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5675-5678: アートの国オランダからの便り 2020年3月30日(月)

April 1, 2020

本日の言葉

Phenomena are preceded by the heart, ruled by the heart, made of the heart. Dhammapada

 

本日生まれた14曲

 

本日生まれた曲はこちらのMuseScore上で公開しています。

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タイトル一覧

5675. 1日の活動時間の見直し

5676. 『如水会々報』と油絵

5677. 言葉・音・絵(イメージ)を通じた内的リアリティの創造に向けて

5678. 絵画作品を基にした作曲実践:ハーモニーの学習の進展

 

5675. 1日の活動時間の見直し

 

時刻は午前6時を迎えた。昨日からサマータイムとなり、サマータイム前の時刻で言えば、今は午前5時ということになる。

 

サマータイムに入ったばかりのため、辺りはまだ暗く、小鳥たちの鳴き声もまだ聞こえてこない。彼らが鳴き声を上げるのはもう少ししてからだろうし、朝日が昇り始めるのも今しばらく後だ。

 

メスたちに自分の健康状態をアピールするために鳴き声を上げ始めるオスの小鳥たちよりも早く起きている自分は一体何なのだろうと可笑しくなってしまう。自分は彼らの存在を見守る者だと認識しておこう。

 

今の気温は1度とのことであり、気温は低いが、ここ最近はもう日中のみならず朝にヒーターをつけることもなくなった。日中に太陽の光がたっぷりと部屋に差し込むことによって、部屋が暖かくなっているようなのだ。そのおかげでヒーターをつけることはなくなっている。

 

ただし、就寝中には湯たんぽを使っており、起床してから午前中の活動に従事している際にもお腹に湯たんぽを忍ばせている。例年の傾向で言えば、やはり5月ぐらいまでは湯たんぽを使って寝ることになるかと思われる。

 

湯たんぽのおかげで腸が活性化し、喜んでいることがわかる。お腹を温めることによって腸がより健康になり、それが心身の健康を根底から支えている。

 

4月の初旬に書籍を大量注文し、それらが届くまでは今は読書から少し離れている。そのおかげで作曲実践に打ち込む時間が増えているのは喜ばしいことである。

 

とは言え、作曲ばかりをしているわけではないので、作曲に充てることができるのは5時間半から6時間ほどであり、曲の原型モデルの創作の時間などを含めると、音楽に向き合っているのは合計で7時間から7時間半ないしは8時間ほどだろうか。

 

今後はもう少し作曲に時間を充て、理想は8時間ぐらい曲を作り、作曲関連の学習や原型モデルの作成を含めると、9時間から10時間ぐらいを確保したいところである。それぐらいの時間であれば全く無理がなく、程よい程度の実践量かと思われる。

 

私は自分に負荷をかけ過ぎる傾向があり、以前の自分であれば、作曲に12時間ぐらいを充てようとしていたのかもしれないが、その2時間の負荷量は大き過ぎるように思える。

 

ロサンゼルスで生活をしていたときは2つの仕事を掛け持ちしていたため、学習に割ける時間がほとんどなく、学習時間の管理をよく行っていた。休日は近くのカリフォルア大学アーバイン校の図書館に行くのが楽しみであり、休日の学習時間は12時間から13時間ぐらいであり、12時間を超えてくると集中力が下がってしまう自分に気付いていた。

 

その時間を超えて学習しようとすると、脳がパンクしてしまうかのようなのだ。自分はそれくらいの脳の容量しか持っていないことを考えると、学習や実践の最大時間数は12時間から13時間ぐらいなのだと思われる。

 

今は読書だけをしているわけでも作曲だけをしているわけでもないので調和がもたらされており、トータルの学習·実践時間が15時間を超えても何の問題もなく、1日に自らの取り組みだと思っているものには15時間以上の時間を投入しているように思える。

 

今日からは作曲実践にもう少し時間を充てるため、日記の編集は夕食後に行うようにする。作曲ソフトのMusescore上に作った曲を投稿した後に日記の編集に取り掛かる。

 

これまでは日記の編集は、昼食後に行っていたが、昼食後の時間はフーガの学習と実践に充てたい。そこで1つか2つほど曲を作った後に仮眠をし、仮眠から目覚めた後に日光浴をしてからまた作曲に取り掛かるというリズムを作っていこう。

 

このように、日々の時間の使い方についても微調整をし、色々と試す中で新たな習慣を確立していこうと思う。フローニンゲン:2020/3/30(月)06:26

 

5676. 『如水会々報』と油絵

 

この8年間の欧米生活において、卒業した日本の大学の会報誌『如水会々報』には毎月お世話になっている。この8年間、私が世界のどこに住んでいても、毎月それを自宅に届けてくれている如水会にはとても感謝している。

 

これまでサンフランシスコ、ニューヨーク、ロサンゼルス、フローニンゲンで生活をしてきたが、世界のどの都市に住んでいても毎月無料で会報誌を届けてくれているのだ。

 

