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7791-7797: フローニンゲンからの便り 2022年2月2日(水)



No.3237 第四のチャクラ_Fourth Chakra


本日の散文詩(prose poetry)& 自由詩(free verse)

No.1199, Morning Serenity

I’m being embraced by morning serenity right now.

It opens my heart and activates my psyche.

Today will be glorious.

Groningen; 05:35, 2/2/2022


No.1200, Martial Arts Training & Spiritual Health

Martial arts training cultivates not only my physical and mental health but also spiritual health.

A true martial artist must be in a healthy state of body, mind, and soul.

Groningen; 16:05, 2/2/2022


No.1201, My Passion & Calling

My calling is to contribute to physical, mental, and spiritual health of people by my knowledge and skills of martial arts.

This is my passion, too.

Groningen; 16:11, 2/2/2022


下記のアートギャラリーより、本日のその他の作品(4つ:コメント付き)の閲覧·共有·ダウンロードをご自由に行っていただけます。

本日の3曲


全ての楽曲はこちらのMuseScore上で公開しています。

楽曲の一部はこちらのYoutubeチャンネルで公開しています。

タイトル一覧

7791. 今朝方の夢

7792. 生理学的な観点からのマーシャルアーツの探究に向けて

7793. 無意識の指令を活用した身体操作/運足と歩行の探究

7794. 歩行の試行錯誤

7795. ジークンドートレーニング35:身体感覚を感じながら

7796. マーシャルアーツのスピリチャルヘルスへの貢献

7797. 地図としてのマーシャルアーツ/在り方


7791. 今朝方の夢


時刻は午前4時半に近づいている。昨日、神道の雰囲気の良い音楽CDを見つけ、昨日からずっとそれを聞いている。


早朝の今も、日本を感じさせてくれるような神道の音楽が部屋に静かに鳴り響いている。どうやら外は風が強いようで、和の音楽に満ちた部屋の外を時折轟音を上げた風が吹き抜けている。


今朝方は起床前に夢を見ていた。夢の中で私は、仮設の展覧会会場にいた。そこには北欧の博物館においてあるような木造の小舟などが飾られていて、私は興味深く展示品を眺めていた。


するとある部屋に、小中学校時代の女性友達が3人いた。3人のうち2人は双子であり、彼女たちと偶然あったので、せっかくだから一緒に展示品を見て回ることにした。


しばらく展示品を見ていると、少し休みたくなったので、私は近くにあった椅子に腰掛けた。すると突然、自分の体は山岳地帯にあった。そして、私の横には小中高時代のある小柄な友人(YU)がいた。


私たちは山の中腹にある釣り場に向かっているようだった。実際に、私たちの手には釣竿があった。山の中腹にある溜池のような場所でブラックバスが釣れるらしかった。


釣り場に到着してみると、すでに何人かの友人がいて、友人たち曰く、どうやら今、山にある様々な溜池や沼、そして湖をひっくるめてバスフィッシングの大会が行われているようだった。私は特に大会にエントリーをしていなかったので、気楽に釣りをしようと思った。


そのような夢の場面の後、日本の有名な女性歌手と話をしている場面があった。彼女は私よりも幾分年上で、私が若い頃は大々的な人気のあった歌手である。当時はよく彼女の曲を聴いていたし、今でも時々懐かして彼女の曲を聴いている。


そのような話を彼女にしたわけではないが、実際に会ってみると、彼女はとても親しみやすく、話しやすかった。てっきり私は初対面だと思っていたのだが、彼女の話からすると、私たちはすでに友達のようだった。


しばらく話をしていると、その場が雰囲気の良いレストランに変わり、せっかくなのでご飯を食べようということになった。注文が運ばれてくる前に、ふと周りを見渡すと、近くのテーブルに私の古い友人が数人座っていることに気づき、彼らに話しかけにいくことにした。


ちょうどこれから、歌手の友人と食事を一緒にするということを彼らに伝えると、彼らも私たちと一緒に食事をしたいというような表情をしたが、彼らは気を遣ってくれ、そのようなお願いをすることなく、「それでは食事を楽しんで」と言ってくれた。私は再び彼女が待つテーブルに戻り、そこからまた彼女と談笑をしながら料理の到着を待った。フローニンゲン:2022/2/2(火)04:48


