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5536-5537:フローニンゲンからの便り 2020年2月12日(水)

February 14, 2020

本日の言葉

What is a moment? A moment is nothing more than a being that is constantly reborn. Dainin Katagiri

 

本日生まれた6曲

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タイトル一覧

5536. 今朝方の夢

5537. 無意識の世界の扉と過去未来の世界

 

5536. 今朝方の夢

 

時刻は午前5時半を迎えた。今朝も強風が吹いており、強い風が吹くのはこれで3日連続である。天気予報を確認すると、どうやら明日は風が治まるようだ。

 

今年は本当に気温がそれほどまで下がらず、気温に関しては過ごしやすい冬である。一方で、今年は例年以上に雨が多い印象だ。ほぼ毎日どこかの時間帯には雨が降っている。今日もそうだ。

 

これから1週間は金曜日を除けば、どの日も雨マークが付されている。今、あられのような雨が降って来て、書斎の窓ガラスに弾けるようにしてぶつかっている。街灯に照らされた箇所においては、大きな雨粒が目ではっきりと確認することができる。

 

今朝方の夢。それは自分を少しばかり揺さぶるようなものだった。

 

夢の中で私は、実家の目の前の海岸に似た砂浜の上に立っていた。見ると、近くには両親と母方の祖母がいた。どうやら私たちは、一緒に釣りを楽しんでいるらしかった。

 

今回の釣りの対象はイワシであった。父は釣りの名人であるから、最初私は父にイワシの釣り方について教えてもらっていた。実際に釣りをしていたのは父と私であり、母と祖母は傍らで見守っていた。

 

父が最初の一投を投げると、竿にすぐさま反応があった。竿のしなり具合からそのイワシは大きいことが予想された。

 

イワシ以外の魚の可能性もなくはなかったが、竿から伝わる振動を通じて、それがイワシであることは間違いないと父が述べていた。波打ち際に魚を引き揚げてみると、それは確かにイワシであった。しかもそれはとても立派なイワシであり、小魚というよりも中型の魚であると言った方が正確であった。

 

父はすぐさまイワシの口からルアーを外そうとした。ところが、どうやらそのイワシはルアーを喉の奥まで飲み込んでしまっているようであり、さすがの父もルアーの取り外しに苦戦をしていた。

 

そして、無事にルアーを取り外すことができると、父はなぜだかそのイワシをリリースした。せっかくの大物だっただけにもったいないと思ったが、父には何かの意図があるのだろうと察した。

 

だが、リリースされたはずのイワシは元気がなく、やはり喉の奥にルアーが刺さっていたことが影響してか、見る見るうちに海底に沈んでいってしまい、結局息を引き取った。すると、母と祖母が近くにやって来て、「また次の魚を釣りばいいわよ」と声を掛けて来た。

 

それに対して父はうなづき、3人は笑顔で少し場所を変えるために歩き始めた。そこで私は立ち止まり、3人を大きな声で呼び止めた。

 

:「てめえらちょっと待て。魚の命を大切にできないヤツらとは一緒に釣りなんてできない。死生観が違いすぎる」

 

私がそのように述べると、3人は驚いた表情を浮かべていた。私には、彼らが生き物の命を粗末に扱いすぎているように思えたのである。

 

「お前らがあの魚の命をあのように扱ったのと同じように、俺もお前らの命を同じように扱ってやろうか」と言いたかったが、その言葉を口にするのはグッと堪えて、私は3人に背を向けて、砂浜を後にした。

 

次の夢の場面では、私は空港にいた。そこはどうやらマルタの空港のようであった。ただし、実際のマルタの空港とは違って面積がさらに広く、施設の数も多かった。

 

私はこれからどこかの離島に向かうことになっており、ボーディングの時間が迫って来ていた。少し急いで搭乗口に向かおうと空港内を歩いていると、この空港がやたらと広く、そしてやたらと入り組んだ作りになっていることに気づいた。「これはまずいな」と思った。それぐらいに空港内が複雑であったから、すぐに搭乗口に辿り着くのは難しいと思ったのである。

 

案の定、空港内で迷ってしまい、にっちもさっちもいかなくなってしまった。すると、近くに小中高時代の親友(SI)と高校時代の友人(SK)がいたので、私は彼らに話しかけた。

 

彼らに話しかけた瞬間に身体が瞬間移動して、私たちは緑豊かな大きな街路樹が植えられた道の上にいた。立派な街路樹は私たちの背よりもうんと高く、太陽の強い光が当たらないように遮ってくれていた。

 

雰囲気から察するに、夏のようだった。汗ばむほどではなかったが、私たちは半袖であった。

 

すると、親友が突然走り始めた。そして、突然彼の目の前に自転車が現れ、自転車に乗ってどこかに行ってしまった。見ると、サイクリング部の人たちと一緒に部活をするつもりだったようだ。

 

そこで私は高校時代の友人に、「うちの高校にサイクリング部なんてあった?」と尋ねると、「いや、なかったよね」と彼は答えた。しかし、親友の彼は確かにサイクリング部の連中と一緒にどこかに行ってしまったことは確かだった。

