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5472-5475:フローニンゲンからの便り 2020年1月21日(火)


本日の言葉

Only the instant is eternal. We never savour the instant thoroughly. Dugpa Rimpoce

本日生まれた8曲

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タイトル一覧

5472. クラニオセイクラル·バイオダイナミクスの探究と実践

5473. 呼吸と観察:物理的次元における身体を超えた実践と学習

5474. 今朝方の夢

5475. 友人のメルヴィンと呼吸法について話をして

5472. クラニオセイクラル·バイオダイナミクスの探究と実践

時刻は午前5時半を過ぎた。新たな1日がまたゆっくりと始まった。

昨日と今日の境界線がどこにあるのかはわからず、そもそもそのような境界線など存在しないのかもしれない。自己は連続的にこのリアリティを生きている。そして不思議な現象としては、そうした連続的な自己は必要に迫られて非連続的な変貌を遂げるということである。

連続的なのだが非連続的でもある自己。それについて考えさせられる静かな時間と場所がここにある。

ここ最近は起床時間が遅く、午前5時頃に起床している。この時間に起床しても午前中の時間帯を十分に創造活動に充てることは可能だが、理想としてはもう少し早く起床してもいいように思う。

おそらく今は季節の変わり目ゆえに、何か身体が調整を行っているのだろう。確かにここ最近は体感温度としてグッと冷えてきた印象だ。実際に明日や明後日においては、最低気温がマイナスとなる。

昨日の日記でも書き留めていたが、ここ最近は呼吸に注目し、呼吸法を意識的に実践している。朝の呼吸法に関してはもう8年間も継続しているため、それは完全な習慣となっており、それを意識的に行うことはなく、日中の呼吸をより意識するようになった。

道教の教えにおいては、呼吸には宇宙の化身が宿っており、その力が身体に様々な形で働きかけるとされている。呼吸というのは確かにグロスボディで行う側面が一番分かりやすいが、実は、サトルボディやコーザルボディなども呼吸をしていることも忘れてはならない。そうした高度な身体構造が呼吸をしていることに着目をしたのが、まさにクラニオセイクラル·バイオダイナミクスなのだろう。

今から5年前に日本に1年間ほど滞在していた時に、臼井レイキの資格を伝授してくださった知人のセラピストの方から、この興味深い治癒法について教えてもらった。その時に学習したことと、その後自分なりに少しばかり学習したことが今につながっており、ここから再度クラニオセイクラル·バイオダイナミクスを深く探究したいと思う。

私自身はヨガの実践者でもあるが、高次元の身体に働きかけ、それを通じて治癒と変容をもたらすという観点においては、ヨガよりもクラニオセイクラル·バイオダイナミクスの方が効果があるように思う。これら二つの身体技法には固有の価値と限界があるため、安易に比較をすることは本来できないが、高次元の身体により働きかけるという観点においては、やはり上記のような考えを自分は持つ。

昨夜も自分に対してこの技法を適用していた。その際に、クラニオセイクラル·バイオダイナミクスのトレーニングを受けていた時のセッションの風景が思い出され、それはまるで施術者とクライアントが2人で一緒に行う瞑想実践のように思われたことを思い出した。

施術者は基本的にクライアントの自然治癒力を目覚めさせるためのホールド役に過ぎないが、クライアントの足先や頭に触れることによって、そこでクライアントとのつながりが生まれ、そのつながりを通して2人で一緒に瞑想を行っているような不思議な感覚があったことを思い出している。

瞑想というのは一人称的な実践を超えて、二人称的な実践にもなりうるということを体感させてくれる出来事だった。そのようなことを昨夜考えており、ここからは改めてクラニオセイクラル·バイオダイナミクスの探究をしていこうと思う。

欧州で生活を始めてからも、以前一度クラニオセイクラル·バイオダイナミクスの探究に乗り出そうと思ったことがあったが、それは今だったのだと思う。治癒と変容をもたらす音楽を作っていく際に、自己の治癒と変容をより進めていく必要があり、クラニオセイクラル·バイオダイナミクスはそれに一役買うだろう。

確かにこれまでも自分に対してこの技法を就寝前にふとした時に適用していたが、これからは毎晩この技法を意識的に適用したいと思う。クラニオセイクラル·バイオダイナミクスをここで深く学習するために、下記の書籍を購入しようと思う。下記の9冊を購入すれば、相当に網羅的な知識を得ることができるだろう。