7792. 生理学的な観点からのマーシャルアーツの探究に向けて


先ほど、午前中の身体操作のトレーニングの1回目を行った。午前中はまだ十分に時間があるので、後ほど2回目の鍛錬を行いたい。


さて、先ほどのトレーニングを通じて、マーシャルアーツの動きの奥深さに改めて感銘を受け、人間の身体操作の可能性を生理学的に研究したいという思いが湧いてきた。


このところは思想面へ傾注していて、科学研究に従事することはもはやないだろうと思っていたが、自分がこれまで取得した3つの修士号のうち、2つは理科系のものであることを考えると、そこで培われた科学者としてのマインドやスキルというものを完全に封印してしまうことはもったいないのかもしれないと思った。


というよりも、それらを完全に封印することなどできず、日々のマーシャルアーツの鍛錬においても知らず知らずのうちに、身体動作の1つ1つの根理を突き詰めていくような姿勢や、仮説と検証を含めたトライアンドエラーをするような姿勢には、科学者として活動してきた時の名残が滲み出している。


マーシャルアーツにおける身体操作を科学的に研究する際に、生理学の分野がいいのか、それともスポーツ科学の分野に身を置くのがいいのかはよくわかっていない。マーシャルアーツはスポーツではないため、スポーツ科学の領域に身を置くのは少し気がひけるが、ひょっとしたら自分の研究を行う上ではスポーツ科学学科の方が行いやすいのかもしれない。


いずれにせよ、これは先ほど生まれたアイデアであるため、まだまだ生煮えであり、まずは神学大学院でマーシャルアーツの思想的·歴史的な側面を研究することが先である。その後、科学の観点からマーシャルアーツをじっくりと探究していけばいいのだ。


先ほどトレーニングをしている最中に思ったのだが、日々マインドフルネスにマーシャルアーツのトレーニングをしているためか、認知機能に変化が見られ、意識状態もより平穏な色調を帯びているような気がする。


マーシャルアーツのトレーニングは、スポーツ的な運動とはやはり違い、とにかく1つ1つの身体操作をつぶさに見つめていかなければ、身体操作が精密なものになっていかない——スポーツにおいてもそのような要素はあるはずだが——。


スポーツとの線引きをもう少し明確にすると、筋肉や力に頼ったり、それを大きくしていくことに主眼を当てるような形でトレーニングをするのではなく、マーシャルアーツにおいては今ある筋肉や力をどれだけ有効かつ最大限に活用することができるのかを突き詰めていく側面があるように思う。


そのようなことから改めて、マーシャルアーツのトレーニングは運動ではないという明確な意識を持つことを肝に命じている。兎にも角にも身体の声を聞き、身体感覚を微細に感知していく鍛錬とその涵養を行っていこう。そして、微細な身体操作を実現させていくための鍛錬を継続させていこう。そのようなことを改めて思った次第だ。フローニンゲン:2022/2/2(火)09:08


7793. 無意識の指令を活用した身体操作/運足と歩行の探究


つい今し方、午前中の2回目のトレーニングを終えた。その際には、意識を用いて身体を動かすのではなく、無意識の指令に基づいて身体を動かす鍛錬を行っていた。


これは例えば、指の形が変わるだけで身体の可動領域が変わってきたり、身体のある特定の箇所に触れたり、さすったりすると、身体が繋がり、より可動領域が広がることを応用した鍛錬だ。


意識的に動かせる限界を超える形で、無意識の指令に基づくと、身体の可動領域がさらに拡張されるのは本当に面白い現象である。この現象を体験していると、意識というのはひょっとしたら身体にブレーキをかける働きをしているのではないかと思ったのである。


もちろんブレーキをかけることは時に重要なのだが、現代人の身体操作は基本的にブレーキ過多なのかもしれない。うまく無意識を活用することができておらず、身体を駆動させるアクセルが眠ったままなのだ。そのようなことを思わされた。