アメリカ時代においては、井筒俊彦先生の『意識と本質』とケン·ウィルバーの『存在することのシンプルな感覚』ぐらいしか日本語の書籍がなく、毎月文字として日本語に触れるのは如水会々報を通してだけだった。そのような生活をアメリカで4年ほど送る中で、如水会々報を読むことは私にとって大きな楽しみであり、心の支えになっていたとすら言える。

 

そんな如水会々報の最初ページには、諸先輩方が描いた油絵——アクリル絵の時もあるかもしれない——が掲載されており、それがとても印象的である。毎回掲載されている油絵を眺めることもまた1つの楽しみであり、今月号に掲載されている油絵もぼんやりと眺めて楽しんでいた。

 

昨日の日記で書き留めていたように、近々、日記の執筆や作曲だけではなく、自分の内的感覚を言葉や音以外の方法で、つまり絵の創作を通じて形にしていきたいと思う。それらは全てデジタル空間上で行おうと思う。

 

調べてみると、リアルな油絵を描けるソフトがあるようなので、それを用いて油絵を描いていきたいと思う。まだデジタルアートの創作に向けた道具、すなわちiPad Proを購入していないのだが、もう頭の中では何を題材にしてどのようにデジタルアートを描いていくかの構想がある。

 

小さな目的で言えば、上述の通り自分の内側の感覚を絵にしていくことによって、感覚世界を拡張させ、さらに豊かなものにしていくことだが、それ以外の小さな目的は、そのような形で絵を描き、それを他者に共有することで、自他の内的世界の治癒と認識空間の拡張を促すことがある。そのような小さな目的のようなものはあるが、治癒と変容を度外視して純粋に絵を描くことを楽しみたいというのが一番だろうか。

 

今のところデジタルアートの題材は、日常の景色や風景と、純粋に自分の内側の内的感覚の2つがある。前者に関して言えば、日々の生活の中で写真を撮影し、その写真をもとに油絵を描いていく。その絵から喚起された内的な感覚やビジョンをさらにもう1つの絵にすることは後者の題材とも関係している。

 

後者に関しては、その瞬間の内的感覚に意識を向け、それをそのまま絵として形に表現してみるのもいいだろう。そうした2つの異なる題材と異なるアプローチで油絵をデジタル空間上で描いていこう。

 

さらには、過去の偉大な作曲家が残した曲を聴いて喚起されたものを絵にしたり、好きな画家の作品に喚起された内的感覚やビジョンを絵の形にするのもいいだろう。そのように考えてみると、描く題材は本当に事欠かない。

 

旅に出かければ、絵画の題材が自分の内側から溢れ出してくるだろうし、無限のインスピレーションが得られるだろう。作曲に加えて絵画の創作を始めれば、日々の生活がさらに彩り豊かなものになっていくと思われる。フローニンゲン:2020/3/30(月)06:44

 

5677. 言葉・音・絵(イメージ)を通じた内的リアリティの創造に向けて

 

言葉、音、絵(イメージ)。それらはこのリアリティを構成する三大要素のようなものだと改めて思う。言葉を通じた日記の執筆、音を通じた作曲実践以外に、私が絵画の創作に関心を持ったのは、絵(イメージ)というものがリアリティを構成する上で大きな役割を担っているからなのではないかと思ったからである。

 

それともう一つ、言葉、音、絵を通じた創作に駆り立てているのは、時代精神と目には見えないシステムへの対抗ないしは反抗のようなものもあるかもしれない。時代精神や社会のシステムに隷属した形で、すなわち外側から自分のリアリティを構築するのではなく、自分の内側から自分のリアリティを創造したいという衝動が自分の内側にあるようなのだ。

 

もちろん、1人の人間としてこの世界で生きていく中で、時代精神や社会のシステムから完全に切り離されることはなく、それらに影響を受けながらもうまく付き合っていく必要がある。だが決してそれらに隷属してはならず、それらに自分のリアリティを制限させてはならないように思う。

 

自らのリアリティを自分自身の言葉·音·絵を通じて創造していくこと。その取り組みにこれから本格的に乗り出していきたい。

 

今後AIがどれほど発展し、それとどのように人類が付き合っていくのかに関心を持っている自分がいる。以前から小説を生成するAIや、作曲を行うAIもいる。だが、アートの世界の最後の最後の部分は、AIが得意とする計算を超えているものなのではないかと思う。

 

絵画に関して言えば、ひょっとすると、肉眼で捉えられるものについてはAIも随分と上手く描くことができるかもしれないが、心眼で捉えられるものについてはAIは不可侵なのではないかと思われる。仮にそれが部分的に行えるようになったとしても、心眼を持つ画家の絵には到底敵わないだろう。

 

作曲に関しても、1つの音から次の音へ進むパターンは無数にあり、計算量が爆発してしまい、量子コンピューターでもその計算量には苦戦させられるだろうし、仮に計算ができたとしても、それがきちんとした音楽作品になるかは疑問が残る。