量子力学やトランスパーソナル心理学、そして解剖学的な観点における脳科学の知見などが要求されるクラニオセイクラル·バイオダイナミクスは非常に興味深い。

1. Biodynamic Craniosacral Therapy, Volume One

2. Biodynamic Craniosacral Therapy, Volume Two

3. Biodynamic Craniosacral Therapy, Volume Three

4. Biodynamic Craniosacral Therapy, Volume Four

5. Biodynamic Craniosacral Therapy, Volume Five

6. The Polarity Process: Energy as a Healing Art

7. Foundations in Craniosacral Biodynamics, Volume One: The Breath of Life and Fundamental Skills

8. Foundations in Craniosacral Biodynamics, Volume Two: The Sentient Embryo, Tissue Intelligence, and Trauma Resolution

9. Cranial Intelligence: A Practical Guide to Biodynamic Craniosacral Therapy

フローニンゲン:2020/1/21(火)06:08

5473. 呼吸と観察:物理的次元における身体を超えた実践と学習

グロスボディにおける呼吸だけではなく、サトルボディやコーザルボディも呼吸をしており、そうした身体次元での呼吸を整えていくことに関心を持ち、再びクラニオセイクラル·バイオダイナミクスの実践を本格的に探究していこうと思っていることについては先ほどの日記でも書き留めた。

クラニオセイクラル·バイオダイナミクスも他の身体技法と同様に、国際資格のような形で認定を受けることが可能だが、私はそうした認定を受けていない。知人の施術師の方から理論と方法を教えてもらい、何度かトレーニングを受けたことに留まる。

ヨガや臼井レイキについては認定を受けているため、それらの認定資格をもとにすればクラニオセイクラル·バイオダイナミクスを他者に提供できなくもないが、対価を得るような形で他者にこれを提供することは今も全く考えていない。あくまでも人間の意識や脳の特性を探究する一環として、そして自己治癒と自己変容を支える方法としてこれを活用していこうと考えていることは変わりない。

とは言え、より深く学習するために実務者の養成コースのようなものが近くにないかを一応確認してみた。すると近くであれば、ベルギー、ドイツ、イギリスなどで、そうした養成コースがあることを知った。

それらのコースの内容を見ていると、やはりそうしたコースを通じて探究と実践をしていくことは自分には合わないように思われた。そのため、一つ前の日記で言及した9冊の書籍と以前購入した数冊の書籍をもとに探究と実践をしていこうと思う。引き続き自分を実験台にして、これまで以上に意識的に実践と観察及び考察を繰り返していこう。

自分の内側の生命力の流れを呼吸と共に観察していると不思議なことが起こる。そうした観察により、自己治癒力が目覚めるかのようなのだ。この背後には、量子力学における観察の考え方が適用できるかもしれない。つまり、観察した瞬間に、それが生命力の流れに影響を与え、その結果自己治癒力が高まるという構図である。そうした構図が本当に見て取れることが大変興味深い。

昨夜も就寝前にベッドの上に横たわっている時に、自分の呼吸の流れと生命力の流れの双方に意識を向けていた。この意識を向けるということが、どうやら本当に自己調整と自己治癒につながっているようなのだ。おそらくここに治癒と変容の鍵があるだろう。

クラニオセイクラル·バイオダイナミクスに私が着目をしているのは、こうした意識的な観察ないしは見守るということを大切にしているからであり、様々な身体次元での現象を観察的にホールドし、身体の自己治癒力を目覚めさせることにある。

9冊の書籍については今日中に注文してしまおう。音楽とヒーリングに関する書籍が後2冊ほどイギリスとアメリカから届けられるが、それを待たずしてクラニオセイクラル·バイオダイナミクス関連の9冊の書籍を注文し、それらも合わせて読み進めていく。

呼吸を通じて身体を極度にリラックスさせ、まるで身体から抜け出していくような形で、自分の実践空間や探究空間に入っていく。端的には、呼吸を通じて身体をリラックスさせることによって、意識を物理的次元における身体から解放し、意識を音楽や書物の中で展開されている目には見えない抽象的な空間にいざなっていく。その空間内においては、サトルボディを通じて実践や学習を進めていく。

実践や学習をより深く行っていくことの鍵は、この点にあると言えるかもしれない。すなわち、物理的な身体の制約を超えて、抽象的な実践空間·探究空間にアクセスし、その空間内でサトルボディを通じて身体運動を行っていくということが、実践や学習を深めていくことの鍵になるのではないかということだ。

