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7988-7993: フローニンゲンからの便り 2022年3月11日(金)



No.3392 神の眼_One Eye of a God


本日の散文詩(prose poetry)& 自由詩(free verse)

No.1337, A Ray of the Morning Sun

A ray of the morning sun is guiding me at this moment.

If I follow it, I would be able to arrive at the right place.

Groningen; 08:47, 3/11/2022


No.1338, Amazing Grace

Invisible showers fo amazing grace are falling from down from the heaven.

I’m just fully enjoying bathing them.

Groningen; 15:51, 3/11/2022


No.1339, Continuous Bell Sounds

I can hear continuous bell sounds.

They represent the ultimate reality.

Groningen; 16:22, 3/11/2022


下記のアートギャラリーより、本日のその他の作品(4つ:コメント付き)の閲覧·共有·ダウンロードをご自由に行っていただけます。

本日の3曲


全ての楽曲はこちらのMuseScore上で公開しています。

楽曲の一部はこちらのYoutubeチャンネルで公開しています。

タイトル一覧

7988. 居着きのない往復運動的な研究のあり方

7989. 今朝方の夢

7990. ナラティブの変容/今朝方の夢の続き

7991. 神道研究を通じた自らの精神性の再発見と新発見

7992. 日々の積み重ね/神道における剣の意味と役割

7993. ジークンドートレーニング75:サイドキックにおける実験/防御とカウンターの9番から13番までを練習して


7988. 居着きのない往復運動的な研究のあり方


時刻は午前7時を迎えようとしている。今、遠くの空に朝焼けが見え始めた。


今日もまた日が昇り、新たな1日が幕を開ける。今日もまた新たな発見に満ち溢れた日になるだろう。今日もまた学び大き日になるという確信が今この瞬間にある。


昨日、マーシャルアーツにおいて居着くことが厳禁であるのと同じく、学術研究においても居着くことなく、次々と関心領域を広げていっている自分がいることについて考えていた。


関心領域の拡張は浅薄さを意味せず、居着くことなく様々なトピックを移動し、以前のトピックに戻ってくることを繰り返すことによって、関心領域に関する知識の深さも実現している。今後も居着くことなく、様々な領域を日々横断しながらそれらの領域に関する知識の幅と深さを実現させていこうということを考えていた。


昨日は神道に関する学術書を入手し、それを読み始め、今日もまた神道に関する書籍を読み進めていこうと思う。どんな分野もそうであるが、神道もまた無限に広く深い分野であることを昨日実感した。それに対して思わず笑いがこみ上げてくるほどだった。


神道に関する研究をしていくというような形で漠然としたテーマ設定をしていると、なかなか研究が進んでいかないので、当面はマーシャルアーツの観点から神道にアプローチをしたい。ところがそれだと文献が少ないので研究が難しいというジレンマを抱えていたところ、例えば国家神道に焦点を当て、その思想の危うさはどこにあったのかを切り口として研究を進めてみるのが始めやすいかと思った。


国家神道は明治政府が作り出したものであり、第二次世界大戦の精神的支柱になった思想体系だ。この思想体系の何が危うく、そしてどのようにして戦争に導いていったのかを分析し、現代日本において国家神道が陥ったような危うい思想が蔓延していないかの分析につなげていくのは面白いかもしれないと昨夜考えていた。


神道は歴史の変遷に応じて意味も内容も変わって来た非常に特殊な宗教であるから、神道の思想を歴史的に比較研究することも面白いかもしれないが、研究に現代的な意義を持たせるのであれば、現代日本の思想の中に国家神道が陥った危険な思想がないかを精査していくことの方がより現代的な意味があるかもしれないと思ったのである。


また、国家神道と戦争の関係について研究することは、広義のマーシャルアーツの研究にもなっている。もともとマーシャルアーツは、その名の通り、戦争の(martial)ための技術ないしは芸(arts)だったのだから。


さらに研究を広げていくのであれば、例えば、イスラム教の思想と戦争やテロとの関係を調査し、それを国家神道と戦争の関係に関して比較することもできる。そうすれば、比較宗教的な研究にもなる。


