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7161-7163: フローニンゲンからの便り 2021年7月19日(火)



No.2498 とあるリアリティ_One Particular Reality 


本日の散文詩(prose poetry)& 自由詩(free verse)

No.765, Peaceful Mind

Peaceful mind is here.

What exists here is only the peaceful mind.

Groningen; 06:54, 7/19/2021

No.766, Fictional Dreams

People have a myriad of unawakable dreams every day.

The dreams are complicatedly intertwined.

How can people escape from such a gigantic edifice of fictional dreams?

Groningen; 06:59, 7/19/2021


No.767, Extraterrestrial Beings

Extraterrestrial beings planted a seed on the earth.

Accidentally, I ate it.

It makes who I am today.

Groningen; 21:38, 7/19/2021


下記のアートギャラリーより、本日のその他の作品(4つ:コメント付き)の閲覧·共有·ダウンロードをご自由に行っていただけます。

本日生まれた3曲


全ての楽曲はこちらのMuseScore上で公開しています。

楽曲の一部はこちらのYoutubeチャンネルで公開しています。

タイトル一覧

7161. 今朝方の印象的な夢

7162. 現代文明の悲劇と快楽の復権

7163. 本日のトレーニングを終えて/欲望と美的感覚について


7161. 今朝方の印象的な夢


時刻は午前6時を迎えた。今朝は小鳥の鳴き声で目が覚めた。なんと幸せな目覚め方だろうか。


目覚めた時はまだ辺りが薄暗く、小鳥の鳴き声が際立って聞こえていた。今もまだ薄暗く、完全に日が昇るまでまだ時間がある。


今日の最高気温は19度までしか上がらず、肌寒い1日になることが予想される。今日は肉体改造トレーニングに励む日だったので、涼しいというのは何よりだ。


明後日には気分転換を兼ねて、オランダ国内の日帰り旅行に出かける。行き先は南オランダにあるウィンタースウェイクという人口3万人弱の小さな町にあるモンドリアン美術館である。この美術館には昨年か、一昨年から足を運びたいと思っていたので、ようやく念願が叶う。


ピエト·モンドリアンの作品が集められたもう1つのモンドリアン美術館は、ユトレヒト州のアメルスフォールトという街にあり、こちらの美術館にもまた近々足を運んでみようと思う。


来月には2回目のワクチン接種が終わることもあり、今回の日帰り旅行をきっかけにして、再び旅行に出かける生活が戻ってくる予感がする。今のところ8月にその美術館に行くか、ドイツのボンとトリアーという都市に行くか、ドイツへは9月に行くかを考えている。


ワクチンの接種の時期を考え、証明書が発行される時間を考えると、ドイツへは9月の方がいいだろうか。いずれにせよ、旅を通じた変容の予感、そして旅に向けた高揚感を感じる。


今朝方は2つほど印象に残る夢の場面があった。1つは、大学時代のゼミの中国人の友人と話をしていた場面である。場所は欧州の国のどこかのゲストハウスのような木造建築のロッジの中であった。そこの内装はとてもお洒落であり、中もとても広く、そして明るかった。


彼としばらく話をしていると、彼がタブレットをおもむろに手に取った。すると、彼はMacユーザーだったので、FaceTimeを使っているらしく、誰かから連絡が入ったようだった。すると、画面越しに海外に住む日本人の著名な投資家が現れた。


どうやら友人はその方と知り合いのようであり、私は初めてその方と話をすることになったので、挨拶をした。しかし、そういえば今朝は髭を剃っていないことに気づき、顔出しを渋ったが、気にしてもしょうがないと思って顔を出して挨拶をした。


すると、その投資家の奥さんがそばにいて、私が意外と若いことを驚いていた。そのような夢の場面があった。


次の夢の場面では、私はどこか夢のような幻想的な雰囲気を持つ街にいた。夢の中の夢の街。そのような表現がふさわしい雰囲気を発する街で、これから学校の同窓会があるようだった。


