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5184-5189:ヴェネチアからの便り 2019年11月13日(火)


本日生まれた6曲

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タイトル一覧

5184.【ヴェネチア旅行記】50年振りの記録的な大高波に襲われて

5185.【ヴェネチア旅行記】ヴェネチア滞在5日目の計画

5186.【ヴェネチア旅行記】浸水に見舞われる毎日:明日の行動計画

5187.【ヴェネチア旅行記】「水の都」ヴェネチアで「1200年の歴史で6度目」の歴史的な浸水被害に直面して

5188.【ヴェネチア旅行記】戦慄を伴う不気味な夢

5189.【ヴェネチア旅行記】大惨事の後の優しい夕日を眺めながら

5184.【ヴェネチア旅行記】50年振りの記録的な大高波に襲われて

昨夜は冗談ではなく、自分の生命の危機を感じた。就寝する時にも外は台風のような豪雨と風が吹いており、昨夜あと少し帰宅が遅れていたらと思うと、ゾッとするほどであった。

就寝に向かっている私は、コンサート会場に残ることを決めた客や演奏者たちの安否を心配した。そして、路地裏などで見かけていたホームレスの人たちの安否を心配し、彼らの無事を祈っていた。それほどまでに昨夜の出来事は命の危険性を感じさせるものだった。

今朝方、5時頃に、再びあのクリスタルボウルのような音が聞こえてきた。昨夜私は、それが警報であることを推測し、今朝方その音が聞こえた時には「またか」と思った。

昨日まではその音が幻想的で美しさがあると思っていたが、そこに「警報」という意味が加わると、なんだかとても不気味な響きのように聞こえてきた。

起床してからもしばらくはカーテンと外窓を閉めたたまにしていたので、外の様子が一向にわからない状況であった。辺りが明るくなり始めたのを見計らい、午前7時を迎えた段階で内窓だけではなく、外窓を開けてみた。するとそこには、昨夜の洪水が嘘のように引いており、私は心底安堵した。

もちろん、この時期のヴェネチアで浸水するのは日常茶飯事のようであり、今後も油断はすることはできない。だが幸いにも、昨日までの天気予報から変化があり、ヴェネチアの実質上の滞在最終日である今日と、ヴェネチアを出発する明日は晴れのようである。

昨夜の被害状況を確認するためにインターネットで調べてみると、なんと昨日の出来事は、過去50年間で最大の高波とのことであり、不幸にも死者が出るほどのものであった。波の高さは最高で187cmほどまで到達していたそうである。その高波がヴェネチアの街に押し寄せ、街は一気に水の下に沈んでしまったかのようになった。

今から遡ることおよそ50年前の1966年に、194cmほどの高波がヴェネチアを襲い、大きな被害に逢うという出来事があった。今回、まさか自分がそれに次ぐ規模の災害に見舞われるとは全く思ってもみなかった。

なんとかこのように無事に生きていることを本当に有り難く思う。

ヴェネチアは、年中浸水するとのことだが、特に10月から1月にかけては水が高くなる。それを事前に知っておけば、また別の時期にヴェネチアに訪れていたかもしれない。あるいは逆に、今回の一件をもってして、自然の脅威を身をもって学び、今後に活かすために、このたびヴェネチアに導かれたのかもしれない。

いずれにせよ、自然の力は人間の想像を遥かに超えているということを身をもって学ばされた次第である。ヴェネチア:2019/11/13(水)07:23

5185.【ヴェネチア旅行記】ヴェネチア滞在5日目の計画

やはりあのクリスタルボウルのような音は警報を示すものであった。現在時刻は午前7時半を迎えようとしており、警報音がなってしばらく時間差があった後、ホテルの前の通りがまたしても浸水を始めていた。ただし昨夜ほどの水の深さではないことが幸いだが、それにしてもこの頻度には驚かされる。

ここ数日間ヴェネチアに滞在してみた経験上、朝のこの時間帯が一番浸水しやすいようであり、明日の出発の時間を真剣に考えようかと思う。当初の計画では、ホテルを8時半辺りに出発しようと考えていたが、仮にこの時間帯が浸水の被害を受けやすいのであれば、もう少し早めに出発する必要がある。