先ほどの鍛錬は、身体の調整やマッサージにも活用できるので、今日の午後にジムに行き、サウナに入っている時にはマッサージに先ほどのトレーニング内容を応用したい。


改めて午前中の1回目のトレーニングの内容を思い出している。それを通じて、運速の研究をもっとしていこうと思った。その際には、剣術における運足が参考になるかもしれない。


ジークンドーにおけるプッシュステップにおいては、とにかく蹴らない、飛ばないという感覚で行う必要がある。蹴ったり、飛んだりしてしまうと、そもそも相手に初動に気づかされてしまうし、運動エネルギーの無駄でもある。


前後に動く際には——水平移動もそうだが——、とにかく体重移動をうまく活用することが重要だ。この原理は歩行においても当然活きてくる。むしろ歩行から出発しなければならないのかもしれない。


体重移動を使った無駄のない歩行ができて初めて、マーシャルアーツの前後·水平移動が可能になるように思えてくる。普段歩く際には、足を持ち上げてしまいがちだが、そうした感覚で歩行を行うのはなく、体重移動を利用して、体が前に倒れていくような感覚で、それに体をついていかせれば運動エネルギーの無駄のない歩行が可能になるだろう。


この歩き方に習熟すれば、体重をうまく乗せて動作を繰り出すことができるようになってくるだろう。ちょうど今から、注文していた荷物を受け取りに近所に出かけていく必要があるので、早速そこでこの歩行の仕方を試してみよう。これも継続が命である。フローニンゲン:2022/2/2(火)10:31


7794. 歩行の試行錯誤


つい今し方、書籍の受け取りから戻ってきた。指定されたのは、以前も荷物が配達されたことのある小さなホテルであった。


イギリスを含め、オランダ国外から書籍が届く時、過去に稀にこのホテルが受け取り場所に指定されていることがあった。受け取った書籍は、ブルース·リーが執筆したジークンドーに関するものだった。


さて、ホテルまでの行きと帰りに早速歩行について意識的に取り組んでみた。歩行というのは奥が深く、当然ながら武術の達人が行っていたような運足は最初からできない。


そもそも現代社会の中で自然と行われている歩き方に身体が染まってしまっているのだから、なお一層のこことその矯正と改変は難しい。このように考えてみると、歩行というのも文化的な産物なのだということがわかる。インテグラル理論の4象限を持ち出すまでもないが、個人の歩行は人類が生み出した文化や環境によって影響を受けている。


前に倒れるような形で体重移動させ、その力を慣性の法則的に連続的に推進力に変えながら歩いてみようとしたが、これがなかなかに難しい。意識したメカニズムを身体で表現するには相当なハードルがありそうだった。


そこで少しイメージを変えて、まずは中丹田をさすりながら、中丹田が前方に自然と引っ張られていくような、前に導かれていくようなイメージを持ってみると、足がすっすと出ていくような感覚があった。


ここ最近はもうナンバ歩きを別に意識しておらず、それよりも体重移動を意識した歩きの方がマーシャルアーツへの応用が効くように思えたので、色々と試行錯誤をしている最中だ。前に倒れるような意識を持ってしまうと、背筋が前傾しやすく、そうするとエネルギーが背筋が曲がった方向に分散してしまう。


背筋が曲がってしまった老人がなんとか歩こうとする際に、仙骨に手を当てて歩いている姿を想像すると、やはり仙骨は少し前に入れるような形で歩いた方が歩きやすいのだろうと思い、仙骨は入れるようにしている。今のところ意識しているのは、正中線はきちんと保ち、背筋をよくした状態で、中丹田が前に導かれていくような形でスッと歩いていくことである。


午後にジムに行く際には、それらに意識を向けて歩行の練習を行ってみよう。歩行の練習をするというのは変に聞こえるかもしれないが、本来は箸の上げ下げを含めたこうした日常の所作を見直さなければ、マーシャルアーツの実践者と言えないのではないかと思う。


