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7936-7941: フローニンゲンからの便り 2022年3月2日(水)



No.3343 神の夢_A Dream of God


本日の散文詩(prose poetry)& 自由詩(free verse)

No.1298, Bhakti Yogi

I’m an bhakti yogi.

I devote myself to the supreme being.

I always serve the divine.

Groningen; 08:59, 3/2/2022


No.1299, Empty Mind

I experienced the empty mind today, too during the martial arts training.

Martial arts training is moving zen for me.

Groningen; 14:54, 3/2/2022


No.1300, My Journey

My journey is always passionate and serene at the same time.

One certain thing is that it is always dynamic.

Groningen; 15:57, 3/2/2022


下記のアートギャラリーより、本日のその他の作品(4つ:コメント付き)の閲覧·共有·ダウンロードをご自由に行っていただけます。

本日の3曲


全ての楽曲はこちらのMuseScore上で公開しています。

楽曲の一部はこちらのYoutubeチャンネルで公開しています。

タイトル一覧

7936. 絶望の肯定的な意味/実存的・霊的奉仕

7937. 今朝方の夢

7938. 8000に近づく日記の数/一筆入魂

7939. 今朝方の夢の続き

7940. ジークンドートレーニング60:組み合わせを意識した練習と上部構造の構築に向けた基礎構造の確認

7941. ジークンドートレーニング61:目をつぶった鍛錬とオンガードポジションに関する気づき


7936. 絶望の肯定的な意味/実存的・霊的奉仕


時刻は午前5時半に近づいている。今の気温は3度と低いが、今日もまた雲ひとつない快晴になるようだ。嬉しいことに、雲ひとつない快晴を示すマークがここから3日連続で続いている。それ以降もまた晴れのようであり、1週間連続で雨マークや曇りマークを見なかったのは果たしていつ以来かと考えてしまう。


昨日、バガヴァッド·ギーターの初読を終えたのだが、この書籍から得るものが極めて多く、再読をするためにまだ机の上に置いている。この書籍は、フローニンゲンの街の中心部の古書店で購入した。それが書籍の冒頭のページの書き込みによってわかる。


そこでふと、明後日に街の中心部に出かける際に、古書店に立ち寄って、神道関係の何か良い書籍がないかを探してみようと思った。街の中心部と自宅の近くの2箇所に古書店があるので、木曜日はまず街の中心部の古書店に足を運んでみて、来週またもう1箇所の古書店に足を運んでみようと思う。どちらの古書店も宗教関係の書籍が充実しているので、神道の書籍もきっとあるのではないかと期待する。


昨夜寝る前に、絶望というものについて考えていた。これは一般的には否定的な意味合いで使われる言葉であり、望みが絶たれた状態のことを指す。しかし、自分の場合はこの言葉の中に肯定的な意味を見出し、人生の様々な局面で絶望的なまでに何かに打ち込んできたことを思い出した。


絶望の肯定的な意味合いとは、それは決して望みが絶たれた状態だけを指すのではなく、望みが入る余地が一切ないほどに何かに打ち込んでいる状態のことを指すということだ。何かに対して専心している状態であれば、それは心が打ち込む対象と一体となっていて、望みなど抱きようがないのではないかと思う。望みとは心に隙間があるときに生まれるか、絶望的な状況に差し込んでくる光のように生まれるかのどちらなのではないだろうか。


望みが入る隙間もないほどに何かに打ち込んできた体験をこれまでの人生の局面局面でしてきた。果たして今はどのような状態なのだろうかとふと考える。心に余裕がありながらも何かに打ち込んでいる状態。それはこれまでには体験したことのない新しい専心の状態だろうか。


今の自分の全ての活動は、きっと至高な存在への献身としてなされているのだろう。自分はその至高な存在に仕える者として、自分の天命·使命をまっとうする形で日々を生きている。


それでいいのだという声が聞こえてくる。それは自分の生き方を絶対的に肯定してくれている。


絶対的な肯定をもたらす声に後押しされながら、今日もまた自分の取り組みを前に進めていき、至高な存在へ献身していこう。それは自分なりの実存的奉仕であり、霊的奉仕である。フローニンゲン:2022/3/2(水)05:44


7937. 今朝方の夢


今日は気温が9度まで上がるが、深夜にはマイナス1度まで気温が下がるようだ。いずれにせよ、今日は雲ひとつない快晴とのことなので、午前10時過ぎには薄着となって日光浴をしながら動的ストレッチをしよう。また、午後にはジムに行き、マーシャルアーツのトレーニングを楽しみながら、サウナで良い汗をかいてこようと思う。


