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6441-6442: アートの国オランダからの便り 2020年11月29日(日)


No.1595 紫の夜_A Purple Night

本日の言葉

Whoever wishes to quickly afford protection to both himself and others should practice that holy secret: the exchanging of self for others. Santideva


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本日生まれた7曲

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タイトル一覧

6441. 今朝方の夢/対象の背後にある歴史や物語

6442. 陶酔感の中で


6441. 今朝方の夢/対象の背後にある歴史や物語


時刻は午前5時半を迎えようとしている。今、外の世界は闇と静寂さに包まれている。また今日は、寒さにも包まれていると言っていいかもしれない。


現在の外気は1度である。そして今夜はマイナス3度まで気温が下がる。今日はそれほどまでに寒いが、晴天に恵まれるようだ。明日が午後から雨の分、今日は室内でも日光を浴びたいと思う。


今朝方の夢について静かに振り返っている。今朝は深夜に1度目を覚ました。なぜ目を覚ましたかというと、外気との気温差から、寝室の窓に水滴が付着しており、それが滴る音が聞こえてきたからである。


目を覚ました時にはちょうど夢から覚めたタイミングだったので、目ぼけていて、水滴が滴る音が少し不気味な音のように聞こえた。それが水滴が滴る音だとわかって、その箇所をペーパータオルで拭くことにした。そこからまた眠りの世界に戻っていった。


最初に目覚めた時に見ていた夢についてはもう記憶がない。その夢も印象的なものだったのだが、今となっては記憶の彼方にある。


再度眠りについて見ていた夢の中で、私はバスに乗っていた。辺りの雰囲気から察すると、そこは日本ではなく、外国のようだった。しかもその近くには港があって、バスの窓から遠くの方を眺めると、太陽で輝く海が見えた。


私はバスに乗りながら、近くにいた2人の見知らぬ女性と、小中高時代の男性の友人(HY)と話をしていた。どうやら私たちはバスを乗り継いでフェリーか何かに乗る必要があるらしく、バス停を探していた。


2人のうち1人の女性が、次のバス停が乗り継ぎのバス停ではないかと述べたが、そのバス停には中学生ぐらいの子供たちがたくさんいて、彼らと一緒にバスに乗ると騒々しいのではないかと彼女が述べた。確かにそうかもしれないと私は思ったが、そもそも次のバス停が乗り継ぎのバス停ではないように思われた。というのも、私はその近辺の地理に明るかったからである。


私の判断で、さらにその次のバス停で降りることにした。そこはショッピングモールの敷地内のバス停であり、バス停は、ショッピングモールの2つの建物をつなぐ道の近くにあった。今朝方の夢で覚えているのはそのくらいである。


今日は1日中自由に時間を使うことができる。そうしたこともあり、今日も旺盛に映像作品を見ていき、合わせて作曲実践をしていく。


今は、映像作品の息抜きとして作曲実践を行なっているような感覚があるぐらい、映像作品を通じての学びに集中している時期だ。今日はマスメディアを取り上げた映画を何本か見ていき、その他のものについてはまた別のテーマに関するものを見ていこうと思う。


そう言えば、一昨日に優れた彫刻や優れた写真について考えていた。優れた彫刻や優れた写真は、対象物の背後にある歴史や物語を含めて形を生み出す特徴がある。別の表現で言えば、対象物が持つ歴史や物語を刻み出しているように思えるのである。


素晴らしい映画が、それが実際に描いているもの以上のことを私たちに感じさせるのもまた同じ理由かと思う。そこには映し出されたものの背後にある何かが映像を通して明るみになっているのだ。


今日もまた、対象の背後に横たわる歴史や物語を感じさせてくれる映像作品と出会えることを楽しみにしている。フローニンゲン2020/11/29(日)05:45

6442. 陶酔感の中で


時刻は午後8時を迎えた。今日は確かに気温が低かったが、澄み渡る夕暮れ空を眺めることができ、心が洗われるような気持ちになった。


マリンブルーの空の向こう側に、穏やかな橙色の夕日が沈んでゆく様はとても美しかった。その光景が今でもまだ脳裏に残っている。


冬の時期のオランダの晴れた日の夕暮れ空は本当に綺麗だ。それを見ているこちらの心が本当に澄み渡るような気持ちになる。こうした小さな幸せを日々大切にしていこう。


昨日は9本ほど映像作品を見て、今日は8本ほど見た。今、映像作品を見ることと音楽を作ることが自分に生きる喜びを与えてくれていると実感する。


映像作品を見ている時や音楽を作っている時は、陶酔感の最中に自分がいることに気づく。その瞬間に陶酔していること。つまり、今ここと一体化し、常に没頭没入する形で生きていること。生きることの力強さと愉悦がそこにあるように思える。


生命が静かな喜びに満ちていて、それが躍動しながら少しずつ何処かに向かって進んでいることを実感する。明日もそうした実感が得られるように生きたい。自らを真に喜ばせてくれることに純粋に従えば、きっとそうした実感が明日も得られるだろう。


自分を知ること、そして世界を知ることと、自己を表現することを行き来する形で日々が進行していく。確かに今日も創作活動に従事していたが、今は再び前者に力を入れている時期のようだ。今夜は少し読書をしよう。


自分の言語の限界が世界に対する言語的認識の限界を生み出し、自分の感覚の限界が世界に対する感覚認識の限界を生み出す。言語と感覚の目覚め、意識の目覚めの必要性を思う。


言語·感覚·意識が日々目覚めていく。僅かばかりだが、毎日新たなものが見えてきて、新たなことが感じられる。小さな目覚めの体験を積み重ねていくこと。その継続を大切にしていく。


今日は2つほどジャン·リュック·ゴダール監督の作品を見ていた。ゴダール監督の作品はどれも哲学的で面白い。洞察に溢れる観点や言葉がいくつも作品の中に散りばめられている。


今日見ていた作品から考えていたのは、形は何かを語るということである。映像や音もまた何かを語る。そうした語りに対して敏感になり、語られたものをさらに自分なりに語るということを行っていく。


ある感覚の持続的体験を曲や絵として形にしていく試みを続けていこう。今ここの存在感覚を形にしていくのだ。


それを曲を通して行う場合、短いものでいい。たった1行の言葉にも打たれるものがあるのだから、限界まで切り詰めた曲を作っていく道を模索していこう。1分もあればそれは十分可能なのではないかと思われる。


明日も実験·実践·探究·創作を行う。明後日もまたそうした活動に従事していく。


静かな夜の世界が広がっていく。そこに静かな希望が満ちている。フローニンゲン2020/11/29(日)20:15

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