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6404-6405: アートの国オランダからの便り 2020年11月14日(土)


No.1552 朝の時代_A Morning Era

本日の言葉

If you think your body and mind are two, that is wrong; if you think that they are one, that is also wrong. Our body and mind are both two and one. Shunryu Suzuki


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本日生まれた9曲

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タイトル一覧

6404. ヨナコンプレックス/今朝方の夢

6405. デヴィッド·リンチとの出会い


6404. ヨナコンプレックス/今朝方の夢


時刻は午前6時を迎えた。早いもので、フローニンゲンに戻ってきてからの1週間が過ぎ去り、今日から週末を迎えた。


この瞬間の外の世界は、闇と静寂さに包まれている。フローニンゲンに戻ってきてからの生活は、やはりとても落ち着いていた。


心底寛げる自宅で、自らの取り組みに従事し続けるような1週間であり、こうした生活を続けていけることの有り難さを思った。


今日もまた、作曲実践に励み、映像作品を見ていこう。そして、日記を少々書き、絵も少々描く。そうした形で今日という日を形作り、人生を形作っていく。


今、名状し難い幸福感を感じている。映像作品の鑑賞を意識的に行うことによって、人生がさらに豊かになっているような気がする。映像作品は、単に自分や世界を知るための道具なのではなく、自己や世界の癒しと変容につながる芸術作品であることを思う。


旧約聖書のある物語を思い出す。ヨナは、イスラエルの敵国であるアッシリアに赴いて、アッシリアが40日後に滅ぼされるということをアッシリア人に伝えよという予言を神から受ける。しかしヨナは、神のお告げを聞いたのに、それを実行しないで逃げ出した。


何かの瞬間に、自分の心の声を聞く瞬間というものがある。そうした真実の声を聞いたとき、その声に従うのか、それともしないのか。そうした判断が迫られる瞬間は誰しもが1度は経験することだろう。


この物語は、アブラハム·マズローが提唱した「ヨナコンプレックス」という概念の基になっている。自らを愛し、自らの尊厳を大切にするというのは、自分に付与された可能性を最大限に発現させていくことであるが、それを拒絶することをマズローはヨナコンプレックスと呼んだ。


自己が獲得した知見や技術、そうしたものを共有し、それを積極的に伝承していくことに躊躇することもまた、ヨナコンプレックスの現れかもしれない。


ヨナコンプレックスに関しても、それは映画作品の中で時折モチーフとして登場する。そう考えてみると、ギリシャ神話を含め、実に様々な神話で取り上げられているモチーフが現代の映画で使われていることが見えてくる。ちょうど手元には、世界の神話に関する辞典があるので、映画探究と並行して、神話の探究も進めていこうと思う。


昨日は印象に残る夢を見ていたが、今朝方の夢についてはそれほど記憶に残っていない。舞台は外国の落ち着いた街だったことは覚えている。そこは人口密度が高くなく、静かな街であった。


最初私は、夢の登場人物として現れていたが、途中からは、夢を俯瞰的に眺める者になっていた。目覚めてしばらくは、覚醒した自分自身、そして自らの人生を俯瞰的に眺めている状態が続いていた。それは幾分不思議な感覚を伴う体験だった。フローニンゲン2020/11/14(土)06:29


6405. デヴィッド·リンチとの出会い


時刻は午後8時を迎えようとしている。今日もまたとても充実した1日だった。


今日は、窓の外の景色を忘れるぐらいに映画を見ていたように思う。結局今日は、7本の映像作品を見ていた。


今の自分は、自分の内側の何かしらの渇きを癒すために映画を貪るように見ているのかもしれない。映画でしか満たされないものに気付いてしまった自分がいて、それを必死に満たそうとする自分が自然といる。


そう、絶望的な何かを持った自分が自然といるようなのだ。それゆえに、極めて中立的な自分がいることにも気づく。


本日見た7本の映像作品の中で印象的だったのは、映画監督のデヴィッド·リンチを取り上げたドキュメンタリーの『デヴィッド·リンチ:アートライフ(2016)』という作品である。


映画にせよ、ドキュメンタリーにせよ、映像作品を見ながら走り書きのメモを取るようにしていて、そのメモに書かれていることを文章の形にしてここに書き留めておく。


デヴィッド·リンチの母は、リンチの才能を早期に見出していて、弟や妹に与えていた塗り絵をリンチに与えなかった。なぜなら、塗り絵という型がリンチの創造性の足かせになると判断したからである。このような判断ができるリンチの母親は、彼の才能を見出す慧眼があったのだろう。


リンチは、高校に行くまで、自宅の周辺にしか世界が広がっていなかったと言う。しかし、そうした狭い世界の中に無限の世界を見出して楽しむ力が彼にはあった。


そうした特性は、大学時代や現在の生活においても現れていて、内なる無限の世界の中に住まおうとする性質は自分と似ているものがあると思い、共感の念を持った。


このドキュメンタリーの中で、リンチの両親は仲が良く、子供にも愛情を持って接していたことが伝わってくるのだが、リンチが高校時代に非行に走ったわけや、彼の映画の中に投影されている心の闇はどういうところから生まれたのかが気になった。その点については、このドキュメンタリーを見てもわからなかった。


鬱屈した高校時代を過ごしたリンチは、ある日、電流が走るように、「画家になるのが自分の道だ」と閃いた。そして大学時代には、ある時ふと「動く絵画だ」という閃きから映画撮影に乗り出していった。何か自分の道を直感的、あるいは天啓的に掴む力がリンチにはあり、それもまた自分と重ねて眺めている自分がいた。


このドキュメンタリー作品をきっかけに、リンチの処女作である『イレイザーヘッド リストア版(1976)』を次に見た。端的には、大変興味深い作品だった。


とりわけ、グロテスクな描写を見ることによって、自分の中のグロテスクな部分が癒されるような感覚があったことが印象的である。これもまたこうした作品の効果なのだろう。


作品の中で、赤ちゃんが奇妙な生物として描かれていて、主人公の首が吹き飛び、その中から赤ちゃんと同じ生物が出て来たことは、私たちの内側にはあのような化物がいるということの暗示だろうかと思った。


何かを満たそうとして映画を貪るように見ている今の自分を大切にし、映画によって何かが掴めるまで貪るように見ていく。明日も時間が許す限り映画を見ていこう。フローニンゲン2020/11/14(土)20:08

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