これから行う作曲実践と本日の読書においてはこの点をとりわけ意識し、深い呼吸を通じて物理的次元の身体を超えていく形でそれらに従事してみよう。フローニンゲン:2020/1/21(火)06:32

5474. 今朝方の夢

時刻は午前6時半を迎えた。今、深くゆったりとした呼吸と共にこの日記を書いている。

日記の執筆にせよ、作曲実践にせよ、読書にせよ、そして日常の他の活動にせよ、全ての活動に従事している際に深い呼吸を絶えず意識しようと思う。

呼吸を整えることが全ての道である。呼吸は道につながり、呼吸こそが道に他ならない。そのようなことを思う。

今日は午後にかかりつけの美容師のメルヴィンの店に行き、彼に髪を切ってもらう。その際の話題の一つはぜひとも呼吸にしよう。

メルヴィンが普段どのように呼吸法を行っているのか、どのようなことを意識して呼吸をしているのかを聞いてみよう。彼の好きなチェスを行っている時や、彼の仕事である髪を切っている時にどのような呼吸をしているのかを尋ねてみると面白い話に展開するだろう。

それでは早朝の作曲実践に入る前に、今朝方の夢について振り返っておきたい。夢の中で私は、フットサルコートの上にいた。そこはフットサル専用のコートではなく、ストリートフットサルと評していいような、即席で作られた遊び場のようなコートだった。

そこで私は、大学時代のフットサルサークルの先輩たちとフットサルをしていた。厳密には、先輩たちと組んで、見知らぬ人たちと試合をしていたのである。

相手チームの顔ぶれを見ると、フットサルがあまりうまそうには見えず、何よりも、彼らは一様に背が低く、私たちの腰ぐらいの高さの身長しかなかった。そして、彼らのメンバーの数は試合が行えるギリギリの人数であり、フットサルという交代を前提とした激しいスポーツにおいて、人数が少ないことは不利なように思えた。

一方で私たちのチームは十分に人数がおり、交代を駆使しながら試合を運べるためにとても有利なように感じた。試合が始まってみると、確かにこちらのチームが優勢に試合を進めていたのだが、なかなか得点が奪えなかった。最後の最後でシュートが決まらないという状況が何度も続いており、ベンチで見守っていた私は気が気ではなかった。

早くコートの上に立ちたいという思いを抑えながら、私はしばらく先輩たちのプレーを見守っていた。すると、前半終了間際になって、本来キーパーを務めている先輩が得点を奪った。その試合においては、その先輩はフィールドプレーヤーとしてコートの上に立っていた。

その先輩がシュートを放った時、相手のゴールキーパーは一歩も動かなかった。動けなかったというよりも、動かなかったという表現が正しい。

どうやら相手のキーパーは、こちらに配慮して得点を与えてくれたことに気づいた。なぜそのようなことをしたのかは定かではない。

ゴールを奪われた相手チームのキーパーは、ネットからボールを出し、センターサークルに向かってボールを投げた。すると、そのキーパーの横腹に穴が空いていることに気づき、その穴から血が流れ出ていることに気づいた。

その穴はかなりの大きさであり、骨や内臓まで見えてしまうほどであったが、出血はそれほど大したものではなかった。彼もそれを自覚しているようであり、平然としていたため、何事もなかったかのように試合再開となった。

そこでようやく私はコートの上に立つことができ、試合再開後、相手のキーパーがコートの外に出ているすきに、すかさずシュートを放ち、2点目をあっさりと奪った。そこから私は3点目、4点目を入れていくという強い気持ちを持っており、すぐさま試合が再開されることを待っていた。そこで夢の場面が変わった。

次の夢の場面では、私は大学時代を過ごした国立の街にいた。久しぶりにこの街を訪れてみると、随分と開発が進んでおり、特に駅前の印象がガラリと変わっていたことに驚いた。

巨大なデパート群がいくつも立ち並んでおり、オフィスビルも乱立していた。それでいて国立の景観の良さを保っているようであったから、少しばかり安堵の気持ちになった。

ちょうどその時期は大学の新歓期のようであり、各サークルや部活の新歓で街全体が賑わっているように感じた。すると突然私の携帯が振動し出し、見ると、サークルの代表を務めていた友人からメールがあった。

