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5529-5531:フローニンゲンからの便り 2020年2月10日(月)


本日の言葉

Cherishing others is opening the door for all happiness of oneself and all others. Lama Zopa Rinpoche

本日生まれた10曲

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タイトル一覧

5529. ユング博物館とエルヴィン·ラズローから受け継いだ古書

5530. 今朝方の夢

5531. 巨大な認知的ゲシュタルトの構築と超感覚的情報の通路の開拓

5529. ユング博物館とエルヴィン·ラズローから受け継いだ古書

時刻は午前6時を迎えようとしている。今朝の起床は午前5時であり、比較的ゆったりとした起床だった。良質な睡眠を取り、今日もまた自分の取り組みに励むだけの活動エネルギーが朝から満ちている。

今日はどうやら満月のようであり、闇の空の彼方に輝く満月を見ることができる。その前を早い速度で雲が通り過ぎていく。

昨日と同様に、今日もまた風が強い。午前中から昼頃まで雨が降るようだが、午後は一時的に雨が止むとのことである。そのタイミングを見計って、ジョギングがてら近所のスーパーに買い物に出かけよう。

ここ最近は、色々とシンクロニシティのような形で自分を取り巻く諸々の物事が結びつきあっている。そこでふと、シンクロニシティという概念を提唱したユングについて気になり、彼の博物館がチューリッヒ郊外にあることを知ったので、今度チューリッヒを訪れた際にぜひ足を運んでみたいと思った。

どういうわけだが私は、様々な分野で偉業を成し遂げ、人類に少なからず貢献を果たした人間に関心を持ち、彼らが活動をした場所や彼らの博物館を訪れることをしている。ユングと同じく心理学領域で言えば、過去にはウィーンでフロイト博物館に行き、ピアジェが生まれたスイスのニューシャテルにも足を運んだ。

そこで今度はユングである。チューリッヒにはその他にも興味深い博物館や美術館があるようなので、今度の旅のリストに加えようと思う。

私は普段、読みたい書籍が見つかる都度、それをリストに加え、しかるべきタイミングで購入している。書籍のリストと同じように、足を運びたい場所も着実と旅リストに加えられていく。

チューリッヒに訪れるのは今年ではないかもしれないが、少なくとも昨日リストに加えたチェコのプラハには春過ぎか秋にでも訪れたい。プラハでは各種の美術館に加え、スメタナとドヴォルザークの博物館には必ず足を運ぶ。

昨日ふと、あるシンクロニシティについて思い出し、それについて考えていた。今から数年前にハンガリーのブダペストを訪れた際に、私は街の古書店兼カフェに立ち寄った。そこでコーヒーを注文し、注文を待っている間に壁に埋め尽くされた古書を眺めていた。

そこでふと手に取った一冊が、偶然ながら統合理論の確立に際してケン·ウィルバーと並んで多大な貢献を果たしたエルヴィン·ラズローが所蔵していたものだった。その書籍は、ロシアの科学者が執筆したシステム科学に関する分厚い解説書であり、その科学者がラズローに献本したことが最初のページのサインからわかった。ラズローは何らかの理由でそれを手放し、それが何の縁か私の手元にやってきたのである。

その書籍の内容そのものに惹かれるものがあったため、もちろん私はその古書を購入した。だがそれ以上の理由として、その科学者からラズローに引き渡された叡智をラズローから引き継いだ感覚が自分の中にあり、その縁に感慨深いものがあったことも大切な理由だ。

昨日はその出来事について思い出していた。その書籍が自分の手元にやってきたは本当に大きな偶然だったと思う。しかもそれがあのラズローがかつて所有していたものであったことも大きな偶然である。

その書籍をまた近々読み返してみよう。その際にもきっと、何かの偶然でまた新たな発見があるに違いない。フローニンゲン:2020/2/10(月)06:10

5530. 今朝方の夢

強風が過ぎ去っていく。だがその強風は見ることができない。木々の揺れや風の音を通じて、それが確かに存在しているのだと知ることができる。

目には見えないが確かに存在するもの。それは数限りなく存在している。それを忘れないようにしたい。

そこに大切な事柄が隠されている。それは隠されているようでいて、絶えず私たちの目の前に開示されているのだ。

断片的ではあるが、今朝方の夢を少々覚えている。夢の中で私は、実際に通っていた小学校のグラウンドの上にいた。そこで今から400m走のタイムの測定が行われることになっていた。

距離として400mは最初から全力で走ると後半は随分とバテてしまう。そうした懸念はあったが、私は最初から全力で走ろうと考えていた。

スタート地点に着くと、ピストルを鳴らす役割の先生が、スタートの仕方について説明をしてくれた。以前までは横一列で一斉にスタートしていたようなのだが、今回からはクラウチングスタートで、しかもお互いの距離をずらしてスタートすることになった。

数回ほど練習をする時間があり、練習の際にも先生は足の運び方などを私たちに教えてくれた。それが的を得ていたようであり、その方法でスタートをすれば、随分と出だしが良い感覚があった。

今からタイムを一緒に測定するのは、何人かの友人たちだった(NK&SI&YU)。いざスタート地点に着いて視線をふと前方にやると、校舎の前に、部門は違うのだが、前職時代にお世話になっていた方が立っていた。その方は私たちのレースに関心があるようだった。

そしてピストルが鳴り、スタートを切ると、スタートは非常に順調であり、私はそのままの勢いで後半までやってきた。最後まで親友(NK)と首位を競っており、結果としては彼が私よりも一歩早くゴール地点に辿り着いた。そこで夢の場面が変わった。