このように、これからの研究は大きくは神道とマーシャルアーツを起点に据えて、あとは自分の関心の赴くままに、時には細かいところに入っていき、時には大きな形で研究をしたりするということを繰り返していこうと思う。これが居着きのない往復運動的な研究のあり方だ。フローニンゲン:2022/3/11(金)07:07


7989. 今朝方の夢


今日もまた天気に恵まれるとのことなので、2日に1回のペースで行っているジムに今日も行こう。ジムに行く前に、ジークンドーの防御とカウンターの9番から12番の技に関してロビンさんの動画を見ておこうと思う。余力があれば13番までの5つを確認しておきたい。


動画で見たことを今日のジムでの自主トレーニングで鍛錬したい。また、昨日学習したバウンスステップについても、手技や足技と組み合わせて、インタバールトレーニングのような形でシャドートレーニングをしようと思う。そのような楽しみが今日のトレーニングにはある。


今朝方はいくつか断片的な夢を見ていた。夢の中で私は、木造建築の家の2階にいた。それは現実世界の今の自分の家と似たような作りをしていた。


ちょうどいい具合に、床の木目がジークンドーのステップの練習の目安にするには最適であり、そこで私はまずステップの練習をしていた。それをしばらく行っていると、シャドートレーニングがしたくなり、ここでも床の木目を目印にしてシャドートレーニングを始めた。そのような夢をまず見ていたのを覚えている。


これは確かに夢なのだが、現実世界で昨日実際に行っていたことであり、寝る前には寝室のタイルの線を使ってステップとシャドートレーニングをしていた。それが夢の世界に影響を与えたのかもしれない。


次に見ていた夢は、薄暗い欧州のどこかの国にいたものである。季節は冬のようで、雪が所々積もっていたのだが、辺りが如何せん暗いものだから、雪が白く見えなかった。そんな場所に私は、ロープウェイを使ってやって来た。


ロープウェイもまた変わったものであり、なんと一本のローブを渡され、それを銅線なのか鉄線なのかわからないが、山から街までをつなげている線に括り付け、足が宙ぶらりんの状態で山から街まで降りていった。


係員からプラスチックのバナナの模型を渡され、これは何かと思ったら、どうやらそれをロープのくぼみに差し込むと、椅子代わりになるとのことだったが、そんなものが椅子の代わりになるはずはないと思った。万が一椅子になったとしても、ロープウェイが動いている最中に外れてしまう可能性もあり、とても危険だと思った。


だが、ものは試しということで、バナナの模型をロープのくぼみに差し込んで、椅子を作ってみた。もうロープウェイが出発するとのことだったので、椅子の頑丈さを確認する時間がなく、すぐさまバナナの椅子に腰掛けた。すると、意外と頑丈だったので、これだったら大丈夫かと思ったが、念のため椅子が突然抜けてしまった時のために、手でロープ本体をしっかり握りしめることにした。


他の人たちはどうしているのかを確認してみたところ、他の人たちは椅子に心地良く腰掛けていて、私のように警戒している人はいないように見えた。だが私からすると、それは危機意識の欠如に思えたし、自分以外のものを過度に信頼しすぎのように思えた。


なんとか何事もなく無事にロープウェイを降り、そこからはタクシーに乗って空港に向かおうと思った。辺りには日本人は少なかったのだが、偶然にもその場で見知らぬ若い日本人女性と遭遇し、そこからは彼女と一緒にタクシーを探そうと思った。


すると、偶然にも目の前に止まったタクシーに父が乗っていて、そのタクシーに相乗りさせてもらおうと思った。車内で父と近況報告をし合い、それがひと段落ついたところで、私は突然用事を思い出し、タクシーを降りた。その用事とは、知人の方々とZoomミーティングをすることであり、それが終わったら、そこからは自力で空港に向かおうと思った。フローニンゲン:2022/3/11(金)07:26


7990. ナラティブの変容/今朝方の夢の続き


先ほど、朝の呼吸法のエクササイズと動的ストレッチを終えた。これから朝の創作活動に入ろうと思う。その前に先ほどふと、自分の日々は自らの物語の小さな変容プロセスであることを思った。