 

これから一生涯かけて作曲や絵画の創作に取り組んでいこうと思っているのは、上述のように、時代精神と時代のシステムに対決·対抗するという側面のみならず、AIの台頭によって浮上してきた人間とは何かを突き詰めるという意味もあるように思う。端的には、アートを通じて、AIにはできないことは何か、人間にしかできないことは何かを探求したいと思っている自分がいるようなのだ。

 

AIには想像できないような一筆を描き、一音を置く。そのようなことを意識して、今後も自分の内的感覚及び感性を育んでいく精進を続けていきたい。そのために必要な直接体験は何でも積み、学習と実践を怠らない。

 

時刻は午前7時を迎え、辺りは薄明るくなり、小鳥たちも鳴き声を上げ始めた。今日は午前中に小雨が降るようだが、午後にはそれが止み、今週もまた晴れの日が続くとのことである。

 

春だ。春がやってくる。春がもうすぐやってくるのだ。

 

春がやってきた頃に、オランダの国内旅行がてら、ピエト·モンドリアンの美術館に足を運ぼう。5月末にはアテネにも行く。その頃のフローニンゲンはまだ寒さが残っているだろが、アテネはきっと初夏の様相を呈しているだろう。

 

夏にはスイスの避暑地に行き、そうこうしているうちに日本への一時帰国の日がやってくるだろう。フローニンゲン:2020/3/30(月)07:06

 

5678. 絵画作品を基にした作曲実践:ハーモニーの学習の進展

 

時刻は午後8時を迎えた。今、フローニンゲンの上空に鮮やかな夕焼けが広がっている。

 

思い返してみれば、今日は午前中に小雨が降り、午後には少しだけ天気雨が降っていた。夕方から今にかけて空は晴れ渡り、今日もまた日光浴を少しばかり楽しむことができた。

 

今夜の気温はマイナス2度に到達するようだが、今週末には気温が上がり、来週の月曜日には最高気温が18度に達するようである。フローニンゲンは、このように少しずつ暖かい気候に向かっている。

 

今日はゴッホの『ひまわり(1889)』を参照し、そこから喚起されるものを曲にした。明日はモネかルドンの作品を参照しよう。

 

絵画作品から得られる作曲上のインスピレーションはとても大きい。日常のありとあらゆることを題材にして曲を作っていく際に、絵画作品というのはインスピレーションの大きな源泉である。

 

毎日少なくとも1つの絵画作品に対して曲を作っていくようにしたい。それもまた1つの習慣とする。

 

本日ふと、少しずつ楽譜を通して作曲家と対話ができるようになってきた自分がいることに気づいた。これは嬉しい気づきである。

 

楽譜を眺めていると、その曲の背後にある隠れたメッセージのようなものに気付くようになっている。もちろん、まだ作曲家の真意の深くにまでは至っていないが、何かしらの意図のようなものは確かに感じる。

 

そして時に、その作曲家の内的感覚がトレースされるかのように自分の内側で再体験されることがある。これが一度起こってしまうと、その体験は脳の神経ネットワークに埋め込まれ、その体験の前のようには曲が聴けなくなる。

 

すなわち、ひとたび隠れたメッセージを発見したり、作曲家の内的感覚を追体験すると、そのメッセージと感覚を脇に置いて曲を聴くことはほぼほぼ不可能になるということである。

 

現在、ウォルター·ピストンの“Harmony”という書籍を参考にしてハーモニーの学習と実践を進めている。本書は600ページ弱ほどの分量があるが、少なくとも連続で2回転か3回転させようと思う。

 

本書はハーモニーに関する網羅的な書籍であり、ハーモニーに関する数多くのパターンを学習することができる。本書はまるで、受験数学における青チャートのような書籍である。

 

本書を2回転か3回転した後に、秋の一時帰国を目処にショーンバーグが執筆したハーモニーに関する書籍を参考にし始める。こちらも中身は濃いいが、上述の書籍に比べて軽いため、一時帰国の際に携帯しやすい。

 

ショーンバーグのこちらの書籍に対しても繰り返し譜例を参考にして曲を作っていく。その後、作曲技術の応用的な手法を身につけるために、バルトークやメシアンの作曲技法に特化した書籍を参考にする。それらはさながら分野別対策の数学問題集か大学への数学シリーズのようなものだろうか。

 

それ以外にも、現在ゆっくりとフーガの技法に関する書籍を参考にしている。こちらはアルフレッド·マンが執筆したものだ。

 

本書も何度か繰り返し学習し、その後にはウォルター·ピストンが執筆した対位法の書籍を参考にしたい。本来であれば、対位法を学習した後にフーガの学習に移行するのが一般的な流れかもしれないが、まずはフーガについて感覚的に慣れ、その後に対位法の学習をしてから再びフーガの学習に戻ってきたいと思っている。フローニンゲン:2020/3/30(月)20:32

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