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7332-7334: フローニンゲンからの便り 2021年9月16日(金)



No.2698 クロス_A Cross


本日の散文詩(prose poetry)& 自由詩(free verse)

No.906, The Avatamsa World

My inner world is that of Avatamsa.

It is replete with dynamic and creative images.

Groningen; 08:30, 9/16/2021


No.907, Social Critique as Pharmakon

Social critique can be pharmakon.

It should be remedy for the society.

Groningen; 10:02, 9/16/2021


No.908, Our Life & Creativity

Our life itself is a series of creative activities.

We create our life through learning by doing.

Groningen; 17:27, 9/16/2021


下記のアートギャラリーより、本日のその他の作品(4つ:コメント付き)の閲覧·共有·ダウンロードをご自由に行っていただけます。

本日の3曲


全ての楽曲はこちらのMuseScore上で公開しています。

楽曲の一部はこちらのYoutubeチャンネルで公開しています。

タイトル一覧

7332. 華厳的な内面世界/今朝方の夢/3Dヴァーチャルアートへの関心

7333. ゲーム創作に関する備忘録

7334. ブロックチェーン技術を活用したゲームを遊んでみて/人生という創作活動


7332. 華厳的な内面世界/今朝方の夢/3Dヴァーチャルアートへの関心


時刻は午前7時半を迎えた。辺りは明るくなり、小鳥たちが活動を始めた。彼らの鳴き声が時の流れに溶け出している。


存在も与えられ、時間も与えられたものなのかもしれない。全ては与えられたものであるという感覚が走る。


昨夜、自分の内面世界が改めて華厳的なものであるという気づきがやってきた。創作活動はそれを豊かにするものであり、活動の源に華厳的な何かがある。


創作活動の個人的な動機は、自分の内側の華厳的世界を花開かせることである。仮に社会的な動機があるとすれば、それは自分の創作物に触れた人が自らの創作活動に乗り出すきっかけになればというものだろう。


感動を与えるような創作物でなくていいのだ。その代わり、自分の創作活動が他者に何らかの肯定的な感染をもたらすことができればと思う。


今朝方の夢の世界はどこか落ち着いていたように思う。夢を思い出そうとしたら、それは再び活性化するだろうか?


夢の中で私は、バーチャルリアリティのゲームの世界にいた。その世界では魔法が使えたが、私はそれを使うことを極力控えており、現実世界と何も変わらない形で街を歩いていた。


どのような経緯か忘れたが、気がつくと私はバトルフィールドにいて、誰かと戦おうとしていた。そのような夢の場面があった。


断片的ではあるが、その他にも、春の京都を思わせる街にいた。ただし、その街もバーチャルリアリティのようだった。


その夢か、続く夢の中で、私は誰かに対して怒りを露わにしていた。その人が社会悪のような行動を取ったことに対して、私は怒りの感情を表現していたように思う。


その他にも、もう少し重要な夢があったように感じている。それが何かに蓋をされているような感覚だ。その夢は近未来の都市が舞台となっていて、そこで自分は何かの問題の解決に向けて奔走しているようだった。


今朝方の夢はとても断片的であった。夢そのものは統合的な物語を持っていたのだが、記憶が断片的になってしまっているのである。夢も記憶も、どちらも共に自分の内面世界の現象なのだが、それらが統合的な形で現れたり、断片的な形で現れたりすることが興味深い。


内面世界も外面世界も、統合的なものと断片的なものでできているのだろう。差異化と統合化という言葉を用いれば、確かに世界はそうなっているようだ。


今朝方の夢ではバーチャルリアリティーに関するものが出てきたが、昨日ふと、バーチャルリアリティゲームの“Decentraland”というゲームを試しに遊んでみようと思ったことと何か関係があるのかもしれない。


また、GoogleのTilt Brushというアプリを使えば、3Dバーチャルアートが描けることを知り、それを用いて創作活動をしてみたくなった。作成してあ3Dバーチャルアートのファイルの容量がどれほどの大きさになるか気になるところだが、それは新しいアート体験をもたらしてくれるに違いない。


そのソフトを使う際には、バーチャルリアリティ対応のヘッドセットが必要らしいので、少し設備投資が必要だが、最近はそうしたヘッドセットもかなり割安になっている印象だ。もちろんそれはピンからキリまであるので、このあたりはもう少し吟味しよう。


近い将来3Dバーチャルアートを描きたいという思いを大切にし、それを実現させよう。フローニンゲン:2021/9/16(木)07:49


7333. ゲーム創作に関する備忘録


時刻は午後3時を迎えようとしている。今日はいつもより仮眠時間を短くした。


というのも、仮眠を取っている最中に、創作中のゲームに関するアイデアが色々と思い付いたからである。それを忘れないうちにメモしたいと思い、ベッドから飛び起きてきた。


ゲームの機能の中に、プレイヤーがもう少しアウトプットできる仕組みを作ろうと思った。ノベルゲームのシナリオを読んでいくだけではなく、シナリオが進む中で浮かんできた考えをアウトプットしてもらえる仕組みを設けることによって、より能動的なゲーム体験となり、プレイヤーの学びが促進されるのではないかと思ったのである。この点については今日中に機能を実装したい。


