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6477-6478: アートの国オランダからの便り 2020年12月14日(月)



No.1635 夜の喜び_Night Pleasure

本日の言葉

The enlightened one regards fame and gain as passing clouds, having nothing to gain or lose. Cheng-Yen


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本日生まれた4曲

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タイトル一覧

6477. 夢の感覚/『スペシャリスト/自覚なき殺戮者(1999)』を見て

6478. 細胞レベルでの学習と実践


6477. 夢の感覚/『スペシャリスト/自覚なき殺戮者(1999)』を見て


時刻は午前5時半を迎えようとしている。12月も折り返しとなり、年末に向かってゆっくりと時が流れていく。


今朝方はそれほど印象に残る夢を見ていなかった。実際には2つほど夢を見ていたことを覚えているのだが、それらの細部について思い出すことができない。


起床直前に見ていた夢は、自分に活力をもたらすようなものだった。夢の中の自分は目に見えない何かと格闘していて、それとの格闘を通じて活力を得ているようだった。


格闘は得てして分離から生じたり、分離をもたらしやすいのだが、その格闘の性質からすると、それをもたらしたのは分離というよりもむしろ差異だったのではないかと思う。分離は分離を生むが、差異は成長や発達の呼び水となる。


夢に関して情景描写ができなくても感覚描写ならできることがある点は見逃せない。感覚が残っているのであれば、少なくともそれは必ず書き留めておこうと思う。


今日もまた映画鑑賞と創作活動に励んでいく。昨日、『スペシャリスト/自覚なき殺戮者(1999)』という作品を見ていた。これは、ナチス戦犯アドルフ·アイヒマンの裁判を通して、彼の実像に迫るドキュメンタリーである。


裁判を通して明らかになってくるのは、アイヒマンは極悪非道の人間というよりもむしろ、凡庸な役人というべき人間であったという点だ。上の命令に忠実に従うアイヒマンは、普通の役人的態度を持った人間であり、そうした普通さが怖い。まさにアーレントが述べた「凡庸な悪」を生むのは、こうした「標準化された態度·行動·思考(知性)」なのだと思う。


一昨日見たアスベストの問題を取り上げたドキュメンタリーで映っていた官僚の態度を思い出す。アイヒマンは自身でも述べていたように、「官僚ドイツ語」を裁判の中で話しており、そこからたやすく連想されるのは「官僚日本語」なるものも存在しているだろうということだ。


しかもそれは官僚の特権的言語なのではなく、日本の高学歴層かつ組織人が共有する言語体系のように思う。その言語特性は種々のものがあり、それが欺瞞的で傍観者的なものであるという点は、安冨歩氏が提唱した「東大話法」に共通するものがあるように思える。


それは単に言葉の問題ではなく、言語は自らの思考や行動、そしてあり方まで規定する点に問題がある。実際、アイヒマンが「現場で起こっていることに当事者意識はなかった」と述べているように、虐殺の重みを体感を通じて理解することができなかったのだと思われる。


またアイヒマンは、「当時は意識的な精神の分裂状態だった」と述べていた。良心を持つ心と非道が非道と感じられないような心の2つの状態があったのだと思われる。


そしてそれは自ら述懐しているように、国家や組織内の教育によって醸成されていたのである。教育によって言語の性質が規定され、それが思考·行動·あり方を規定していく。


アイヒマンが使っていた言語体系と、現代の日本の官僚企業社会の中で蔓延している言語体系は非常に近しいものがある点に危惧する。それは一見すると論理的に見えるのだが、欺瞞的で傍観者的であり、同時に身体感覚が欠落し、当事者意識を希薄化させるような類のものだと思われる。フローニンゲン2020/12/14(月)05:45


6478. 細胞レベルでの学習と実践


時刻は午後8時を迎えようとしている。新たな週が今日から始まり、今日もまた静けさと充実感を感じさせる1日だった。日々の流れを感じるというよりも、流れそのものとして日々があり、そうした日々として自己があるという感覚が続く。


昨日、BBCの『学習能力のヒ·ミ·ツ(2017)』というドキュメンタリーを見た。人間はいかに学び、どのように能力を発達させていくのか。その観点から人体の謎に迫る大変興味深いドキュメンタリーだった。


この作品を見ながら、意識の力(気づきの力)を活用して細胞レベル·DNAレベルで学習や実践をしていくことについて考えていた。そのような意識で学習をしていくと、細胞やDNAも適応·変化していく。折を見て行うファスティングなども、まさにその体験は細胞レベル·DNAレベルで刻まれる。


作品の中で、世界屈指のサイクリストが登場し、彼は自転車と身体が一体と感じられるまで鍛錬をし、実際にそのように脳と身体が動いていた。繰り返し意識的な学習や実践をしていくと、脳内の軸索が太く増えていき、密度の高い超高速ネットワークが脳内に築き上げられていく。繰り返しの学習や実践の際に、身体を通じて、身体レベルで学習や実践を行うことの大切さを改めて思う。


その他に興味深かったのは、言語習得の鍵を握るのはリズムであるということだ。実際に赤ちゃんは言葉をリズムとして捉え、そこから徐々に言語を習得していくとのことである。


リズムというのは何も言語の習得においてだけ重要なのではなく、結局のところ全ての実践が脳と身体を媒介させるものであることを考えると、全ての実践においてリズムが鍵を握るように思えてくる。日々の学習と実践の中で、リズムに対する意識をより強く持ってみよう。


これから就寝に向けて、深い呼吸をゆったりと行いながら、今日という1日を締め括っていきたいと思う。明日もまた、静けさと充実感に溢れる1日になるだろう。フローニンゲン2020/12/14(月)20:05

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