兎にも角にも、これまでに染み付いた身体操作を全てアーンラーニングするような心意気で、日常の様々な身体操作を見直していきたい。特に歩行に焦点を当てて、色々と試行錯誤し、本当の意味で全身運動を体現した歩きを実現させていこう。すると体も心もより活き活きとするはずだ。フローニンゲン:2022/2/2(火)11:31


7795. ジークンドートレーニング35:身体感覚を感じながら


時刻はゆっくりと午後5時に近づいてきている。最近は、日没の時間が少し伸びた。その証拠に、今、穏やかな夕日が地上に降り注いでいる。


フローニンゲンは本当に平穏な街だとつくづく思う。フローニンゲンは学生都市であり、オランダ北部の中では大きな街だが、日本の人口密度と比べると比較にならないほどである。


今日は平日なのだが、平日とは思えないほどに平穏な雰囲気が朝からこの時間帯までずっと流れていた。そんな中、今日も先ほどまでジムに行き、ジークンドーの自主トレーニングを行い、サウナに入ってくつろいできた。


ジムの鏡のある部屋では、ジークンドーを主に鍛錬し、休憩がてらシステマの4大エクササイズを時折織り混ぜている。今日のジークンドーのトレーニングでは、早い動きではなく、とにかくゆっくりと精度高く動作を行うことを心掛けた。


早い動きをしようとして自分の身体感覚を見逃してはならないのである。早く動こうとすればするほどに、その動作の本質を見失ってしまう。


外形上その技がうまくできたように見えたとしても、本質部分にある身体感覚を体得していなければなんの意味もないのだ。自分を誤魔化してはならないということをつくづく思う。とにかくゆっくり動き、1つ1つの動作を大切にし、身体感覚と運動線を精度高く確認しながらトレーニングを行っていた。


昨日、ロビンさんからチェックインがてらメッセージがあった。そろそろ次回のプライベートセッションの予約をしておきたいと思う。少しこちらからも要望があるので、今夜にでもメールをしておこうと思う。


相手に無意識反射させずに動作を実現するのがマーシャルアーツの技の本質であるが、そのためには思念·想念·雑念をどれだけ抑えることができるかが鍵を握る。実際には、それらを一切介入させてはならないのだ。


思念·想念·雑念が発生すると、必ず相手に気づかれる。なのでそれらを生起させないぐらいに心を鍛錬していく必要がある。


静寂な心を保つ練習を常日頃からしていなければ、そのような状態を相手と対峙している時に実現することはできない。thinkingしてはならず、とにかくfeelingを大切にしよう。


もちろん、練習を内省することには思考が伴って然るべきだが、鍛錬の中では思考的な気づきよりも身体的な気づきを大切にしたい。


今日のトレーニングの中で、色々と状況をイメージすることを行っていた。例えば、相手と接触している時には、相手の力が働いているベクトルを感じるようにすることをイメージしていた。


そのベクトルに拮抗するような力をかけてしまうと力勝負になってしまうので、ベクトルをずらして体重をかけたり、抜いたりする。あるいは、あえて同じベクトル方向に動くことによって相手をいなすこともできる。


今日のトレーニングも充実していたことから、今夜の夕食もきっと美味しいだろう。フローニンゲン:2022/2/2(火)17:00


7796. マーシャルアーツのスピリチャルヘルスへの貢献


先ほど近所オーガニックスーパーから帰ってきたのだが、嬉しいことに納豆が売られていることに気づいた。オランダではまだ1度も納豆を食べたことがなく、実家に帰省している時ぐらいにしかもう納豆を食べなくなっていたので嬉しい限りだ。


最近はプロバイオティクスが豊富な食品を積極的に摂るようにしていて、キムチを食べ出していたこともあり、久しぶりに今日から納豆キムチを味わおうと思う。


今日、ジムのサウナに入っている時にふと、マーシャルアーツの鍛錬は、自分のフィジカルヘルスやメンタルヘルスだけではなく、スピリチャルヘルスの健康も促進していることに気づいた。ここに再びマーシャルアーツの現代的な意義を見出し、同時に自分のこれからの活動の方向性を見出したような気がした。