次の夢の場面では、私はどこかの旅館の大浴場の更衣室にいた。実際にはその前に、旅館の受付でのチェックインがあったのを覚えている。受付は2つあり、混んでいない方の受付でチェックインを済ませた。その時対応してくれたのは中年の男性だった。

部屋に戻るよりも先に大浴場に向かった私は、荷物は更衣室のロッカーに預けようと思った。そこで早速着替えを始めると、小中学校時代の親友(HS)が隣にいて、私に話しかけてきた。

すると親友は、私の乳首を指差して、「あれ?どこに行ったの?」と述べた。それに対して私は、「あれは抜け落ちてしまった」と述べた。

友人が指を指して指摘していたのは、私の右乳首にあった長い毛であり、それは先日何かの偶然で抜け落ちてしまったことを彼に伝えた。すると彼は少し残念そうな表情を浮かべて、「そんなこともあるんだね」と述べた。

その後、彼は大浴場の扉の方に向かってゆっくりと歩いて行った。私は彼の背中を見ながら、「よく覚えていたな」と思った。そこで夢の場面が変わった。

最後の夢の場面では、高校時代の友人(TN)と異国の地のある街の家の一室で、一緒に本を読んでいた。私が収集してきた様々な書籍の中から彼の関心に合うものを勧め、それをもとに話をしていた。

話の最後に、科学的探究の奥深さと尊さについて彼に語り、感極まるものがあった。込み上げてくるものを感じていると目が覚めた。

昨日の夢の中ではアメフトとバスケを行い、今朝方の夢の中では陸上をしていた。現実世界においてはもう激しい運動はしておらず、毎日朝のヨガと午後のジョギング程度を行っているだけだが、夢の中ではいつも激しい運動を行っている自分がいる。

現実世界の自分の代わりにそれを行ってくれているのか、それとも自分の無意識は激しい運動を欲しているのだろうか。今はただ、そうした激しい運動に充てるエネルギーを知的活動に全て振り向けている。

そこで激しい思考運動を行うようにすればいいのではないかと思っているが、もしかすると、もう少し強度の高い運動を取り入れてもいいかもしれない。あるいは、知的活動のギアをさらに上げることも考慮に入れたい。フローニンゲン:2020/2/10(月)06:37

5531. 巨大な認知的ゲシュタルトの構築と超感覚的情報の通路の開拓

今、また少し雨が降り始めた。今日は特に午前中に激しい風を伴った雨が降っており、夕方あたりは雨が止んでいた。

時刻は午後7時を迎え、今日もゆっくりと終わりに向かっている。今日は午前中に協働プロジェクト関係のミーティングが一件あり、それ以外の時間は全て作曲実践と読書に充てていた。

現在読み進めている書籍の対象領域は多岐に渡っているが、どうやらそれらの領域の知識が一つの巨大な認知的ゲシュタルトを構築し始めているように感じる。それは、目には見えない意識空間内に構築されていく建築物のようであり、今の自分はそれを少しずつ大きなものとして建築している最中のようだ。

その設計図は私の手元になく、完成物がどのようなものかはわからないが、そうした構築物を確かに作っているという実感だけがある。そして、それを構築するために時間がゆっくりと流れていく。

現在建築中の構築物が一応の完成を迎えた後に、それがどのような構築物となって目の前に現れるのか、そしてそこからさらに新しくどのような構築物を作ろうとするのか。それは全く未知である。

午後に作曲実践をして少し休憩をしていた時に、どうやら自分は、何の批判をすることもせず、何の批判を受けることもせずに内側の奥深くにある感覚情報を曲の形にすることを通じて、そうした情報の通路をより明瞭なものにし、内奥のないしは自己を超えた感覚情報を得る力を高めようとしているのだと気づいた。

それは多分に現代社会で封印·抑圧されている類の力である。様々な心理学者や物理学者の発言を見ていると、超感覚的情報が貯蔵されている場がどうやら存在しているようであり、自分は今、作曲を通じてその通路を開拓しているようだ。

今日は不思議な組み合わせの読書を行っていた。一つは、米国の伝説的な超能力者であるインゴ·スワンの書籍“Everybody's Guide to Natural ESP: Unlocking the Extrasensory Power of Your Mind”と、ケンブリッジ大学出版から出版された現代の現象学の知見が収められた論文選集の“The Oxford Handbook of Contemporary Phenomenology”というものである。

前者は間違いなくニューエイジ系の書籍に分類されるであろうし、後者はその道の生粋の学者しか読まない書籍に分類されるだろう。そうした対極的な位置にある書籍を今日は読み進めていた。後者の書籍に関しては如何せん分量があり、初読が終わるのは明日になるだろうか。

ここ最近は、毎日次から次へと貪るように書籍を読んでいる。相変わらず食事は質素極まりないが、それとは対照的に、読書に関してはその摂取量が極めて多い。

ここ最近注文した50冊ほどの書籍もほとんど一読が済んでおり、来月購入予定の書籍リストがまた50冊ほどになっている。来月は、ここからふるいに掛けて30冊ぐらい購入しようと思う。

今年の8月で、欧米での生活も9年目となる。8年目の生活の終わりにこうした集中的な読書を行っていることには何か大切な意味があるのだろう。それはきっと、自分がこの世界で果たす役割につながっているはずだ。

雨が天から滴り落ちている。その一滴一滴と同じく、毎日自分は先人たちの叡智が宿る場から叡智の欠片の一片一片を受け取っている。

明日もまた固有の輝きを持つ1日になるはずだ。世界はそのように告げているし、自分の内側もそのように告げている。フローニンゲン:2020/2/10(月)19:28

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