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5190-5194:ヴェネチアからの便り 2019年11月14日(木)

November 16, 2019

本日生まれた6曲

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タイトル一覧

5190.【ヴェネチア旅行記】ヴェネチア出発の朝に:今日という新たな輝き

5191.【ヴェネチア旅行記】オランダへの帰還:今夜からの断食について

5192. フローニンゲンに戻ってきて

5193. 同別古新・独独独

5194. 守護神:日常と非日常の間の通路

 

5190.【ヴェネチア旅行記】ヴェネチア出発の朝に:今日という新たな輝き

 

 

今私は、コーヒーや香ばしいパンの香りが立ち込めるマルコ·ポーロ空港のMarco Polo Clubというラウンジにいる。

 

今朝方はゆっくりと起床したため、ホテルで日記を執筆する時間がなかった。そのため、この日記が今日初めてのものとなる。

 

今日はいよいよヴェネチアを出発し、オランダに帰る日だ。起床してみると、もう辺りは薄明るくなっていて、数日前の歴史的な水害が嘘のように平穏な世界が広がっていた。

 

ヴェネチアを出発するこの日は本当に天気が良く、起床してしばらくすると、黄金色に輝く朝日が顔を覗かせ始めた。私は自室の窓を開け、新鮮な空気を部屋に取り入れながら、その輝く朝日を眺めていた。

 

空は雲ひとつない青空であり、空を眺めていると、どこからともなく教会の鐘の音が聞こえてきた。そういえば、ホテルの近くにいくつかの大きな教会があったなと思い出し、そのうちのどこからか聞こえてくる鐘の音なのだろうと想像した。

 

日記を書いたり作曲したりする時間はなかったが、昨夜の段階でもう荷造りをほとんど終えていたため、朝はホテルで比較的ゆっくりと過ごすことができた。午前11時半が満潮のピークになるという高潮予報があったため、できるだけ早くホテルを出発することにした。

 

当初の予定よりも30分ほど早く、午前8時にホテルを出発した。ホテルを出発すると、後方から輝く朝日が背中に差してきて、私は思わず朝日の方を振り返った。そして、5日間過ごしたヴェネチアの街での思い出がにわかに湧き上がってきた。

 

わずか5日しか滞在していないのだが、1ヶ月ぐらい滞在していたような気分である。それほどまでに今回の旅も充実したものだった。充実の意味が今回は特殊なのは確かである。まさかあのような記録的な浸水被害に直面するとは全く思っておらず、その体験もまた大きな意味を持っており、自然そのものに対して、そして自然と人間の共存について考えさせられるきっかけとなった。

 

今いるラウンジはとても広々としたスペースがあり、最近リノベーションをしたらしく、とてもお洒落なデザインとなっている。くつろぐスペースはその人のニーズの数だけ様々なものがあり、私は個室のようなスペースでこの日記を書いている。そして、今からボーディングの時間まで作曲実践をしたいと思う。

 

このラウンジは、アムステルダムのAspireラウンジよりも食事面で充実している。より厳密に述べれば、Aspireラウンジはサラダやスープがある点で今のラウンジよりも優れているが、こちらのラウンジはさすがイタリアのラウンジと言わんばかりに、クロワッサンやマフィンなどを含め、パン菓子類が非常に充実している。

 

また、Aspireラウンジではコーヒーはセルフサービスで入れる必要があるのだが、このラウンジではコーヒーを入れてくれる人がいて、先ほど私はエスプレッソを注文した。今朝はまだ何も果物を摂っていなかったため、ラウンジ内にあるリンゴとキウイの詰め合わせを先ほど食べた。今からもう一杯ほどエスプレッソをもらって、それを片手に作曲実践をしよう。

 

ヴェネチア出発の朝はどこか輝きに満ちており、今日という日がまた一つの固有の光を放っているように思える。Marco Polo Clubラウンジ@マルコ・ポーロ空港:2019/11/14(木)09:36

 

5191.【ヴェネチア旅行記】オランダへの帰還:今夜からの断食について

 

つい先ほどアムステルダムのスキポール空港に到着した。予定よりも早く空港に到着し、余裕を持って列車に乗り換えることができた。

 

