No.1730 涅槃の門_A Gate of Nirvana
本日の言葉
He who masters both life and death is free from fear of any kind to the extent that he is no longer capable of experiencing what fear feels like. Eugen Herrigel
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本日生まれた7曲
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タイトル一覧
6545. 今朝方の夢
6546. コーザルの意識状態/映画鑑賞と写譜実践
6545. 今朝方の夢
時刻は午前6時を迎えた。普段と変わらぬ静かな闇の世界が目の前に広がっている。
昨日の夕方に気づいたが、最近少し日没の時間が遅くなったようである。以前であれば午後4時を過ぎると暗くなり始めていたが、今では光のある時間が増えた印象だ。実際に昨日は、確か午後5時あたりに暮れゆく夕日を眺めていたように思う。
寒さに関しても、確かに外の世界は冷えているが、それでも耐え切れないほどではなく、やはり例年よりも今年は暖かい。最高気温と最低気温に幅がさほどないのが当地の特徴であり、0度前後で気温が安定しているため、気温差に適応する必要がないことも過ごしやすさの要因か。
今朝方の夢を静かな気持ちで思い出している。夢の中で私は、大きな空港のラウンジにいた。そこでこれから搭乗する予定のフライトの到着を待っていた。
すると、いつの間にか自分の体は到着予定のフライトの中にいて、座席に座っていた。今から発着場に向かうフライトは高度を下げて飛んでいた。
すると、突然激しい揺れに見舞われた。どうやら乱気流の影響とのことだった。その揺れのあまりの激しさに私は驚いたが、冷静さを保っていた。ところが他の乗客たちはパニック状態に陥っているようだった。
飛行機が普段見せないような旋回を始め、なんとか発着場に着陸しようとしているのだが、どうにもならないように思えてきた。冷静な状態でそのようなことを考えていると、いつの間にか私の体は再びラウンジにあった。
発着場を眺められる一角がラウンジにあって、私はそこから大きなガラス窓を通じて外を眺めていた。すると、つい今し方乗っていた飛行機が無事に発着場に着陸したようだった。それを見て、静かな安堵の気持ちが芽生えた。そこで夢の場面が変わった。
次の夢の場面では、私は大学のカフェテリアにいた。そこには和食専用と洋食専用の店があり、それぞれ隣同士になっていた。
和食専用と洋食専用というのは建前であり、実はメニューはほとんど同じなのだ。しかし、会計はそれぞれの店で行う必要があるという面倒な仕組みだった。
一見すると和食専用の店に見える左の店で注文する場合、右の店のガラスケースに陳列されているメニューの名前を覚えて、分量を自分で決めて注文する必要があった。それもまた面倒であり、私はさりげなくその仕組みを変えた方がいいのではないかと店の人に伝えた。
和食専用の店の右の方には肉料理が並び、肉は食べないのでそこを素通りし、次に魚料理が並んでいる箇所を見て、魚も食べないのでそこを素通りして、最後に野菜や汁物のコーナーに辿り着いた。
そこでいくつかの品を注文しようと思ったが、サラダに関していえば右の店の方が種類が豊富に思えたので、和食専用の店では納豆と味噌汁だけもらうことにした。お盆をもらい、納豆と納豆をかき混ぜる陶器、そして高級味付のりをもらって右の店に向かおうとした。
すると、店の人がその店で会計を済ませてから隣の店に行ってくださいと述べ始めた。2回会計するのが面倒だったので、私は今取った品を戻し、右の店で種類豊富なサラダをいくつか注文することにした。
ガラスケースの前には小中高時代の友人(YU)がいて、彼は男女2人ほどの友達と一緒のようだった。その2人の友達は友人よりも随分と年下のようであり、彼の本当の年齢を知らないようだった。彼の本当の年齢を伝えるか迷ったところで夢から覚めた。フローニンゲン:2021/1/9(土)06:24
6546. コーザルの意識状態/映画鑑賞と写譜実践
時刻は午後7時半を迎えた。今、静かに1日が終わりに向かっている。今日は午後に天気が良くなり、日光浴を楽しむことができた。太陽の姿を拝むことができる午後に日光浴をすることは、この季節の大切な習慣となった。
午後に仮眠を取っていると、今日もまた不思議なビジョンを見た。フローニンゲンの自宅の書斎がビジョンとして立ち現れ、壁の無線LAN子機が新しく強力なものにいつの間にか変わっていたのである。
その時私は、自分が気づかない間に業者の人が部屋にやって来たのだと思った。だがどうやって部屋に入ったのかが不明であり、不動産屋から合鍵でももらったのだろうかと思った。そのようなビジョンがあった。
目覚めた時に、仮眠中のサトルの意識下で捉えたビジョンだけではなく、夢を見ないコーザルの意識状態の体験についても考えを巡らせていた。コーザルの意識というのは、何もない状態ではなく、全てに満たされている状態なのだ。
そう考えてみると、「コーザルの意識状態を体験するという」という表現はあまり妥当ではないかもしれない。というのも、それは体験する自己そのものが全てと合一するからである。
だがそれは、非二元の状態とは異なり、有としての無という性格を持つ。非二元の状態は、有かつ無、無かつ有であり、さらには無も有も超えたものとしての状態である。
小さな自我は相変わらず対象を生み出すが、今日は対象なき沈黙を感じる瞬間があった。対象なき静寂の中から真の自己が自ずから浮かび上がってくる。それを感じ取る体験があった。
今日は4本ほどの映画作品を観賞した。毎日、できるだけその瞬間に面白そうだなと思う映画作品を見るようにしているが、心があまり動かされない作品と出会うことも当然ある。それを仮に「ハズレ」と呼んだとしても、ハズレそのものを楽しむかのように生きていくことができればと思う。
食べ物の味がその時の精神や身体の状態に左右されるのと同じように、映画を見る際にもその時の状態が影響を与える。日々映画を選択する際には、その瞬間の自分の心身の状態を観察することを忘れないようにする。
今日はあえて映画を4本しか見なかったが、それくらいでちょうどいいのかもしれない。というのも、そのおかげで詩集を読み進めることができたし、普段よりも作曲実践をすることができたのだ。とりわけ楽譜を写譜する実践にいつも以上に時間を充てることができたのである。
写譜の実践の目的の1つは、作曲家がその曲を生み出した感覚を感じ、それを自分の中に取り込むかのように自らの感覚を磨いていくことにある。何かを頭で覚えようとするのではなく、身体を通して作曲家の楽曲生成感覚をインストールすることを意識している。
また、写譜の際にはちょっとした感動体験を得るようにすることも大切だ。心と感覚を動かしてくれるパッセージは大抵どの曲にも含まれていて、それらとの出会いを大切にしていく。
そのためには、自分の心と感覚を開き、音と戯れる姿勢を持っておくことが重要になる。明日もまたその点を意識して写譜の実践をしていこう。フローニンゲン:2021/1/9(土)19:56
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