彼のメール曰く、これから新歓をするので、新入生を駅まで迎えに行って欲しいとのことだった。そのメールを受けるまで、自分がまだ大学に所属していたことに気づかなかった。特に断る理由もなかったので、彼の要望を受け、私は駅に向かった。そこで新入生2人と落ち合い、彼らを大学まで案内することになった。

その道中、彼らは神奈川県の高校から来たらしく、高校があった場所は比較的栄えた街だったとのことなので、開発された国立の街に圧倒されることは特にないらしい。私のように田舎から出てきた者にしてみれば、入学と同時にこうしたモダンに開発された街にやってきたらさぞかし驚くだろうと思った。

新入生2人と会話を楽しみながら歩いていると、向こうからサークルの代表を務める友人が手を振ってやってきた。そこから私たちは、大きなデパートの地下で何か食べようということになり、デパートの地下に入った。

するとそこには、大量の売れ残りの冷凍食品が壁際にあるガラス張りの冷凍庫の中に入っており、それを見た時には幾分ギョッとした。そこから私たちはぶらぶらとデパートの地下に良い店がないかを探し、しばらくしてから夢から覚めた。フローニンゲン:2020/1/21(火)07:00

5475. 友人のメルヴィンと呼吸法について話をして

時刻は午後7時を迎えた。今日もまた非常に充実した1日だった。

午前5時にゆったりと起床し、そこから今に至るまで、充実感の流れの中に絶えず自分がいた。その時々の自分は常にゆったりとした呼吸と共にあった。

呼吸について強い関心を示していることについては今朝方の日記で書き留めた通りである。今朝方の日記で書き留めた通り、今日友人かつかかりつけの美容師のメルヴィンと話をした際にも呼吸の話題となった。髪を切ってもらっている最中には様々な話題となったが、呼吸は一つ大事な主題だった。

偶然にも、今日はメルヴィンが休暇明け最初の仕事日だったようだ。メルヴィンはオーストリアの山に行き、ウィンタースポーツをパートナーのスシや家族と楽しんだようだった。

メルヴィンと挨拶を交わした瞬間に、彼がオーストリアの山々から巨大なエネルギーを享受したことがわかった。実際に、メルヴィンは山に到着した最初の日と次の日に、山の頂上あたりで瞑想や呼吸法を行っていたらしく、大自然からありったけのエネルギーを受け取ったそうだった。その効果がありありとわかるぐらいに、今日のメルヴィンからはエネルギーが迸っていた。

通常においてもメルヴィンのエネルギーレベルは一般人よりも圧倒的に高く、そのあたりの秘密については色々と知っている。その中でも、呼吸法に鍵があることが本日分かった。

メルヴィンは毎朝仕事場に到着した時と夜寝る前に、「4·7·8呼吸法」を行っているそうだ。これは、4秒間息を思いっきり吸い、7秒間呼吸を止め、8秒間かけて息を最後まで吐き出すことを最低5回繰り返す呼吸法である。メルヴィンはこれを日課にしているらしい。

興味深いのは、これを閾値を超えて行うと、スタニスラフ·グロフのホロトロピック·ブレスワークのように、意識を変容させることができるとのことだった。そういえば私も、入浴中に時々この呼吸法のように、深く息を吸って、顔を浴槽につけて息を止め、その後大きく息を吸い込むことを息抜きがてら行っていることがある。今日もそれを行っていた。

呼吸法については引き続き様々な角度から探究と実践をしていこう。最近は外の寒さもあってボルダリングには行けていないが、毎朝のヨガと軽いジョギングを継続して行い、そして呼吸法のようにいつでもどこでもできる実践をより意識的に実践していこう。

その他にも、メルヴィンは最近マッサージ技法を学んでいるらしく、その点についても話が盛り上がった。そこから私は、ちょうど最近関心が再燃したクラニオセイクラル·バイオダイナミクスについてメルヴィンに話し、今夜この身体ワークに関する動画をメールを通じて送ることになっている。

クラニオセイクラル·バイオダイナミクスに関する書籍をまとめて購入し、来月あたりに集中的に読み込んでいき、メルヴィンのマッサージと交換する形のセッションを行ってみてもいいかもしれない。

クラニオセイクラル·バイオダイナミクスを不特定多数の人に施術する気は一切ないが、身近な人にぜひ提供したいという思いが静かに芽生え始めている。この技法は他者と共に行うセラピーかつ瞑想であり、お互いにもたらされる治癒と変容が他の技法に比べて大きい点が特徴かと思う。フローニンゲン:2020/1/21(火)19:23

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