今朝方の夢について今振り返っている。夢の中で私は、見慣れない学校の教室にいた。私は廊下側の右端の後ろの方の席に座っていた。


生徒はまばらに席についていて、1人の女子生徒が私に質問をしてきた。彼女は開口一番、私がなぜ制服ではないのかについて尋ねてきた。その時の私の格好はパジャマのようなジャージ姿だった。


私は制服の着苦しさを指摘し、同時に制服は軍国主義の名残のように思えるため、学校の決まりに反しても自分は制服を着ないと述べた。そのようなことを述べるとふと、普段はスリーピースのスーツかパジャマのようなジャージ姿で外をうろうろしていることに気づき、その差が極端だなと思って可笑しくなってしまい、自分でも笑ってしまった。


すると突然、教室の後ろから何か良い香りが漂ってきた。後ろを見ると、数人の生徒が給食着姿となって教室に入ってきて、昼食を運んでいた。その中に小中高時代の友人(HY)がいて、彼は温かくて美味しそうな麺類を自分のところに運んでくれた。


友人にお礼を述べると、何やら今、新しい麺類の提供に向けて、生徒に試食してもらい、感想を聞いているとのことだった。私の後ろには2人ほど生徒が座っていて、彼らはまた別の麺類を食べているようだった。


友人が運んでくれた麺類に一口つけようとしたところ、中身を見ると豚肉か牛肉らしいものが入っていて、自分は肉類を食べないので、その点を指摘した。学校給食もベジタリアン用の食べ物を支給しないと、それはジェンダー差別や人種差別と同じぐらいに不公平なことなのではないかと思った。


残念ながらベジタリアン用の麺類はないようだったので、私は仕方なく肉類を避けながら何口か麺類を食べた。それはとても美味しかっただけに、肉類が入っていることが残念だった。


友人に感想を伝えると、友人を含め、麺類を運んできてくれた人たちは突然消えた。そして、前の方に座っていた女子生徒が私に、「早く逃げて!」と叫んできた。私は何が起こったのかよく分からなかったが、彼女の表情から鬼気迫るものがあったので、彼女の言う通りに窓から脱出することにした。


彼女曰く、窓の外にある列車に乗り込むと良いということだった。窓の外には3本の線路が通っていて、彼女は一番奥の列車を指差していたので、その列車に乗り込もうと思った。


窓から脱出して列車に向かって走り出した瞬間に、彼女が後ろから、「グリーン車よ!」と述べたので、その列車のグリーン車の車両に向かうことにした。無事に列車に乗り込み、グリーン車の広々とした席に着いたとき、妙な安堵感があった。そのような夢を見ていた。フローニンゲン:2022/3/2(水)05:58


7938. 8000に近づく日記の数/一筆入魂


時刻は午前7時を迎え、辺りはもう随分と明るくなっている。日の出が早くなり、天気が良い日が続くようになったことは実に喜ばしい。ゆっくりとではあるが、着実に春がやって来ている。春の足音が遠くから聞こえてくる季節となった。


ここ最近は、味噌だけではなく、ヨーグルト、キムチ、納豆、コンブチャなどのプロバイオティクス食品を積極的に摂取しており、それが功を奏して、腸内環境が以前よりも良いものになっているのを感じる。それは便を観察していても思うし、身体の調子を観察してみても思う。


腸内環境の良好さが快眠をもたらしてくれていることもわかる。最近は入眠にかかる時間が短くなっていて、深い眠りが実現されている。引き続き、腸内フローラを育てていくことをしていこう。


先ほど、フローニンゲンの街の2箇所の古書店に神道の本が置いてあるかをメールで確認した。もちろん、直接古書店に行く楽しみがあることは見逃せない。古書店で良書と偶然出会うことはその最大の楽しみだと言えるだろう。それは何か人との運命的な出会いの感覚に似ている。


古書店に足を運ぶことにはそうした良さがあることを重々承知の上で、今回はメールで事前に確認しておいた。というのも、今は神道以外の書籍を購入する気分ではないのだ。店からの返信を待ち、もし神道関連の書籍が置いてあれば、ぜひ店に直接足を運ぼう。


気がつけば、日記の数が8000に近づいて来ている。大学時代の頃から日記としてブログを書いていて、社会人になっても細々とブログを書いていた。ところが、ジョン·エフ·ケネディ大学に留学すると、大学院での勉強の忙しさに加えて、日本語に触れることを極力したくなかったので、ブログを書くことはなくなってしまった。


そこからアメリカで4年ほど過ごし、2015年に1年半ほど日本で生活をしていた時の半ばごろから突然ブログを再開させた。それ以来、毎日複数の日記を書いているのだが、仮に毎日1つだけ日記を書いてきたと仮定すると、22年弱毎日日記を書き続けて来た計算になる。これは我ながら立派な継続かと思う。