30分前の午前7時の段階では、まだ浸水が始まっておらず、ホテルの目の前の通りは普通に歩けるような状態であった。そうしたことからも、7時前を目安にホテルを出発してしまい、空港のラウンジでゆっくりする方が賢明かもしれないと思われた。

そうしたこともあり、今から1時間ほどでどれだけ水が浸水するのか、あるいは水が引いていくのかを確認し、その結果をもって明日の出発時間を決めたい。とにかく無事にオランダに戻ることが最優先である。

当初の計画では、ヴェネチア滞在の最終日である今日は、カ·ペーザロという美術館に行くことを考えていた。だが今はまだ靴が乾き切っておらず、少なくとも午前中はホテルの自室で過ごす必要がある。

今日と明日は天気は良いとのことであるから、あとは浸水の問題だけだ。靴が乾き、ホテルの外に出られるようであれば、午後からはカ·ペーザロに行く。

この美術館では、19世紀から20世紀前半にかけてのイタリア人作家の作品を多くみることができる。また、先日に言及したように、クリムトの『ユディトII(サロメ)』を鑑賞することができる点も見逃せない。

昨夜の災害に遭ってから、生存的な危機に晒されている時に芸術やら音楽やらなどと言っていられないことを身に染みて実感した。芸術や音楽を楽しむためには、少なくとも身の安全性が確保されているという当たり前の前提条件を教えられたように思う。身の安全性が確保され、そこに精神的なゆとりが加わって初めて、芸術や音楽を楽しめるようになるのだと思う。

生きていくという極めてシンプルな事柄の大切さと、それが持つ意味を思うとき、芸術や音楽が持つ意義については再考を迫られる。今回の直接体験を元に、そのテーマについては真剣に考えていかなければならないように思う。ヴェネチア:2019/11/13(水)07:41

5186.【ヴェネチア旅行記】浸水に見舞われる毎日:明日の行動計画

時刻は午前8時を迎えた。やはりあの警報音の通り、この時間帯はもう完全に道が浸水している。ホテルの前の通りだけではなく、反対側の通りもまた水の下に沈んでいる。この状況を見て私は、明日は予定よりも早くホテルを出発することにした。

警報が鳴ってすぐに浸水が始まるのではなく、少し時間差があるため、起床してからどのタイミングで警報が鳴るかを注意しておこう。もちろん、そうした警報が鳴らないことに越したことはない。

かろうじて警報の音が聞こえなかったのは、ヴェネチアに到着した翌日だろうか。いやあの日はその音に気付いていなかっただけかもしれない。滞在中のすべての朝は、必ずホテルの前の通りが浸水していたように思う。

今日は晴れとのことであり、雨による増水がなさそうなのが唯一の救いである。明日は浸水がないことを祈り、仮にあったとしても少しばかりの浸水であればと思う。

できる限り浸水が始まる前にホテルを出発したいと思い、先ほどバスの時間を調べておいた。今私が宿泊しているのは、ヴェネチアの中心部からほど近く、Piazzale Romaというバス停があり、そこからマルコ·ポーロ空港に向けてノンストップのシャトルバスが出ている。わずか20分で空港まで着けてしまう便利なバスだ。

明日のフライトは12:20にマルコ·ポーロ空港を出発するものである。ボーディングの開始は30分前の11:50となるだろう。

マルコ·ポーロ空港には、Priority Passで利用できるラウンジが二つあり、一つはビジネスラウンジであり、もう一つは食事などがより充実したラウンジだ。後者は“Marco Polo Club”という名前であり、明日はこのラウンジでゆっくりしたいと思う。

大抵のラウンジは、出発時間の3時間前からしか利用できず、このラウンジについて調べてみたが、そうした表記はなされていなかった。だがおそらく3時間前からしか使えない可能性もあり、空港に到着するのはあまり早くない方が望ましかった。

とはいえ、明日の朝ホテルに長く滞在し、浸水に見舞われるのを避けたいため、明日は早く空港に行き、一応ラウンジに真っ先に向かってみるが、もし3時間前からしか入れないのであれば、空港内のどこか適当な場所で時間を過ごしたいと思う。