今私は、フローニンゲンに向かう列車の中にいる。いつも旅から戻ってきてこの列車に乗るときに感じるのは、「帰郷の安堵感」である。この感覚を味わい重ねれば重ねるほど、この国が自分にとって大切な故郷になっていく。

 

今から約2時間ほど列車に揺られればフローニンゲンに到着する。幸いにも今日のオランダは雨が降っておらず、フローニンゲン駅から自宅までゆっくりと歩いて帰ることができそうだ。

 

本日にて短くも長く感じられたヴェネチア旅行を終える。今日は自宅でゆっくりと入浴し、早めに就寝しよう。明日からはまた、これまでの日常と変わらずに、日々を充実感を持って粛々淡々と過ごしていく。

 

今回の旅を通じて、私はまだイタリアの一つの街しか訪れていないが、イタリアという国に対してはとても好意的な印象を持った。また機会を見つけて、イタリアのその他の地域にも足を運んでみたい。

 

今回の旅を通じて、改めて私たちが気がつかないうちに身につけている「文化のシニフィエ」を意識することになった。「文化のシニフィエ」というのは、フィリピンのマニラ出身の現代アーティスト、ロナルド·ヴェンチューラの作品に内包されるコンセプトであり、彼の作品をサン·マルコ広場のギャラリーで鑑賞した際に、私は旅を通じて様々な国の文化のシニフィエに意識の光を当て、自らが纏っている文化のシニフィエを客体化するということを行っているのだと思った。

 

そして、単にそうしたものを客体化するだけではなく、それを再度新たな意味づけを持って自らに所有し直すという編成作業を行っているように思えてくる。旅が持つ意義や価値の一つにはそうしたものがあると改めて思わされた。

 

ヴェネチア滞在中の日記で書き留めていたように、今夜から断食を始める。ちょうど旅を通じて冷蔵庫が空になっているので、今夜から断食を始めるのはちょうど良いタイミングだろう。

 

現代において水だけを飲む断食はあまり推奨されておらず、私もそうした断食は行わないようにしている。固形物の摂取を断ち、胃腸を休める形で身体の諸々の機能の修復改善を図っていくが、栄養はきちんと飲み物から摂っていく。

 

人間にとって水分は非常に大事だが、それと合わせて塩分も重要であり、水断食では塩分の摂取が難しい。今夜からの断食では、早朝にいつものように小麦若葉や大麦若葉のパウダーを水に溶かしたドリンクを飲んだり、カカオドリンク、ルイボスティー、豆乳などを適宜摂取していく。それに合わせて、具なしの味噌汁を飲むことも行う。

 

こうした形で身体機能の維持に必要な最低限の栄養を摂りながら、胃腸を休め、諸々の身体機能を蘇らせていく。今回もあまり無理をせず、3日から5日ぐらいの断食に留めようと思う。今夜からの断食は、旅を終えての楽しみの一つである。フローニンゲンに戻る列車の中:2019/11/14(木)15:22

 

5192. フローニンゲンに戻ってきて

 

静けさと落ち着き。その二つがフローニンゲンの自宅に戻ってきた瞬間に受け取ったものである。先ほどフローニンゲンの自宅に戻ってきた。幾分大袈裟かもしれないが、命辛々ヴェネチアからオランダへ戻ってきたと言ってもいいかもしれない。

 

ヴェネチアの歴史的な洪水を経験したことは、自分の死生観に少なからず影響を与えた。単刀直入にそのようなことを思う。

 

あの洪水が自分の死生観に影響を与え、霊性の捉え方にも何か変化をもたらしたように思う。全く脈絡もないかもしれないが、あの洪水に見舞われたことに何かしらの意味がやはりあり、今夜から断食に入ったこともまたつながっているように思える。

 

ヴェネチアのマルコ·ポーロ空港を出発したフライトはちょうど正午あたりのものであり、その前にラウンジで軽く昼食を摂った。それが最後の食事となり、今夜から心身が欲する期間だけ断食をしようと思う。

 