ただし、8000という数字自体は自分にとって大した意味を持っていない。自分にとって兎にも角にも重要なことは、日記を描き続けることなのだ。これからも愚直に毎日の気づきと発見を日記にしたためていくだけである。日々感謝の念を持って、その感謝の念が自ずから具現化されたものが自分の言葉であり、日記なのだ。


日記について考えていると、そういえば昨夜ふと、森有正先生と辻邦生先生が残した一連の日記について思いを馳せていた。しばらく2人の日記を読んでいないと思い、どこかのタイミングでまた2人の日記を読み返してみたいと思ったのだ。


2人の日記は、自分にとっての魂の養分のようなものである。そこから汲み取れるものは無限にあり、同時に癒しと変容を与えてもらっているような感覚にもなる。


自分の日記も少なくとも、自らの魂を絶えず込めて書き綴っていきたいと思う。「一筆入魂」という言葉がふと生まれた。


この言葉を体現する形で、自分の魂の体現的表現として、毎日日記を書き続けていこう。それが自分の魂を行くべきところに連れて行ってくれるだろし、他の魂の同伴·激励をもたらすことにもなるかもしれない。フローニンゲン:2022/3/2(水)07:44


7939. 今朝方の夢の続き


時刻は午前9時を迎えた。神々しい朝日が地上に降り注いでいて、地上の生命体が喜びの歌を歌っているかのようだ。自分もまたその恩恵に与っていて、朝日の恵みを存分に享受している。


朝日の呼吸と自分の呼吸のリズムが重なり合い、そして共鳴し合っている。自分は太陽の呼吸をしているようだ。それは同時に地球の呼吸でもある。何せ地球と太陽は相互に影響し合っているのだから。


手元のメモを見ると、まだ振り返っていない今朝方の夢の場面があったので、それについて振り返っておきたい。夢の中で私は、どこか大きな組織の会長と会食をしていた。時刻は昼で、会長行きつけの中華料理屋に招待していただき、そこで昼食をご一緒した。


料理は全て美味しく、話も弾み、今後も協力して仕事を進めていこうという形で会食を終えようとしていた。すると、店の会計係の女性がやって来て、領収書ではなく請求書の有無を会長に尋ねた。


会長は請求書をお願いし、少し待つと会計係の女性は請求書を持ってやって来た。先ほどから少し気になっていたのだが、会計係の女性の表情は仏頂面であり、私たち客に対する態度も敬意を欠いているように思えた。


請求書を受け取った会長は暫し考え込んだ表情を浮かべていた。「どうしたのですか?」と尋ねると、会長は、「いや、ちょっと請求書の金額がおかしんじゃないかと思って···」と述べながら浮かない顔を浮かべていた。


「ちょっと請求書を見せてもらえますか?」と尋ねて請求書を見せてもらうと、請求金額を算出する数式におかしなものがあることに気づいた。それを会計係の女性に指摘すると、「器の10cmです」という意味の分からない回答が返って来た。


実は私はその意味を一瞬で理解していたのだが、なぜその項目を請求書に組み入れたのかが理解できなかったのだ。彼女の言い分を聞く前に私は、「仮に器の大きさを請求金額に組み入れるのであれば、それはどのような理由によるものでしょうか?この請求書にあるように、料理の総合計金額に対して器の大きさを変動費として計上しているようですが、なぜ固定費扱いではないのですか?と尋ねたところで、おそらく変動費と固定費の意味がわかっていないと思いますので、それらについても解説しますね。まず変動費というのは···」という形でその女性を問いただしながら自分の意見を述べていった。


結局その女性は私たちに納得のいく回答を提示することができず、どうやら私たちをカネを持っている客としてカモにしようとしたのだと思った。そうした扱いを許せなく思い、最終的に私は、「器の大きさを請求金額に含めた明確な根拠が分かりませんので、今回は食べた分の料金だけ支払わせていただきます」と述べた。


その場にずっといた会長は、私が全てを仕切って問題解決したことを驚いているのと同時に、感謝の念を持っているようだった。そのような気持ちを持っていることが会長の眼差しからわかった。


私は会長に挨拶をして、昼食のお礼を最後に述べた。会計では煩わしいことがあったが、最後に別れる頃にはお互いに晴々とした気分であった。フローニンゲン:2022/3/2(水)09:15


7940. ジークンドートレーニング60:組み合わせを意識した練習と上部構造の構築に

向けた基礎構造の確認


時刻は午前11時を迎えようとしている。午前中のTOEFL対策が早めに終了したので、今日は午後からジムに行くが、その前にジークンドーの自主トレーニングを自宅で行った。


その前に準備運動がてら、日光浴をしながら動的ストレッチを行なっていた。晴れた日の朝はこれを行うことが日課になりつつある。今日も15分弱、朝日を全身にたっぷり浴びながら体をほぐし、大変気持ちの良い状態になった。