 

せっかくこれから3人で少し話をしようと思っていただけに、親友の彼がどこかに行ってしまったことは残念であった。歩道橋の上を楽しそうに自転車を漕ぐ彼の姿を見たところで、再び私の意識は空港に戻って来た。

 

ハッとすると、私は空港のエレベーターの前にいた。そこで上の階に行こうと思ってボタンを押すと、またしても私の意識はどこかに瞬間移動した。

 

すると、最初の夢の場面で出て来た海岸とは少し違う、どこか外国の国の海岸にいた。厳密には、私は砂浜の上にいたのではなく、海岸を見下ろす山の上にいた。

 

直感的に、そこはマルタ共和国だと気づいたのは、山の上から海岸をしばらく眺めた後のことだった。

 

山頂からの眺めを楽しんでいると、突然、海岸の方からマシンガンや大砲の音が聞こえて来た。見ると、イギリス海軍がマルタを占領にやって来たようであり、イギリスの艦隊が陸に向かって攻撃を仕掛け、それに対してマルタの軍が応戦をしているようだった。

 

その様子を見て、最初私はイギリス海軍の分が悪いと思っていたのだが、しばらくすると、形勢が逆転したようだった。「このままではマルタはイギリスに屈してしまい、イギリス軍が陸に上がって来てしまう」と思った。

 

そう思った私は、先ほど街路樹の下で話をしていた友人が横にいたので、彼と一緒に一刻も早くこの場を去ろうと思った。同じようなことを考えている人たちが周りにはたくさんいて、その場にいた人たちは一斉にさらに奥の山の方に逃げ始めた。

 

走り出した瞬間に、私の意識は再び空港の中にあった。そこで私は、先ほどの山とこの空港は近くにあることに気づいたのである。

 

先ほどの銃撃戦とは打って変わって、空港内の雰囲気は平和であった。空港にいる人たちは、外の世界で何が起こっているのか全くわかっていない様子だった。

 

私は外の世界で何が起こっているのを知りながらも冷静になることを務め、早くこの国から脱出しようと思った。だが、相変わらず搭乗口がどこにあるかわからず、引き続き私は空港内を彷徨っていた。

 

すると、先ほどのエレベーターの前にやって来て、どうやらこの先に搭乗口があるらしいぞと思った。2階に上がってみると、マルタ航空のカウンターがあり、どうやら搭乗口は近いことがわかった。

 

しかし、エレベーターから出たその空間は、四方がガラス張りになっており、そこはカウンターを含めて、どこにもつながっておらず、行き止まりだった。そのため、私はもう一度下に降りようとした。

 

すると、後ろから空港で勤務しているらしき小柄な外国人が声を掛けて来た。その瞬間、私はかなり驚いた。というのも、そこは四方がガラス張りになっていて、扉などなく、いったい彼はどこから現れたのだろうかと思ったからである。

 

そうした驚きはあったが、特にその点について気にすることもなく、空港内で迷っていて、搭乗口に早く行く必要があるということを彼に伝えた。すると彼は親切にも搭乗口への行き方を教えてくれた。

 

どうやらまずは1階ではなく、地下1階に行く必要があるとのことだった。そこからフロアをぐるりと回れば搭乗口に辿り着けると教えてもらい、安堵感が生まれた。

 

地下1階に到着し、エレベーターの扉が開くと、目の前はアイスクリーム屋だった。そこで日本人の見知らぬ女の子2人がアイスクリームを食べていた。

 

すると、一緒にエレベーターを降りた係員の男性が、「向こうの方に軽食を買える店がありますよ」と述べ、彼はその店の方に向かって歩き、店員に注文をして、1ユーロほどの安い菓子パンを紙袋に入れてすぐにこちらに戻って来た。

 

アイスクリームにせよ菓子パンにせよ、正直なところ、「ろくなものが売られてないな」と私は思った。彼は「何も買わなくて大丈夫ですか?」と親切に尋ねてくれ、「大丈夫です」と私は答えた。

 

その場を後にする前に、コーヒーか何かを購入しておこうかと思ったところ、アイスクリームを食べている2人の女の子のテーブルの近くに、飲み放題の機械があり、1人の女の子がその機械に近づいて、飲み物をコップに注いでいた。見るとそれは熱湯のようであり、熱湯しか飲み物が出ない機械のようだった。

 

そこで私は、「そういえば、3階のフロアにマルタ航空のラウンジがあったな」と思い、そこでならばコーヒーが飲めると思った。しかし、そこでのコーヒーの質と種類に疑問を持ち、さらにはラウンジであるにもかかわらず、支払いをしなければならないと思われたため、私はコーヒーを飲むことをやめにした。

 

そのような考え事をしていると、先ほどまで隣にいた係員の男性はいなくなっていた。そこから私は、すぐさまそのフロアをぐるりと回って搭乗口に向かった。

 

とは言え、そのフロアもまた複雑な作りをしており、ぐるりと回るだけでも大変だった。ようやくの思いで反対側までやってくると、搭乗口の前に並べられた椅子の一つに見覚えのある顔を見つけた。