毎日、自己と人生に伴うナラティブが少しずつ変化しているのを感じる。物語の小さな変化を受けて、自己と人生はまた新たな場所にゆっくりと歩みを進めている。そのような姿が脳裏に浮かんだ。


そういえば、今朝方はもう1つ夢を見ていた。周りがどのような場所であったかは忘れてしまったが、数人の人たちと一緒に棒を引っ張り合うゲームをしていた。それは単純なようでいて、結構戦術性が高かった。


そのゲームを行っていた場所は、どこかの一軒家だった。床が木でできた部屋でそのゲームに興じていたのを覚えている。この夢は次の夢への橋渡しの機能を果たしていて、次にも何か夢を見ていたが、それについてはもう覚えていない。


今、朝日が燦々と輝き始めた。目の前の裸の木に鳥が止まってる。彼らも日光浴を楽しんでいるのかもしれない。


今日もいつものように、あと1時間半ぐらいしたら、日光浴をしながらまた動的ストレッチをしたり、ジークンドーの技を練習したりしようと思う。これは朝の習慣として定着していて、朝に日光を浴びることによって、快眠がもたらされ、日々の心身の健康の支えになっている。フローニンゲン:2022/3/11(金)08:33


7991. 神道研究を通じた自らの精神性の再発見と新発見


午前中、神道関係の書籍を読み進めていた。端的に、神道の研究は極めて面白い。自分がこれまで全く知らなかった日本の姿が見えてくるのである。


神道の歴史を辿りながら、日本の歴史を辿ることもできているというのは大きな副産物である。神道の研究を通じて、日本の新たな姿が浮き彫りになってくるのに合わせて、自分の新たな側面も自ずから明らかになってくる。日本人としての自らの精神性を再発見及び新発見していることに大きな喜びを得ている。


日本人であるから当たり前と思っていたが、現代日本語を読めること、古典日本語を読めること、漢文を読めることは、神道の研究において大きな助けになるということを改めて思う。平田篤胤の古典日本語を読みながら、自分が獲得して来たリテラシーのリソースについて改めて感謝する。今後、無数に存在する神道の学術書を読み進めていく際に、自分のリテラシーはきっと役に立つはずだ。


具体的な研究テーマとして、いくつかすでにアイデアがある。研究テーマのアイデアは無数に湧いてくる。例えば、GHQによる神道指令とはどのようなものであったのかを研究してみるというのはその1つだ。


GHQの神道指令を通じて、どのように神道が定義づけられ、その後の神道はどのようになり、それがどのように現代の日本文化に影響を与えたのか。そのあたりは非常に気になることである。


今朝方、何気なく朝日を拝んでいたのだが、この朝日を拝むという行為も神道的なものであることを最近になって自覚するようになった。やはり普段自分が何気なく行っていることは、神道的な何かに大きく影響を受けていることがわかる。


今日はジムから戻って来たら、引き続き神道関係の書籍を読んでいきたい。明日からは週末なので、TOEFL対策にかける時間を減らし、神道関係の書籍を旺盛に読んでいこう。フローニンゲン:2022/3/11(金)11:36


7992. 日々の積み重ね/神道における剣の意味と役割


気づきや関心事項に関するわずか1行の記述が後に大きな役割を果たすこと。それを自分は知っているがゆえに、毎日日記を通じて日々の気づきや関心事項を書き留めているのだろう。


現在は神道の研究を毎日少しずつ進めているが、その過程の中で得られた気づきや新たな問題意識、そして研究テーマに関する小さなアイデアを書き留めていくことをこれからも続けていこう。それが蓄積されればされるほど、いつか大きな実りがもたらされるはずだ。


種を撒くこと、そして種に水や養分を与えること。毎日小さく日記を書き続けていくというのはそうした行為なのだ。それがいつか大きな実りと豊作をもたらしてくれるだろう。


古神道における三種の神器の中に、剣があることに関心を向けていた。日本の古流武術において、剣術は極めて重要な位置を占めており、その背後にはやはり神道的な何かしらの思想がありそうだ。


