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6332-6335: 日本滞在記 2020年10月17日(土)


No.1496 無意識の蜂の巣_A Beehive in the Unconsciousness

本日の言葉

True greatness means that even if you forget what you’ve done for others, you never forget what others have done for you. Josei Toda

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タイトル一覧

6332.【京都滞在記】延暦寺訪問に向けて

6333.【京都滞在記】種々の統合に向けて

6334.【京都滞在記】書店を訪れて/テロメアと境界知能

6335.【京都滞在記】考えること/『ちいさな哲学者たち(2010)』を見て


6332.【京都滞在記】延暦寺訪問に向けて


時刻は午前5時半を迎えた。今、シトシトとした雨が降っている。


振り返ってみれば、一時帰国してすでに10日ほど経ったが、雨が降っているのは初めてかもしれない。関空に到着した時には雨が降っていたが、それも時期にすぐに止んだので、1日を通して雨が降る時間帯が多いというのは確かに初めてのことである。


今日はそうした雨の中、お隣の滋賀県に行き、比叡山延暦寺を訪れる。鞍馬山と延暦寺のどちらを先に行こうか迷い、天気が良い明日に鞍馬山に行きたい。延暦寺以上に鞍馬山の方が歩くだろうと思ったからである。


調べてみると、京都駅から延暦寺のバス停まで直通のものがあったので、それに乗ろうと思う。時間にして1時間10分ほどのバスの旅だ。


バスの路線を見ると、これまで通ったことのないような道なので、是非ともその景色を味わいたいと思う。


昨日も少し肌寒かったが、今日は一段と冷え込む。最高気温は17度、最低気温は12度、それに雨なので、今日は長袖を来ていこう。それに加えて、ユニクロで買ったスポーティーなパーカーも携帯しておこうと思う。


昨日は午後まで半袖で活動していたが、人口の0.5%未満しか半袖を着ていなかった。観察した限り、昨日出会った全ての人たちのうち、半袖を着ているのは私以外に2人だけだったのでそれぐらいの統計割合になるだろう。


さすがに今日は半袖で過ごすことはできず、むしろ長袖の上に何かを羽織った方がいいぐらいなので、気をつけよう。日本に滞在するのはまだ2週間以上あるので、風邪など引いてはならない。


今日も朝食をゆっくりと摂り、ホテルを10時15分ぐらいに出発しようと思う。延暦寺に到着したら、まずは東塔の根本中堂を参拝し、その後西塔に歩いて移動する。西塔では、にない堂と釈迦堂を参拝しよう。


1000円で購入できる延暦寺の周遊券には、東塔·西塔意外にも横川巡りも付いているのだが、そこへは歩いて行けないようなので——30分に1本の有料(600円)シャトルバスがあるが——、今回はそこに行くことはやめようと思う。どれだけゆっくりと時間を過ごすか分からないが、早ければ午後3時過ぎのバスに乗り、遅ければ午後4時過ぎのバスに乗って京都駅に戻ってこようと思う。京都2020/10/17(土)05:52


6333.【京都滞在記】種々の統合に向けて


改めてふと思ったが、今回の一時帰国は様々な統合の試みにつながっているように思った。何かそれほど強く意図したわけではないが、今回石川県と福井県に訪れるのは、父方の加藤家(下り藤の家紋)と母方の加藤家(上り藤の家紋)のゆかりの地に行き、両家の統合を自分の中で行うきっかけを作るためであった。


今日は最澄にゆかりのある比叡山に行くが、今からちょうど1週間後には空海にゆかりのある高野山に行く。ここでも最澄と空海を自分の内側で統合する形で自己を深めようとする見えない衝動を感じる。


昨日に、明恵上人ゆかりの高山寺に訪れたことは、夢を探究し続けた明恵上人の叡智を汲み取り、自分の夢と自己とをより深く統合するためだったと言えるかもしれない。明日に訪れる鞍馬山においては、これから起こる自己の諸々の統合を支えるための霊的エネルギーの活性化がもたらされるだろう。


これはさほど意識していたことではないが、通称パワースポットと呼ばれるような場所にふらりと出かけていく自分がいるのは、再び欧州に帰った後にやってくる種々の統合に向けた準備と自己涵養なのだと思われる。


時刻は午前7時を迎えた。窓の外を見ると、うっすらとした雨雲が空を覆っている。幸いにも今日の雨は小雨のようだ。大雨だと比叡山の観光は難しくなってしまうが、これくらいの雨だとほとんど問題ないだろう。