不思議なことに、とても自然に断食が始まった感覚がするのである。今夜からしばらく断食を行い、その過程で起こる種々の変化についてまた書き留めておこうと思う。

 

先ほどメールを確認したら、両親から別々に連絡があった。どうやら私のブログとニュースを見たらしく、ヴェネチアでの災害を心配してのものだった。二人には早めに返信をしておこうと思う。日本でも今回のヴェネチアの件についてはテレビのニュースで放送されているらしい。

 

フローニンゲン駅に午後の5時過ぎに到着した時、辺りはもう暗かった。そして何より寒かった。

 

もうすっかりと冬の様相を呈しているフローニンゲン。そんなこの街で、私は今夜からまたこれまでと変わらない生活を送っていく。

 

長く長く、この生活を送っていく。淡々と、そして粛々と、自分のなすべき取り組みに従事していく。

 

黙想的な意識が自己を包み込んでいる。書斎の窓から広がる深い闇の姿がとても懐かしく思える。この深い闇が恋しかった自己。この静寂さと落ち着きを待ち望んでいた自己。

 

今後はもっと闇が深く、もっと静寂で、もっと落ち着きのある自然の中で生活を営んでいくかもしれない。それは本当は強い希望である。

 

自分の魂がそれを熱望している。魂の遍歴はもう少ししたら終焉なのではないかと思う。自然に到着したら、そこで自分の魂は深く根を張っていくのではないかと思われる。

 

やはり北欧なのだろうか。山と海が近くにあり、森林の中の家に憧れる。

 

人工的な音や明かりから離れ、自然の音、そして光と闇に包まれて暮らしたい。そのようなことをぼんやりと考えている自分が静けさの中に浮かんでいる。

 

これからすぐに両親に無事だということを伝えるメールをしておこう。フローニンゲン:2019/11/14(木)18:57

 

5193. 同別古新・独独独

 

またしても異常な自己が現れてきた。それは自己が異常なのではなく、自己の異常な側面と言ったらいいだろうか。あるいは、それこそが人間性の中に根差す正常さなのだろうか。

 

とにかくもう日々を新たな気持ちで生きたいという思い。日々が創造に次ぐ創造に水没してしまうかのような毎日を過ごしたい。

 

人生における一日などなくてよく、ただそこに創造だけがあってほしいという想い。人生があって創造があるのではなく、創造があって人生があるという関係性の転換。

 

その転換からの再出発。再出発からの己の真なる人生。そうした人生がまた産声を上げた。

 

時々私は、自分がどうかしてしまったのではないかと思うことがあるが、そう思う自分はまだ何もわかっていない。どうかしてしまった自分が正しく、どうかしてしまったと思う自分は正しくない。

 

正しい·正しくないを超えた後に待つ正しさがあることを見極めなければならない。上述のそれは、そうした二元論的なものを超えた先にある正しさについて述べていることは言うまでもない。

 

自己即闇、自己即光、闇即光、光即闇。窓の外には光輝く闇が広がっていて、深く暗い光が広がっている。

 

自分の中の何かを開いてくれたヴェネチア。特に、あの悲惨な歴史的災害。

 

自分の内側の霊的な感覚がまたこれまでの位相とは異なる所に開かれていく。ヴェネチアに滞在中、「あぁ、またやってきた」と思った。

 

日常生活を普通に送ることが少し難しいくらいにある知性が低下し、その水位が下がったおかげで切り開かれる別の知性、ないしは感覚。ヴェネチアの街を歩いている最中に、自分の知性のある領域が愚鈍なものとなり、また別の領域が突如として開く感覚があった。

 

それはどこか異常な知覚を伴うものであった。そうして切り開かれた感覚は、世界を捉える眼を変えた。

 

その眼はこれまで何度も言及している心眼ないしは魂眼の類だが、それはこれまでとはまた別の次元で開眼しつつあるのを感じる。今夜から始まった断食は、そうした眼をさらに押し開くだろう。それらの眼に真剣を差し込む形で切り開くに違いない。

 

今自分が生きてこうして呼吸していること、言葉を紡ぎ出していることが不思議である。それは浮遊感を伴った不思議さである。

 