そこからまずは、ジークンドーの代名詞であるストレートリードをサイドステップと組み合わせて行う練習を行った。実際のところは、サイドステップとプッシュステップの組み合わせだと言った方が正確だろう。


例えば、右にサイドステップをして、そこからすかさず前方にプッシュステップを行い、ストレートリードを打つということを行っていた。これは左方向の動きでも同じである。最近はこのように、過去に習った技を組み合わせる練習をしている。


1つ1つの技を丁寧に練習していき、点としてその技が身について来たところで、今度は実践的にそれらを線として組み合わせる練習をしている。そこからいつか面や立体が形成されると思うが、まずは確固たる点を構築していき、それに準ずる形で強固な線を作っていく。それらが土台となって初めて上部構造の面や立体が構築されていく。


こうした組み合わせの練習をしていると、改めてその要素になっている点としての技に意識が向かう。今回は、プッシュステップの際には、利き足はかかとから着地するのか、爪先から着地するのかが曖昧になっていて、もう一度基本に立ち返ると、前方に移動する際には基本的にはかかとから着地することを確認した。


後方へプッシュステップする際には、前足の上足底を使って後ろにプッシュすることも重要なポイントだ。前方への移動においてかかとから着地すると言っても、ジャンプするように頭を上下させてはならない。重要なことは、床スレスレの水平移動を実現させることだ。これは後方へのプッシュステップにおいても同様である。


午後からジムに行ってトレーニングをする際には、午前中に行った動きを鏡を見ながら確認したい。今日は基本的にサンドバックを打つことなく、鏡を見ながらのシャドートレーニングを行おう。


というのも、素手てサンドバックを打っていると、ジャブやストレートの当て方が悪い時があり、右手の人差し指の皮が少し損傷してしまっていることに気づいたのだ。その箇所を労り、修復を促す上でも、今日はサンドバックを叩かないことにする。もちろん、蹴り技に関しては特に足に怪我はないので、サイドキックの練習の際には少々サンドバックを蹴って感触を確かめようと思う。フローニンゲン:2022/3/2(水)11:01


7941. ジークンドートレーニング61:目をつぶった鍛錬とオンガードポジション

に関する気づき


時刻は午後4時半を迎えた。先ほど、穏やかな夕日を浴びながら自宅に戻って来た。


ジムの行きと帰りに通るノーダープラントソン公園には、春の花が随分と咲いていて美しかった。実際に、一眼レフカメラを持って熱心に写真を撮っている人もちらほら見かけた。


今日のジムでの自主トレーニングでは、心拍数に着目し、心拍数が上がり、呼吸が乱れたら、その都度呼吸を整えて心拍数を回復させる鍛錬をしていた。この鍛錬を続けていけば、何かあった際に瞬時に心拍数が上がっても、平常心に素早く戻れるようになるはずだ。


今日は、防御とカウンターの8つの技に関して、目をつぶりながら実践をしていた。目を開けながらでは感じられないことを感じるようにし、身体の内側の感覚を信じながら一連の流れを稽古していった。すると、あるところで自分のフォームが崩れていることに気づき、それを自然と修正するような意識が働いていた。


例えば暗闇や目が塞がれてしまった場合など、目に頼れない状況においてもこれまで習った技が繰り出せるようにしていくためには、目をつぶって行うトレーニングは最適かと思う。今後も適宜このトレーニングをメニューに組み入れようと思う。


今日は改めて、オンガードポジションに関して、利き手と利き足のラインを意識していた。これはこれまで見落としていたことであり、このラインもきっと重要なのではないかと思う。別にロビンさんに指摘されたわけでも、DVDで言及されていたわけでもないが、自分なりにこのラインの重要性が浮かび上がって来た。


この発見については実験と共に、ジークンドーの解説書を調べてみようと思う。ジークンドーがフェンシングから強い影響を受けていることを考えると、そしてオンガードポジションはフェンシングの構えから着想を得ていることを考えると、フェンシングの構えも調査してみようと思う。そこに自分の問題意識に対するヒントがあるはずだ。


そういえばジムに行く前に、今朝方古書店に送っていたメールの返信があった。返信があったのは街の中心部の古書店であり、どうやら1冊ほど神道に関する書籍があるようだった。


しかし、それはドイツ語のものだったので、購入を見送ろうと思う。仮にドイツ語の読解力があればこの書籍を購入できたことを思うと、様々な言語のリテラシーがあると知的世界がどれだけ広がることかと思う。


自分の研究分野に関しては妥協を許さず、関連文献が英語以外のものが多い場合には、積極的にその言語のリテラシーを高めていこうと思う。フローニンゲン:2022/3/2(水)16:41

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