ここから少しばかり作曲実践をし、昨日細見美術館で購入した伊藤若冲に関する特集雑誌を読みたいと思う。朝食を摂るためにレストランに向かうのは午前8時過ぎにしよう。


昨日は和食を注文したが、今日はベジタリアン向けの洋食を注文しよう。現在のコロナ下においては、残念ながらどこのホテルもビュッフェ形式で朝食を食べることができない。


昨日気づいたが、和食よりも洋食の方が注文してから食事が届くまでの時間が短い。とは言え、待ち時間があることは確かなので、今日はレストランに本を持って行こう。


今日からは、西部邁先生の『保守思想のための39章』を読む。結局、京都では映画館に行くことをせず、大型書店に行くこともしないことにした。


前者に関して言えば、確かに現在上映中の映画の中でいくつか見たいものがあるのだが、映画よりも名所巡りを優先し、映画はホテルの自室でU-NextやAmazonプライムで見ることができる。昨日は、細見美術館と高山寺から帰って来た後に、あゝ荒野完全版』と『だれかの木琴(2016)』を見た。今日もまた、何かしらのドキュメンタリーか映画を夜に見ようと思う。


京都で大型書店に行く代わりに、京都駅の中にある小さな書店に昨日立ち寄った。実家の近くの本屋で行ったのと同様に、その本屋でも、漫画や辞書などを含め、基本的に全ての本と雑誌の背表紙を眺めていった。


すると、いくつか関心のある書籍や雑誌を見つけ、それらをパラパラと眺めていったが、結局、購入したいと思うようなものはなかった。今のところの計画としては、21日の日に東京から大阪に早めに移動し、大阪梅田での宿泊先は昨年と同じであり、ジュンク堂が目と鼻の先にあるので、夕食を抜く形で午後から夜まで書籍を吟味しようと思う。


あと少しばかり和書で購入したいものがあり、それがあれば嬉しい。書籍以外にも、政治学と社会学の日本語の辞典で何かいいものが置いてあれば、それを購入することも検討したい。京都2020/10/17(土)07:18


6334.【京都滞在記】書店を訪れて/テロメアと境界知能


時刻は午後3時を迎えようとしている。今現在、京都では雨が降っている。秋のシトシトとした雨は風情があるが、今日は肌寒い1日である。


今私はホテルの自室にいる。結論から述べると、今日は結局比叡山に行かなかった。実際には、予定よりも早くホテルを出発し、比叡山行きのバス停に向かった。


ところが、地図上に表示されているところにバスがやって来なかったので、そこからバスを探すのを止め、京都駅前のAvantiというデパートに行き、その6階の本屋に向かうことにした。


本屋の書籍の品揃えはなかなか素晴らしく、丸善に行く必要はなかった。そこで社会学と哲学の用語集を購入した。政治学に関する用語集はなかったが、それら2つの用語集を購入できたことは幸いであった。


昨日も京都駅構内の書店で長い間立ち読みをしていたが、今日もまた3時間ほど様々な書籍を眺めていた。地政学に関する書籍の購入も迷ったが、それは今度でいいだろう。


大阪と東京で宿泊するホテルの目と鼻の先には丸善があるので、両都市に滞在する時にそれらの書店に足を運び、政治学に関する辞典と用語集を確認し、作曲関係の書籍も何か良いものがないかを探してみようと思う。


今回は1ヶ月弱ほどの旅行であるから、観光疲れをしないように注意し、今日のようにどこかに観光に出かけることなく書店にぶらりと訪れてみる日があってもいいと思う。実際に、そのおかげで今日は良書に出会えたのだから。


オランダを離れて10日ほど経ったところで、英語の学術書を読むことへの飢えが芽生えている。それはもう強い欲求であり、その欲求を抑えるのは難しいほどである。


やはり日本に10日もいると、思考空間内で日本語を操作する時間が長くなり、また心身共に周りにあるのは日本語ばかりであるからかもしれない。欲求を満たすためには硬質な学術書の英語が必要であるから、あまり効果はないと思ったが、少しでも欲求を満たすために、本屋に置いている英語の書籍を眺めてみた。