元々独りである私は、またこの世界の中で独りになった。独りにも位相があるのだ。今度の一人は、また異なる位相に姿を現した独りである。

 

そんな独りの自分に対して、「いつまで独りでいるのだ」と問う自分がいた。だが、そうした自分もまた結局独りなのだと思う。そうではないだろうか?きっとそうだろう。

 

日記を書くこと、作曲すること、旅をすることしかなくなった。それだけしか自分に残されたことはないかのような諦念が湧き上がる。

 

それらしかないが、それらだけがある。この「ある」というのは、存在及び人生の隅々にまで満たされたものであり、もう何の空白も余白もない。

 

ヴェネチアの街が水で満たされたあの姿。水はどこまでも入り込む。それは水の脅威であり、水の持つ神聖な力だった。

 

あの脅威的かつ神的な水のように、日々の生活の隅々が言葉と音に満たされ切った人生。そんな人生がまた明日から、いや今この瞬間からまた始まったように思う。

 

ある感覚·感性が途切れた。それに伴って世界観や死生観も途切れた。そして新たな感覚·感性が生まれ、世界観と死生観もまた新たなものになった。

 

明日からの日々は、また連続的に捉えられるかもしれないが、どこか妙に非連続的な形で捉えられるような気もしている。

 

自己の外壁、あるいは外殻が剥がれ落ち、中から新たな自己がひょっこり顔を出した。その顔は自分の顔をしているが、やはり新たな顔だった。フローニンゲン:2019/11/14(木)20:22

 

5194. 守護神:日常と非日常の間の通路

 

ヴェネチアに滞在していた時のホテルの自室に、胴でできた象の置き物があった。それが寝室のドアの地面に置かれていて、私はホテルに到着した日に、なぜかその象の頭を撫でた。

 

よくわからないが、私があの歴史的な洪水から逃れることができたのは、この象の頭を撫でたことと関係しているように思われた。そしてもう一つ、小松美羽さんが創造した神獣や狛犬の作品を見て、それらに対して感謝の念のようなものを持ったことも関係しているように思えた。

 

あの象の置物を誰が作ったのかわからないが、象の置物と小松さんの作品によって命を救ってもらえたような不思議な感覚があった。それらは自分にとっての守護神的な存在だったのかもしれない。

 

そもそも元を辿れば、あるいは少し視点を変えて考えてみると、自分の命をかけてその象の置物や小松さんの作品に会いに来たとも言えるかもしれない。

 

本当に自分でもよく分からないが、なぜ自分はこの数日間ヴェネチアにいたのだろうかと思わされる。何かの導きがそこにはあって、その導きの中に自分の人生が包み込まれているような感覚があった。そして今もそうした感覚が続いている。

 

今朝方、ホテルを出発する時、最後にもう一度象の置物の頭を撫でた。鼻も撫でた。実家にいる愛犬を撫でるようにしてそれを撫でた。

 

その象の置物にも命があるように思えた。命を吹き込んだのは誰だったのだろうか。おそらく、その象の作り手と私の二人だろうか。

 

創造者と鑑賞者の二人、あるいは第三者として人知を超えた存在が、その象に命を吹き込んだのだ。命というのはそういう風に生まれるのかもしれない。

 

明日にはまた協働プロジェクトに関する打ち合わせの仕事がある。それは日常を形作る大切な仕事であると同時に、それすらも非日常的なもののように思えてくる。

 

日常と非日常が逆転し、それらの間に相互連関の通路ができた。その通路は完全なまでに大きく開かれており、その通路をもはや通ることを意識しなくてもいいほどである。

 

明日からの日々は、そうした通路を行ったり来たりする形で進んでいくのだろうか。それを続けていると、その通路の轍は消え、日常も非日常もなくなる。

 

その瞬間に、より一段と高い形而上学的な日々が顔を現しそうなのだ。このあたりについては、言葉を尽くして説明する限界があるように思えてくる。であれば、それらは全て音を通じて表現しよう。

 

明日からもまた、作曲理論の学習と作曲実践に精進する。人知れず学び、人知れず実践を行う。そして、人知れず毎日を生きていく。フローニンゲン:2019/11/14(木)20:50

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