターの窓から見える景色がどんどんと変わり、その景色を見定めて、どこか程よい場所でエレベーターから降りようと思っていた。いくつか異なる景色を眺めた後に、ここだと思う場所でエレベーターから降りた。そこは明るい街であり、時刻は昼時だった。


そこは街の中心なのだが、小川が流れていて、とても心地良く感じた。その小川の水に触れようと手を差し出したときに、突然場所が変わった。


私は瞬間移動して、その街の誰かの家にいた。その家はなかなかの豪邸で、地下室があるようだった。というのも、地下から何か物音が聞こえて来たのである。その物音に導かれる形で地下室の扉を開けてみると、そこには道場があった。そして、そこには数多くの父と子がいた。


彼らの容姿はアジア系だが、話している言葉から察すると、北朝鮮の人たちのようだった。彼らは地下室の道場で、一風変わったマーシャルアーツの鍛錬をしていた。私はそれを初めて見たのだが、非常に面白い動きをしていたので興味を持った。


彼らは特殊な掛け声と共に1つの動作を繰り出していて、声と動作の組み合わせが絶妙に思えたのだ。それは代々北朝鮮で伝承されているマーシャルアーツなのだろうか。


父から子へと伝承されゆく数々の技に私は魅了され、しばらくその場に佇んで彼らの稽古の様子を眺めていた。彼らは私に気付いていないのか、それとも私は透明人間のようにその場にいたのか、彼らは私のことを一切気にかける様子を見せず、黙々と稽古に励んでいた。


今朝方の夢を振り返ってみると、今朝方もまた非常に興味深い夢を見たものだと思う。天狗の里に関する夢は、ここ最近の神道や修験道への関心によるものかもしれない。実際に、天狗という存在について調査も始めている。


また、神道のコスモロジーについてもアンテナを張っていて、それが夢の中の天界の表出に繋がったのかもしれないと思う。いずれにせよ、覚醒中の意識の関心事項や探究内容が夢の世界に現れることは見過ごせないことであり、自分が無意識を活用して探究を進めていることがわかる。フローニンゲン:2022/3/15(火)08:08


8020. 充実感の中で


時刻は午後8時を迎えた。気がつけばこんな時間になっていた。


今日は午前中から正午にかけてオンラインセミナーがあった。その後、少々仮眠を取ってから、いつものようにセミナーを補足する音声ファイルを作成していた。


今日のセミナーは、知人の鈴木規夫さんと開催したものであり、冒頭の鈴木さんのプレゼンが大変興味深く、今の自分の学習や実践を見直す上でいくつも重要な投げかけや洞察があり、それに共鳴する形で、随分と多くの音声ファイルを作成していた。


セミナーの時間は質疑応答を含めて2時間ほどだったが、音声ファイルは合計16個、時間にして2時間半ほどとなったので、実際のセミナーよりも長い形となった。音声ファイルの中では、最近の自分の最大の関心事項である神道の話も人間の成長発達と絡めて行った。


神道については本当にまだ学び始めたばかりであり、研究はよちよち歩きの赤ん坊ほどだが、それでもすでに発達理論と絡めていくつか興味深い発見をしているので、それらの一部を音声ファイルを通じて紹介していた。


先ほど聴いていたポッドキャストにおいては、欧米人のスピーカーたちが神道と日本のアニメやゲームとの関係性について議論していて、大変面白く思った。確かに、サブカルチャーにおいてもよくよく表現内容を見てみると、随分と神道的なものを見出すことができる。


神道について説明や紹介をするときに、サブカルチャーに見られる神道の側面について言及すると、理解が促進されるかもしれないということを改めて思った。この点については神道の学習を進めながらも絶えず関心を持っておきたいことである。


音声ファイルの作成が一段落したところ、近所のオーガニックスーパーに買い物に出かけ、その足で書籍の受け取りをした。先日イギリスのアマゾンを経由して注文していた書籍が届いたと連絡があったので、保管所に指定されている電気屋に行き、そこで書籍の受け取りをした。


メールでの連絡にあった通り、40冊ほどの書籍が入った段ボールは重たく、帰り道は大変であったが、それでも書籍が届いたという喜びの方が大きく、段ボールを支えていた腕の疲労も忘れる形で帰路に着いた。


これからダンボールを開け、書物の確認をしていこうと思う。いつものように、書物が届けられた日付を裏表紙の余白に書き込んでおこう。これも1つの儀式的な作業であり、同時に自分にとっては重要な記録でもある。


明日からは今日届けられた書籍を読み進めていこうと思う。それを楽しみに就寝し、それを楽しみに明日は起床することになるだろう。フローニンゲン:2022/3/15(火)20:25

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