今、またしてもあの警報音がなった。それはこれから浸水がさらに進むという知らせだろうか。それとも、浸水がここでピークを迎え、今から水が引いていく知らせなのだろうか。そのあたりのメッセージの意味についてはまだ完全に把握していない。

起床してすぐに靴の状態を見てみたところ、幸いにも随分と乾燥しているが、まだ少し中がひんやりとしているようだった。午前中一杯はホテルで過ごすことが確定し、昼過ぎあたりまでには靴が完全に乾いていて欲しいと思う。その頃になれば浸水の水が引いているであろうから、予定通り、カ·ペーザロ美術館に行く。

美術館で鑑賞を終えたら速やかにホテルに戻ってきて、帰り道にオーガニックストアに立ち寄ろうと思う。ホテルからすぐ近くのこの店も、昨夜の浸水によって影響を受けていると思われるが、その被害が少ないことを祈る。ヴェネチア:2019/11/13(水)08:37

5187.【ヴェネチア旅行記】「水の都」ヴェネチアで「1200年の歴史で6度目」の歴史的な浸水被害に直面して

今朝方、英語空間内で昨夜の出来事について調べていたのだが、今改めて日本語でも昨日の出来事について調べてみたところ、やはり日本のニュースでも昨日の出来事が取り上げられていた。「世界遺産に登録されているヴェネチアの街が水没の危機にある」というタイトルのものもあった。

昨日の早朝に、とても幻想的だと思っていた音はやはり警報であり、それは高潮警報だったようだ。高潮警報を聞きながら恍惚的な気持ちになっていた自分に対して可笑しくて笑えてしまう。

だがあの響きはどこか恍惚感を引き起こすような独特な響きであり、危険を知らせるような音には聞こえてこなかった。先ほどもそれが鳴ったということは、やはり今日も高潮の危険性があるようなので要注意だ。

高潮警報の響きそのものだけが恍惚的な感情を引き起こしたのではなく、高潮の先に待っているかもしれない死という現象が、どこか不気味な恍惚感を引き起こしていたのではないかという考えが芽生えた。死が持つ恍惚的なものの根元を探り、それを音として表現していく試みに着手してみよう。

死というのは本当に謎めく現象であり、そうした恍惚感を私に感じさせるだけではなく、同時に昨夜は、生命の危機が訪れるかもしれないことに伴う一種の胸騒ぎと、普段発揮しないような研ぎ澄まされた感覚があった。それは五感が研ぎ澄まされるというだけではなく、第六感、そしてさらにはその他にもまだ潜在的に人間が有しているであろう種々の隠された感覚までもが研ぎ澄まされたように感じたのだ。

ヴェネチアの街は携帯のGPSがうまく機能しないことがあり、現地人に聞くと、実際にそのようであった。ここまでの数日間、ヴェネチアの入り組んだ道には本当に苦労させられ、歩いている最中にはその街並みを楽しむというよりも、迷路の中で頭と感覚を存分に働かせているというような状態だった。それにもかかわらず、ここ数日間は毎日必ずどこかで道に迷うということが起こっていた。

一昨日、カナル·グランデに架かるアカデミア橋の向こう側にあるコンサート会場に行く際にも、その時間帯が夜であったから、昼間と景色が異なって見え、道に迷ってしまった。その際に現地人らしき二人の若いイタリア人カップルに声をかけ、コンサート会場までの道のりを教えてもらった。GPSがうまく機能しないということは彼らに教えてもらったのである。

そのようなことが一昨日まであったのだが、昨夜は少し様子が違った。「ここで道を間違えたら命が危ない」という意識が私の中にあり、それが眠っていた種々の感覚を呼び覚ましたようだった。それはどこか断食をしている最中の感覚に似ていた。

人間は生命の危機が迫っている時、まさに「火事場の馬鹿力」という言葉に代表されるような、何か特殊な感覚を開き、特殊な力を発揮するのだと思う。そのようにして開かれた感覚のおかげか、昨夜は一切迷うことなく別のコンサート会場からホテルまで戻ってくることができた。

世界遺産に登録されているサン·マルコ寺院は、最も標高の低いところにあるサン·マルコ広場の前にそびえ立っており、「1200年の歴史で6度目」という深刻な被害を受けたそうだ。私たちが住むこの地球は、本当にどうしてしまったのだろうか。