会場に到着すると、何やら早速ではあるが、同じクラスの仲間たちと街を一緒に散歩することになった。クラスの人数は30人ぐらいいたので、全員で移動するのは大名行列のようであった。


誰が列のどこに立って歩くのかをくじ引きで決めようということになり、私は冗談で、先頭にだけはなりたくないと笑いながら述べた。そして全員くじを引いた。


1列3人の編成で、10列を作って街を歩くことになり、まず先頭の列から発表があった。くじ引きを取り仕切る友人が、まず先頭の列の左から発表した。


「番号5!」と友人が叫び、どうやら5番のくじを引いた人がそのポジションにつくことになったようだった。そこで私たちはようやく気づいたのだが、友人が予め特定の番号をランダムに列の所定の場所に対応させていたようだった。


次はいよいよ先頭列のど真ん中、一番目立つセンターポジションである。そこはど真ん中であり、尚且つ全体の列を引っ張っていくというリーダー的な役割が求められる。


私は街を楽しみながら散歩したいと思っており、列をひっぱる気遣いをしながら、それでいて大所帯の先頭で目立つのは嫌だなと思わず苦笑いしていた。


さて、くじ引きを取り仕切る友人が次に読み上げたのは39番だった。その番号を聞いた時、私は「誰が39番だ?列の先頭でしかもど真ん中。責任感がいるし、目立つしで大変なポジションだよね。そのかわいそうなポジションに選ばれたのは誰だ?・・・俺だ!(笑)」と述べると、その場にいた全員が爆笑した。


そのポジションにだけは絶対つきたくないと思っていたので、私も思わず笑ってしまい、しかしそれは何かの運命かもしれないと思った。運命の引き受けはすんなりとできた。


だが、ふと考えると、クラスの人数が30人しかいないのに、なぜ「39」という番号が存在していたのか。それが不思議に思った。


目覚めてみると、気分は爽快であり、小鳥の鳴き声が辺りに響き渡っていた。フローニンゲン:2021/7/19(月)06:40


7162. 現代文明の悲劇と快楽の復権


時刻はゆっくりと午前10時に向かっている。とても穏やかな月曜日の朝の世界が目の前に広がっている。


この季節は緑が溢れており、2階の仕事場の窓からはたくさんの緑が見える。オーナー夫妻が配慮してくれ、家の目の前に癒しをもたらすような木が植えられていて、その緑の葉が風に揺られる様はいつも美しい。葉の揺れを眺めているだけで癒しがもたらされるのだ。


ここ数日間は、マネーに関する探究があまり進んでいない。マネーの内在性質に踏み込んだ学術書の文言があまり頭に入ってこないのである。


その理由はいくつか考えられるが、おそらくはここ最近この話題に関して根を詰めて書物を読みすぎたことが原因のように思える。また、現在読んでいる書籍はマネー哲学やマネー神学に関するものであり、論述が非常に抽象度の高いものであることも理由のように思う。


一方で、テクノロジーに関する探究は継続して進んでいる。もちろんテクノロジーについてもかなり集中的に書物を読んでおり、同時にテクノロジーに関する論述の抽象度も高いのだが、不思議とこのテーマに関する専門書の内容は頭に入ってくる。今朝は、ハーバート·マークーゼの代表作の1つである“Eros and Civilization”を読み進めていた。


本書を読み進めながら、フロイトが、現代文明の最も悲劇的な出来事として、快楽原則がリアリティ原則に置き換わってしまったことを挙げている点が興味深く思った。というのも、個人的に今まさに快楽の復権の道について考え始めていたところだったからである。


低次元の欲求から高次元の欲求までを歪ませることなく健全な形で発露させていくことは、今の時代においては極めて難しい。欲求の歪みと欲望の歪みが同時に発生し、その歪みの度合いが加速している。また、現代においては、欲求や欲望の人工的生成と改変が文化と文明を通じて行われている。


そのような状況を鑑みて、もう一度人間の欲求と欲望を健全なものにし、さらにそれらを健全な形で発現できる道を考えていたところだったのである。今の自分の個人的な取り組みとして、快楽に立ち返ることを考えていた。肉体改造もその一環としての試みである。