あとは細かな点だが、主人公の愛犬だけではなく、同じ敷地内に住むオランダ人のマークが買っている愛猫の「ムース」を登場させようと思う。ムースの名前の由来は、私たちが住んでいる住所の名前、すなわち家の目の前の通りの名前であり、彼をゲーム内に登場させることによって、愛犬と対話する形でゲーム内のナラティブに厚みを持たせることができるのではないかと思う。


また、愛犬とは違うキャラクターが登場することによって、飽きが来ないような効果が見込めるのではないかと思う——さらには猫ファンにも親しみを持ってもらいやすいのではないかと思う——。


ゲーム作りの参考として、ブロックチェーン技術を活用したゲームをいくつか実際に遊んでみようと思った。取り急ぎ、『クリプトスペルズ』『コントラクトサーヴァント』『ジョブトライブズ』をダウンロードしてみた。


その前に、ブロックチェーン技術を活用した『Sorare(ソラーレ)』というサッカーゲームをダウンロードして遊んでみたのだが、最初にイーサリアムという暗号資産を購入してゲームカードを少し買ってみないといけないプロセスがあり、それが面倒でプレーを進めるのをやめてしまった。


上記の3つのゲームは、特に初期投資が必要ではなく、無料で遊ぶことができる。いずれのゲームもカードゲームの要素があるが、それぞれ趣向が違うので、その中で最も面白かったものをしばらくプレーしてみたいと思う。


昨夜閃いた3Dバーチャルアートの創作に加え、ゲームを創作することを通じて日々がまた新たな充実感をもたらしてくれている。フローニンゲン:2021/9/16(木)15:03


7334. ブロックチェーン技術を活用したゲームを遊んでみて/人生という創作活動


時刻は午後5時を迎えた。先ほど買い物から帰ってきた。


買い物に出かける頃には今日一番気温が上がっていたはずなのだが、やはり最高気温が20度を下回ると随分と肌寒い印象だ。中にはもうストールを巻いている女性もいるほどだった。そうした姿をちらほら見かけた。


買い物に出かけている最中、そして帰り際、創作中のゲームについて考えていた。今日は2つほどブロックチェーン技術を活用したゲームをプレイしてみた。ユーザー体験を積む目的で少しばかり遊んでみたところ、それらのゲームは確かに面白さはあるものの、やはり自分は誰かが作ったゲームを遊ぶよりも、自分でゲームを作りたいという思いの方が強いらしい。


当然ながら、既存のゲームの中には、本当に没入してしまうほどの世界観を持っているゲームもあり、特にRPGにはそうした傑作が過去いくつかあった。それらをまたプレイしてみたいという思いはあるものの、当面はゲーム作りの方に力を入れていこうと思う。


実は今日の午後に知人の方とオンラインミーティングをしており、そこで初めて他人に作りかけのゲームを公開した。そこで少し意見をもらったことが功を奏して、色々と実装したいアイデアが浮かび、今週末に時間を取ってそれらを実装していこうと思う。


その方に画面共有でプレイを始めてみたところ、早速バグが発見され、バグの修正も早急に行っておく必要がある。今夜もまだ時間があるので、ゲーム作りに時間を充てたいと思う。


今日の午前中の読書では、フランスの思想家ヘンリー·ルフェーヴラの“Critique of everyday life (1977)”という912ページほどの書籍を読み進めていた。ルフェーヴラの書籍に関しては、空間に関する書籍を含めていくつか初読を終え、色々と新たな発想を得ることができている。


今朝は上記の書籍を読みながら、社会批判というのは、ファーマコンとしての役割を果たすことを改めて思った。ファーマコンというのは「薬」の意味であり、それには良薬、毒薬、スケープゴートの3つの意味がある。


とりわけ社会批判は、社会にとっての毒薬でもスケープゴートでもなく、良薬として働かなければならない。批判のための社会批判ではなく、社会が少しでも健全になるように社会批判を行ってくこと。それに自分は関心がある。


今、自分のこれからの活動について色々と考えさせられる時期にいる。これから何を目的に、どのような活動をしていくのか。それらは、実際に手を動かし、試行錯誤する中で少しずつ形を見つけていく、あるいは形を作っていくものなのだろう。


自らの取り組みそのものを作っていくこともまた人生における大事な創作活動のように思える。フローニンゲン:2021/9/16(木)17:25

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