挙げ句の果てには大学受験の英文読解の書籍などにも目を通していた。結局、それほど欲求は収まることはなかったが、逆にこうした飢餓感が探究にとって必要なのだと思う。


今は旅行中でもあるから、創作活動の量も減っていて、創作に対する飢えも醸成されている。こうした飢えは、探究と創作をまた1つ違う次元に運んでくれる必須のものかと思われる。


英語の学術書を読めないということと、創作活動の量を減らしていることは、ある種の断食のようである。こうした断食の効果が実感されるのは、オランダに帰ってからになるだろう。


本日書店で立ち読みをしているときに、細胞の染色体の端にあり、「命の回数券」とも言われるテロメアに関する書籍を読んでいた。どうやら日々の自分の生活習慣(食事や運動、さらには精神のあり方など)は、テロメアを伸ばすことにつながっていることがわかった。


また、別の書籍の中で、「境界知能」に関して説明がなされていて、それについて思うことがあった。境界知能の人たちは、知的障害(IQ69以下)ではないが、IQがおよそ70~84ほどの、読み書き計算などの学習や、運動や手先の器用さなどに困難を抱えるということを知った。その割合は、人口の約14%ほどとのことであり、その割合の多さに驚いた。


成人発達理論やインテグラル理論などを学んでいると、その背後にある上昇志向的な発想ゆえに、こうした生物学的に知能の発達が難しい人たちがいることを忘れてしまいがちであるが、サイコパスやソシオパスの人々と同様に、こうした境界知能の人たちの存在を踏まえて議論や実践をしていくことを忘れてはならないと思う。京都2020/10/17(土)15:20


6335.【京都滞在記】考えること/『ちいさな哲学者たち(2010)』を見て


時刻は午後4時を迎えた。まだ雨がシトシトと降っているが、明日は天気が良くなり、気温も随分と上がるようだ。


本日書店に足を運んだときに、詰将棋の本と、大学受験用の数学の問題集を眺めていた。日本に帰って来て書店に立ち寄ると、どちらの書籍もついつい手を伸ばしたくなる。


立ち読みしながら詰将棋の問題を考えたり、受験数学の問題を考えたりすることがどうやら好きなようだ。だが今日は、誰かが作った問題に答えようとすることの愚かさを思った。


詰将棋や受験数学の問題の解き手に回るのではなく、自らが問題を作り、自らで問題を解いていくこと。そちらの方が遥かに重要で、遥かに面白いということを改めて思った。


本日購入した社会学と哲学の用語集をもとに、自ら問題設定をして、その問題に自ら答えていくこと。それに加えて、創作活動というのは、自分で問題設定をし、自分でその問題を解決していく営みであることを改めて思った。


つい先ほど、『ちいさな哲学者たち(2010)』というフランスのドキュメンタリーを見た。このドキュメンタリーは、フランスのとある幼稚園で始まった世界で初めての、子供が行う哲学の授業を映し出している。


4歳から5歳にかけてこの哲学の授業が行われたらしく、彼らの成長ぶりには目を見開かされるものがあった。特に印象に残っているのは、自由をテーマに議論をしているときに、5歳ぐらいの小さなアフリカ系フランス人の女の子が、「自由とは、ちょっと独りになれること。そして、息抜きができて、優しくなれること」と述べていたことである。


さぁ、現代人はどうだろうか。どれだけの人が独りの時間を持てているだろうか。しかもその独りの時間とは、孤独死につながるような否定的なものではなく、自らの肥しとなるような肯定的かつ積極的な孤独の時間である。


そして、息抜きや優しさについても、この小さな女の子の主張からは考えさせられることが多い。子供たちの自由に関する議論を聞いていると、彼らは、現代社会が自由と規定しているものの限界や自由の相対性に気づいているようだった。


子供たちがいよいよ卒園をし、小学校に入学する時期になり、最後の授業として、考えることの大切さが改めてのテーマとなった。そのテーマに対して、アジア系のフランス人の女の子が、「私は考えるのが好き。だって、考えることと夢を見ることは似ているから」と述べた。


考えることと夢を見ることの類似性。それはとても洞察に溢れている。その発想は自分にはなかった。


思考するというのは夢を見ること、夢を見ることは考えることと密接につながっているのかもしれない。


思考することも夢を見ることも、どちらも共に想像性と創造性が鍵を握る。現代人の想像性と創造性は仮死状態であり、そうした状況においては、思考することも夢を見ることもままならないのだろう。しかし、そうした仮死状態を治癒する道はある。京都2020/10/17(土)16:25

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