繰り返しになるが、フロイトを単なる精神分析学の提唱者とみなしてはいけない。そのようにみなしてしまうと、フロイトの真髄に当たる文明批判の深い洞察を見逃してしまう。フロイトは、人間の内面を深く見通した上で文明批判を行う先駆者だったのだ。


フロイトの文明批判の観点を辿っていくと、例えば、抑圧的個人の個体発生(ontogenesis)と、抑圧的集団の系統発生(phylogenesis)が相互に影響を与え合って進行しているというのは優れた洞察であろう。また、抑圧というものが歴史的産物であるという観点も重要性を持つ。


個人と集団、そして文化や文明は、相互に影響を与え合いながら新たな歴史を絶えず刻んでおり、抑圧1つ取ってみても、巨視的な観点からその深層構造を見ていくことが、抑圧の真の解放に向けた方策を探る際に不可欠なのではないかと思う。フローニンゲン:2021/7/19(月)10:00


7163. 本日のトレーニングを終えて/欲望と美的感覚について


時刻は午後7時に近づきつつある。今日は中3日を空けたトレーニングの日だった。今日も限界まで体を追い込んでいった。


今朝方朝風呂に入ろうとした時、自分の上半身の筋肉、とりわけ胸板が厚くなっているのを確認した。トレーニングの負荷量、トレーニング前後(翌日と翌々日まで含む)の食事と栄養補給、そして休憩期間という3点を守ると、こうもトレーニングの成果が如実に現れるのかと驚く。


ここからさらに筋力を肥大させていく過程においては、いくつか周期があるようだ。トレーニングを始めて3週間後、3ヶ月後、半年後、1年後、それから3年後、そのような形で自分の肉体の変化を観察できるのではないかと思う。


前回のトレーニングでは脇の下あたりの筋肉を初めて鍛えることになったのか、今日もその箇所だけまだ痛みがあった。中3日空けても回復しない箇所があったことを念頭に置き、次回のトレーニングまでどれだけの期間を空けるのかを考えたい。


これまで通り3日でいいのか、それとも4日空けた方がいいのか。そのあたりは体との相談である。


トレーニングをする際には、鍛えている箇所に意識を向けること、そして筋肉は伸縮によって大きくなっていくことを意識していく。


今夜はまだ時間があるので、引き続き読書に励んでいこうと思う。午前中にマークーゼの文明批判に関する論考を読んでいる最中に、個人や社会が健全に存在するためには、健全な欲望が健全に発揮されるというのは重要なことだが、現代はその欲望が歪曲·改変されていることについて改めて考えていた。


さらには、フロイトが指摘するように、文明の精神風土や仕組みが、通称「涅槃原則(nirvana principle)」を暗に掲げ、欲望を根絶やしにしようとし、その代わりに虚構の欲望を現代人に植え込もうとしている点は危険視するべきだろう。その観点において、もう一度原初的な欲望を含めて、自らの固有の欲望の精査と回復に努める実践というのは重要のように思う。


文明を構成するマネーとテクノロジー。それらは共に、私たちの無意識と身体感覚の隅々にまで働きかけてくる。


とりわけ身体感覚について言えば、テクノロジーがもたらす作用は顕著である。これからテクノロジーの発達がますます進むことによって、人間の感覚はどのようになってしまうのだろうか。


そのようなことを考えていると、シンメル、マークーゼ、スティグラーの仕事に共通して現れているのが美的感覚への眼差しである。彼らのこの共通事項に自ずと関心が向く自分がいる。


以前より美学への関心はあり、今ようやくその探究が新たな探究と結びつく形で深まっていこうとしている。上記の思想家の美学に関する観点と仕事の進め方は参考になるはずだ。


ここから神学に関する探究を本格的に行った後、再び美学を深く探究するようなフェーズがやって来そうな気がしている。美学についても絶えず頭の片隅に置きながらこれからの探究を進めていこう。フローニンゲン:2021/7/19(月)19:01

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