当然ながら、現代人がそれらの健康を損ねている構造的問題にまでアプローチをしていかなければならないが、マーシャルアーツには苦抜与楽の効能があるのだから、それを積極的に多くの人に伝えていく活動にも従事したいと思うようになったのである。


自分がマーシャルアーツの鍛錬を真剣に始めたのは、きっとそれを天命として生きていくことへの導きだったのだと思う。マーシャルアーツが持つスピリチャルヘルスの促進についてはこれからより考察を深めていこうと思う。


今日はサウナで身体の様々な箇所をほぐしていった。現在、2日に1回サウナに入っており、見る見るうちに心身の健康度が高まっている。


前回と同様に、3回目のサウナに入る時には、内臓を十分にマッサージした。無理をしない程度に、横隔膜という重要な筋肉を上に持ち上げるバンダをしたり、内臓のある箇所に外から指を入れていって深いマッサージをしていった。


日々、マーシャルアーツのトレーニングだけではなく、こうしたケアないしはコンディショニングも大切にしている。健全な心身の実現においては、鍛錬と治癒の両輪がなければならない。


そう言えば、ここ数日間は背骨の1つ1つの関節の隙間を広げるようなエクササイズも行っている。背骨への意識が高まれば高まるほど、日頃の姿勢がよくなっているように思う。背骨と姿勢については絶えず意識したいものだ。フローニンゲン:2022/2/2(火)17:22


7797. 地図としてのマーシャルアーツ/在り方


穏やかな呼吸と共に夕食を摂り始め、穏やかな呼吸で夕食を摂り終えた。活動の全てに確かな呼吸がある。


夕食を摂っている最中に、今自分が従事しているマーシャルアーツのジークンドーもシステマも、1つの地図なのだという気づきがやってきた。そして、長らく細々とではあるが実践を積み重ねてきたヨガもまた1つの大きな地図なのだという気づきがやってきた。


いずれも向かう先は共通した広大な地図なのだ。それはあくまでも地図であり、その地図を携えて、自分の現在地を知り、自分がどのようにこの世界の中を生きていくかが求められる。そこでは在り方が問われるのだ。在り方について、1つ考えていたことがあった。


経済システム、政治システム、教育システムなど、現代社会を構築している種々のシステムには確かに構造的問題が山積みである。それらの解決に向けて尽力しなければならないが、それが解決·改善されたところで、そのシステムに乗っている人間のあり方が変わらなければ何の意味もないのではないだろうか。


マーシャルアーツは、私たちの在り方を問い、在り方を変容させてくれる力を持っている。だからこそ自分は、いったんマネーやテクノロジーの内在論理と構造的問題の探究を脇に置き、マーシャルアーツの探究と実践に入ったのだと思う。


現代は人間の在り方を問うているのではないだろうか。私たちは問われているのである。


時代と世界そのものが突きつける問いに向き合うこと。その問いは、私たちの根本的な在り方そのものを問うている。そのような気づきがやってきた。


気がつけば辺りは暗くなっていた。静寂さに包まれたフローニンゲンの夜の世界。確かにここは静寂さに包まれているが、それでも自らにその在り方を問うていることは間違いない。


自らの在り方を問うこと。日々のマーシャルアーツの鍛錬はそれを自分に促している。


今夜は少し読書をしよう。現在、日々少しずつではあるが着実にマーシャルアーツに関する書籍の読書が進んでいる。少しずつと言ったが、毎日少なくとも1冊は読了している。


これまでは毎日3冊から7冊ほど学術書を読んでいたが、それは異常だったのかもしれない。今はゆったりと、毎日1冊程度の読書に留めている。


最近の読書はもっぱらヨガマットの上で行っていて、本を片手に体をマッサージをしたり、ストレッチをしたりしている。姿勢を整えるためにヨガマットの上で正座や割座などもしている。


このようにして、肉体、心、精神が日々少しずつ涵養されていっている。明日もまたマーシャルアーツの地図を携えて、確かな一歩を歩み出そう。フローニンゲン:2022/2/2(火)19:23

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