近年、日本を含めて、世界のあちこちで記録的な自然災害が続いている。私たち人間がこれまでの歴史で続けてきた数々の愚行に対する裁きなのだろうか。現在頻繁に起こっている自然災害は、地球という惑星の怒りの現れかもしれず、あるいは嘆きの現れなのかもしれない。

今回の一件は、自己を遥かに超えた地球という生命体と、それすらも超えた大きな存在について深く考えさせられる体験となった。それらの存在と自分との関係性を見つめ直していかなければならない。ヴェネチア:2019/11/13(水)09:05

5188.【ヴェネチア旅行記】戦慄を伴う不気味な夢

2100年を迎える頃、今よりも気温が4度ほど上昇し、水没してしまう地域が出てくるかもしれないという記事を見かけた。現在私が住んでいるオランダは、もしかするとそうした地域の一つなのかもしれない。

今後の人類史において、消滅してしまうかもしれない地域に自分が住んでいると思うと、どこか神妙な気持ちになる。そうした事態を防ぐ選択を私たちは賢明に選び取っていくことはできないだろうか。

私たち人間が住む現代社会だけが病んでいるのではなく、そもそも私たちが住む地球が病み始めている。それは今に始まったことではないかもしれないが、その病理の進行は年々加速しているように思えてくる。

今この瞬間には雨は降っていないが、先ほど鳴った本日2度目の高潮警報通りに、浸水の状態は悪い。通りは完全に水没し、その中を長靴を履いた人たちが懸命に歩いている。

ホテルの目の前には、煉瓦造りの家々が並んでいる。そのうちの一軒の三階に住むお婆さんが、窓越しから外を心配そうに見つめている。昨日もそのお婆さんは同じようにして外を眺めていた。

昨夜の出来事が影響してか、今朝方は少し不吉な夢を見た。夢の中で私は、どういうわけかビル·ゲイツ氏と友人関係のようであり、彼とアメリカの西海岸の街のレストランで話をしていた。

話が盛り上がり、ひょんなことから私はマイクロソフトで働くことになった。ゲイツ氏がその話を持ちかけてくれ、私はその話に乗ってみることにしたのである。

レストランでの会話を終えると、ゲイツ氏は所有しているプライベートジェットを私に見せてくれた。それは立派なジェット機であり、マイクロソフト社はそうしたプライベートジェットも製造しているとのことだった。

ゲイツ氏は、エコを意識してプライベートジェットを製造していると述べていたが、エンジンから漏れてくる水を見ると、それはあまり地球環境に良くないのではないかと思われた。そもそも、エンジンから水が漏れて大丈夫なのかとも思った。

マイクロソフトで働くにあたって、私は引越しをしなければならなくなった。それは少々面倒だなと思った瞬間に、私は西海岸のハイウェイを走る一台の車の中にいた。

私は助手席に座っていて、運転席を見ると、以前進学塾で働いていた時の社長がそこにいた。私は社長が運転する車に揺られながら、どこかに向かっていた。

その最中、社長とはほとんど会話をしない状態が続いていたのだが、社長の運転が少々荒く感じられたので、その点についてさりげなく指摘してみた。だが、運転は一向に安全なものとならず、むしろハイウェイを走る速度は上がり、道路からはみ出してしまう瞬間が現れ始めた。そして、事態はさらに悪化し、車は反対車線に移ってしまったのである。

すると、車が一気に宙に浮き、ハイウェイの上空を車が走り始めた。その直後、車は空から地上に向かって急激に下降を始めた。その時私は死を覚悟した。

だがその瞬間、私は車から外に投げ出され、ハイウェイの近くにあった沼地に落ちた。なんとか一命を取り止めたものの、そこからどうやって沼地から脱出するかが問題であった。

沼地を横切るために、私は沼地を囲っている川を泳ぎ、向こう岸に行こうとした。なんとか向こう岸に辿り着いた時、5~6人のアメリカ人の若い女性たちがボートを担ぎながら歩いていた。