武士道はよく仏教的な教えと結び付けられて語られることがあり、事実武士道の精神の中に仏教的なものを見出すことができるが、そこに神道的なものも見出せるのではないかと思う。その点にも大きな関心があり、これはマーシャルアーツと神道を絡めた研究として成立するテーマだと思う。神道における剣の意味と役割について色々と調べてみよう。


さて、今から1曲ほど曲を作り、ロビンさんの動画を見て、ジムで練習する防御とカウンターの技を学習しておこうと思う。今日は時間がありそうなので、防御とカウンターの9番から13番までの5つを練習しよう。ジムの鏡のある部屋で、自分の姿勢と動きを絶えずチェックしながら、それらの技に磨きをかけていく。


今日はジムのサウナで寛ぐため、自宅に帰って来てからはTOEFLの対策は、スピーキングの問題に対する過去の自分の回答例を音読することにとどめる。午前中にすでに新しい問題を解いていたこともあり、夕方の対策はそれで十分である。


明日からは週末のため、TOEFL対策に充てる時間を減らし、対策はライティングだけを行いたい。土曜日にindependent taskの問題を1問解き、日曜日にintegrated taskの問題を1問解こう。来週末も同様にライティングの対策をして、試験直前の週の平日は代わる代わるライティングの問題を解いて最後の調整を図りたいと思う。


毎日対策に取り組み、その過程をつぶさに書き留めて来たことによって、過去に見ないほどに対策が仕上がっている。そして、そうした姿勢で取り組んできたことによって、試験まであっという間に感じられるほどに充実した時間を過ごしていたように思う。日々は充実感の粒子に溢れていて、それが発する光に満ちたものだと実感している。フローニンゲン:2022/3/11(金)12:40


7993. ジークンドートレーニング75:サイドキックにおける実験/

防御とカウンターの9番から13番までを練習して


時刻は午後4時半を迎えた。先ほど、ジムから戻って来た。今日のジークンドーのトレーニングは大変充実していた。


ここ最近は動画の撮影をしていたこともあり、そこではゆっくりな動きをしていたので汗をかくことはなかったが、今日はじわりと滲むような汗をかいた。その後、サウナで爽やかな汗をかいたので、二重の意味で良い汗をかいたように思う。


今日のトレーニングでは非常に集中力高くそれぞれの技や動作に取り組めていたように思う。前回のロビンさんとのプライベートレッスンで受けたフィードバックに基づき、1つ1つの技の練習に情熱が体現され始めた。


ここで注意しなければならないのは、真剣に1つ1つの技を繰り出すこととテレグラフィックモーションの違いである。後者は雑念や思考が介在し、相手に動きの初動がわかってしまうものだが、情熱を込めて技を出すというのは雑念や思考を消して、ある意味無心の状態で、身体感覚の声に基づいて技を繰り出すことをいう。1つ1つの動きを集中力高く行っていると、自然と心拍数も上がり、良い汗につながったのだと思う。


今日は改めて、サイドキックの際に軸足を入れることの効用を確認した。それにより、股関節の回転力を活かすことができ、同時に足のスナップも効かせることができる。そうした二重の要因で威力のある技を繰り出すことが可能になる。今度サイドキックについても動画で紹介しようと思っていて、その際にもこの点について言及しよう。


それと今日は、自宅で見たロビンさんの動画を参考にしながら、接触法の技術である防御とカウンターの9番から13番までを予習を兼ねて練習した。事前に動画を見ていたことにより、それほど難しさを感じることなく練習ができた。中にはすでに習った技もあり、今回は相手が左利きの場合を想定した防御とカウンターの技術になる。


もちろん、実際にロビンさんと対峙した際にはまた色々と課題が見つかるであろう。また、技のコツや本質部分についても微細なフィードバックをロビンさんからもらえたらと思う。


明日は14番から17番までの動画を見て、明後日は18番から21番までの動画を見よう。そうすれば、月曜日にジムに行く際には1番から21番までの最後の技まで通しで練習ができる。今、良いリズムで毎日ジークンドーの稽古ができていることを嬉しく思う。フローニンゲン:2022/3/11(金)16:48

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