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6515-6516: アートの国オランダからの便り 2020年12月31日(木)


No.1684 夢の世界_A Dream World

本日の言葉

If you want to know the future, look at what is in your mind. Matthieu Ricard


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本日生まれた5曲

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タイトル一覧

6515. 今年最後に見た夢

6516. 適応生成的な知のネットワーク/創作・渇愛・存在


6515. 今年最後に見た夢


時刻は午前5時を迎えようとしている。いよいよ今日は今年最後の日である。


とても静かな朝の世界が広がっている。辺りは深い闇で包まれていて、小鳥たちの鳴き声もせず、物音一つしない。今日もまた静寂さと平穏さに包まれた形で1日を送ることができるだろう。


今日は今年を締め括る意味でも、午後に座禅をしようかと思う。久しぶりに長時間座して静かに過ごすのも悪くないと昨夜思った。それは精神上の埃を落とし、新たな年に向けた最良の準備になるだろう。


昨日に引き続き、大晦日の今朝方も夢を見ていた。夢の中で私は、部署は異なるが、前職時代にお世話になっていた女性社員の方と話をしていた。


その方がこれからクライアント先に行き、水質検査か何かをすると述べた。水質検査は私たちの専門領域ではないのだが、何か面白そうだと思ってその方についていくことにした。


そのように決心したところ、隣の大きな部屋から自分の名前を呼ぶ声が聞こえてきた。広いオフィスは2つに仕切られていて、壁の向こう側とこちらとで部門が異なるようだった。


私は本来壁の向こう側の部門で働いているのだが、今は所用があってこちら側の机で仕事をしていた。壁の向こうで笑い声が聞こえ、きっと私の話で盛り上がっているのだろうと思った。


自分の話で盛り上がってくれるのは一向に構わないが、用もないのに自分の名前を呼んでほしくないと思い、その忠告をしようと思った。私の名前を呼んで盛り上がっていることに関して、どうやら壁の向こうで父と会社のトップが言い争いをしていたので、暴力的な手段を取ってでも2人を黙らせることにした。


2人の言い争いは収まりそうになかったので、強行的な手段を取って2人を黙らせ、今度言い争いをしたら腹に蹴りを入れる旨を伝え、それによって死んでしまうかもしれないということを伝えた。今朝方はそのような夢を見ていた。幾分攻撃的な夢だった。自分の中に抑圧されている何かが夢の中に現れ、それを言葉にすることによって解放が実現されている。


ユングが指摘するように、人が啓蒙世界を開いていくためには、光を想像するのではなく、暗黒を意識化していく必要がある。その意識下とはシャドーワークに他ならない。


そうしたシャドーワークを言葉を通じてだけではなく、創作活動を通じても実践していく。創作活動は霊的実践という側面だけではなく、シャドーワークの一環として側面もあるのだ。これから行う絵を描くことも曲を作ることも、霊性の涵養と同時に、シャドーの癒しにつながっていく。


昨日から再びアントン·ウェバーンの曲を参考に原型モデルを作り始めた。実はすでに手持ちの楽譜の全曲を原型モデルとして作ったのだが、初期の頃の原型モデルは調性を無視していたので、改めて初期のモデルの修正を行なっている。ウェバーンの曲の原型モデルを参考に、ゆっくりと自分の曲を構築していく実践を行おうと思う。


世界はコロナを含めて喫緊の対応が必要となる問題で山積みだが、それだけではなく、こうした世相だからこそ、ゲーテが述べたように、人間を百年単位で考えていくという長い時間展望に基づいた行為や実践が必要だろう。創作活動においてもそうだ。フローニンゲン2020/12/31(木)05:11


6516. 適応生成的な知のネットワーク/創作・渇愛・存在


刻一刻と静かに時を刻む大晦日の朝。八面玲瓏たる朝の世界が眼前に広がっている。


朝日の優しい輝きを眺めながら、外の世界の音に耳を澄ませてみる。そこには静寂さという音が充満していることに気づく。


昨夜ふと、創作実践には多大な治癒と変容の力があるということは、その使い方を誤れば精神を破壊させかねない点について考えていた。実際に、創作の悪魔、ないしは魔神に取り憑かれて精神が破綻した芸術家は数知れない。


そのように考えてみると、人間のなす行為としての創作活動を重く捉えすぎない心持ちが大切になるだろう。肩肘張らずに軽やかな自由さを持って創作活動に従事していこう。


創造される曲も生き物であるから、それを産出していく際には適応的な経験知のネットワークを用いることが求められる。非適応的、つまり死んだ知のネットワークを用いては作曲はままならない。


そう考えてみると、自ずから作曲学習というものがどのような性質であるべきかが見えてくる。そしてそれは他の全ての学習や実践に当てはまる原理的なものであることがわかる。


意識と脳の双方に、適応生成的なネットワークを形成していくことが学習と実践の肝であり、成長·発達の要諦なのだ。それは雲なき今この瞬間の空と同じぐらいに明々白々の事柄である。


渇愛は自己を表現する源であり、創作の源である。この渇愛の衝動をより純化させ、利他的なものにしていく。


渇愛は創造主であり、個性化を司るという見方もできる。創造主としての渇愛は多様性を生み、多様な宇宙を作り上げていく。


自己が生み出した創造物が渇愛の現れというよりも、自己の存在そのものが渇愛の産物、否、渇愛そのものであることが見えてくる。しかし、渇愛が森羅万象を生成せしめる点を鑑みれば、存在が渇愛そのものであるという見方を超えて、渇愛は存在以前の「それ(suchness)」であることがわかる。要約すれば、創造主としての渇愛は、「それ」すなわち真如なのだ。


ここからまた映画鑑賞を進めていく。今日の起床は午前4時半とそれほど早くなかったが、すでに映画を2本ほど見た。


今からドキュメンタリーを1つ見て、作曲実践をしよう。そうすれば昼時を迎える。


午後からは、今年一年を締め括るために静かに座す。2020年最後の日が晴れであることが嬉しく、静かに座すにふさわしい日であることを感謝する。フローニンゲン2020/12/31(木)10:43

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