私は彼女たちに助けを求め、彼女たちは親切にも私を助けてくれると言う。そしてなぜ私がこんな沼地にいるのかを説明したところ、衝撃的な事実を知らされた。

それは、運転席に座っていた社長はハイウェイを運転している最中に、射殺されたというものだった。どおりで社長が車中でやたらと口数が少なかったわけである。もうその時すでに社長は射殺されていたのだった。

彼女たちに事の真相を教えてもらった私はどこか不気味なもの感じがし、それは戦慄を伴って背中を走り抜けていった。ヴェネチア:2019/11/13(水)09:28

【追記】

ヴェネチア旅行を終え、今私は、スキポール空港からフローニンゲンに向かう列車の中にいる。上記の夢日記を読んでみた時、沼地の対岸は彼岸のように思えた。そこにいたアメリカ人女性たちは、彼岸に住む天使を象徴するようなシンボルだったのかもしれない。

車窓から今このようにしてオランダの田園風景を眺めている自分が静かに存在している。夕暮れの風車の動きはゆったりとしている。フローニンゲンに戻る列車の中:2019/11/14(木)16:25

5189.【ヴェネチア旅行記】大惨事の後の優しい夕日を眺めながら

時刻は午後3時半を迎えた。今、ヴェネチアの夕方の空に、心を深く安らげるかのような夕日が姿を現した。この夕日の輝きにどれだけ心が癒されるだろうか。

自然はとても残酷であると同時に、とても優しい。いや、自然というのは残酷さや優しさなどといったものを超越しているのだろう。

昨夜、歴史的な津波災害にあったヴェネチアにとって、この夕日は市民にとっての癒しの光である。

運河を挟んで反対側の建物に住んでいるお婆さんは、私と同じ感性を持っているのだろうか。あるいは、何か魂の共通の感覚質を持っているのだろうか。

私がたった今窓辺に近づいて、姿を現した夕日を眺めていたところ、そのお婆さんも窓越しから同じく夕日を眺めていたのである。

昨夜のあのおぞましい光景とは一転して、天国のような光景が今目の前に広がっている。

今日の午後、なんとか潮が引き、ずぶ濡れになった靴も奇跡的に乾いたため、カ·ペーザロ美術館に向かって出発した。ここは、カナル·グランデに面する宮殿かつ美術館であり、建築物としても立派である。

宿泊先のホテルからこの美術館までは歩いて15分ほどの距離であり、とても近い。水が引いた通りを見ただけで安堵感があったが、浸水によって被害を受けた店の様子はどこも悲惨であった。

美術館までの道のりは入り組んでおり、最後の方で少しばかり迷ってしまったが、美術館に無事に着いた。ところが、美術館の入り口付近に赤いテープが貼られており、中にはガードマンたちが数人いて、その他には復旧作業をしている人たちが何人かいた。

ガードマンに声をかけてみると、残念ながら今日は急遽閉館とのことであった。昨日の歴史的な災害を考えると、それは当然のことだと言えるかもしれない。

結局、楽しみにしていた美術館で作品鑑賞ができなかった私は、来た道を引き返し、ホテルの近くのオーガニックストアで夕食用の豆腐を購入しようと思った。店に到着してみると、先日親切に応対してくれた店員がフロアにかがみ込んで、必死に水を外に出したり、濡れてしまった商品の対応をしているところだった。

私は店の外からその店員に声をかけ、無事かどうかを確認したところ、なんとか無事だとのことだった。結局その店も今日は休みとのことであり、明日からはまた通常通りに店を開くとのことであった。

明日はもうヴェネチアを出発する日となり、明日は高潮予報をこまめにチェックして、適切なタイミングでホテルを出発しようと思う。あまり早すぎても空港のラウンジを使えないかもしれず、かといってタイミングを間違えると、またしても浸水した道を通ってバス停まで行かなければいけないかもしれない。そうしたことを考えて、天気予報のみならず、潮の高さがリアルタイムで表示されるこのような高潮予報もこまめに確認したい。

今回私は、浸水した街で生活をするという初めての体験をした。それはどこかアポカリプス的(黙示録的)な感じを引き起こす。水没した街で生活するというのは、近未来の人間たちの姿のように思えた。ヴェネチア:2019/11/13(水)15:40

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