 

見ると、私が以前働いていた塾を経営している副社長だった。そして副社長の前には、見知らぬ女性が座っていて、その女性はこれから講師として働くことになっている方のようだった。

 

副社長に挨拶をすると、ボーディングパスを渡された。そこで私は初めて、今まで自分がまだチケットを持っていなかったことを知ったのである。副社長からチケットを受け取って気づいたことはそれだけではなく、どうやら自分は再度その塾で働くことになっているようだった。

 

出発の時間が迫って来てはいたが、もう搭乗口前にいるので安心だと思い、副社長と少しばかり話をすることにした。すると、以前お世話になっていたエリアの校長が牡蠣にあたり、食あたりで大変だったという話を聞いた。私もかつて牡蠣にあたったことがあるので、その辛さを知っており、校長先生に同情した。

 

しばらく話をしていると、いよいよ搭乗時間となり、ゲートを潜ると、なんとそこは飛行機とはつながっておらず、滑走路とつながっていて、飛行機は遥か遠くにあった。そのため、飛行機まではシャトルバスを使って移動する必要があるらしく、私は何台か止まっているうちの1つのバスに乗ろうとした。

 

そこでもう一度自分のボーディングパスを確認すると、なぜか副社長のボーディングパスも私の手元にあり、副社長は間違えて彼の分のチケットまで渡してしまったのだと思った。それがなければ副社長は飛行機に乗ることができないとわかっていながらも、もう時間がなかったので、私は副社長のチケットを持ったまま、近くのバンのような小さなバスに乗り込んだ。

 

自分のチケットを確認すると、座席番号は6、アルファベットは何も付されていなかった。フローニンゲン:2020/2/12(水)06:46

 

5537. 無意識の世界の扉と過去未来の世界

 

時刻は午後7時半を迎えた。今雨は止んでおり、強風も吹いていない。穏やかな夜である。

 

今日の夕方、夕日に照らされた雨を眺めていた。それは夕日で美しく輝いていて、無意識にその美しさにぼんやりと見入っていた。

 

今日も雑多なことを色々と考えていた。この世界に対して幾分うがった見方をしている自分がいることに気づいたり、この世界の良さを手放しで賛美するような自分がいることに気づいたり、そして両者の自分の間をまるでシーソーゲームのように往還している自分がいることに気づいたりしていた。

 

この世界とは一体何なのだろうか。そしてそこに存在しているこの自分とは。

 

無意識の世界の探究は続く。そしてその探究度合いは増していく。

 

無意識の世界に貯蔵されている無尽蔵なリソースの活用に向けて探究を進めている自分がいる。無意識の世界へのアクセスは今のところ夢以外には、この身体を通じてである。

 

身体と無意識は直結しており、身体へ介入することによって無意識の世界に参入していくことができる。身体は無意識の世界の扉であったか。そのような気づきを本日改めて得ていた。

 

とにかく身体意識へ意識を集中させている時間がここ最近は多い。日常動作を何気なく行うのではなく、そこにもう無意識の世界への扉が隠されているのだから、そこを起点にして無意識の世界に入っていこうとしている自分がいる。

 

現在、細かなものを含めれば、本当に数限りない実践をしている。以前から何げなく行うことがあったが、例えば、夜就寝前に書斎から寝室までの真っ暗な世界の中を、目をつぶったままで障害物に当たることなくベッドまで辿り着くということなどは一例である。今夜もそれをやってみよう。

 

多くの人が心身の不調に対する予防を行えるようにし、本来持っている自然治癒力の調整と涵養を行えるような知見を共有していくこと、及び一人一人がそうした知見を身近の誰かに共有していく流れに関与していくこと。

 

心身が不調に陥るような文化や社会システムに関与していくことも重要でありながらも、そうした大掛かりな関与の前に、まずは自分にできる小さなことから始めていくという意思を改めて明確に持った。心身の健康と意識の発達に関する大きな学習共同体の一員としての役割を担っていこうと思う。

 

何を今更と言われるかもしれないが、人は変われるのだということを実感する出来事が今日あった。現在進行中の協働プロジェクトに午前中に従事している時にそれを思った。また、人間存在に対する見方が少しばかり変化した。

 

人は本当に幾つになっても変われるらしい。私たちは変わり続けていく生き物なのだから、それは当たり前だと言われるかもしれないが、質的な変化をこの目で目の当たりにし、それを強く実感すると、人が変われるということの尊さに打たれるものがある。

 

ここから私たちはどのように変わっていくのだろうか。そしてこの社会はどのように変わっていくのだろうか。

 

2020年を迎えたこの現代において、私は時に数百年前の日本や欧州の姿に思いを馳せることがある。そして、今から数百年後や数千年後の地球に思いを馳せることがある。

 

仮に地球がその時まで存続していたら、数百年後の世界は現在の私たちの世界の出来事をどのように見るのだろうか。野蛮なもの、洗練されたもの、数百年後の世界の人たちは、きっと私たちの今の世界の諸々の物事に対して色々と言いたいことがあるだろう。フローニンゲン:2020/2/12(水)20:03

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