top of page

4276-4283:バルセロナからの便り 2019年4月30日(火)


タイトル一覧

4276.【バルセロナ・リスボン旅行記】自らの足を使って動くこと

4277.【バルセロナ・リスボン旅行記】カタルーニャ音楽堂でのコンサートを振り返って:絶えまない感動の中で生きること

4278.【バルセロナ・リスボン旅行記】フラットランド化する都市計画・都市開発:リスボンへの思い

4279.【バルセロナ・リスボン旅行記】バルセロナ滞在五日目の朝に見た夢

4280.【バルセロナ・リスボン旅行記】バルセロナ・サンツ駅にて

4281.【バルセロナ・リスボン旅行記】ダリ美劇場術館を訪れての感動

4282.【バルセロナ・リスボン旅行記】ダリが与えてくれた作曲上の方向性

4283.【バルセロナ・リスボン旅行記】バルセロナ滞在五日目の夜に

4276.【バルセロナ・リスボン旅行記】自らの足を使って動くこと

今朝は三時半過ぎに起床した。昨夜も10時あたりに就寝したのだが、三時半に目覚めても睡眠不足を感じさせるどころが、十二分過ぎるほどの睡眠を取った感覚があり、早朝から心身の状態は極めて良好である。

このような状態で毎日朝を迎えられることを有り難く思う。同時にこれは、私が食生活を含めた諸々の過去の悪習を意図的に断ち切って行ったことからもたらされたことであるため、自らの意思及び意思を生む何かに対しても感謝の念を持つ必要があるだろう。

時刻は早朝の四時を迎え、バルセロナ滞在の五日目が静かに始まった。辺りは静寂に包まれており、人々が活動を始めるのはもう少し後のようだ。

今日の天気は曇りのち晴れのようであり、幸いにもダリ劇場美術館のあるフィゲラスの天気は快晴のようである。一方でバルセロナに関しては、ちょうどホテルを出発し、駅に向かう時間に小雨がぱらつく可能性があるらしいことを天気予報を通じて知った。

ホテルから駅までは歩いて数分であるため、折り畳み傘を持っていくかどうか迷うところである。出発直前にホテルの自室のバルコニーに出てみて、小雨が降っているかどうかを確かめてから、折り畳み傘を持っていくかを判断したい。

今、換気のためにバルコニーに通じるドアを開けた。今朝は早朝にしてはそれほど肌寒くない。バルセロナの今日の最高気温は18度、最低気温は12度とのことである。

今、改めてバルコニーからの景色を眺めてみたところ、やはり目と鼻の先にバルセロナ・サンツ駅がある印象だ。ホテルの入り口の扉からジョギング程度で軽く走れば1分ほどで駅の雨よけに到着できてしまう。

今日の観光地であるフィゲラスの天気は快晴であり、バルセロナで午前中だけ小雨が降ったとしても、午後からは天気が良いようなので、折り畳み傘を持っていくかどうかは出発時間ギリギリになるまで判断できないだろう。

先日日本人の友人と話をしている最中、街のある場所から別の場所までどれくらいの距離がかかるのかについて話題となり、私はその時に、歩けばXX分、走れば〇〇分という答え方をした。すると、「加藤さんにとって、距離の測り方は歩くか走ることが基準なんですね」と笑われてしまった。

だがそれを受けて、確かに私は日常生活において、ある場所から別の場所に行く際には、もちろんそれが本当に遠い場所であれば話は別だが、大抵歩くことを基準にしている。寒い季節に欧州を旅行する際においては、走るとどれくらいの時間がかかるかを時に計算していたりする自分がいる。

このように、基本的に私の移動は自らの足を使うことを中心にしているようだ。それは、車を含め、様々な公共交通機関が発達している現代においては幾分古風かもしれないが、私はやはり自分の足を使って移動することが好きなのだろう。

これまで五日間ほどバルセロナに滞在し、毎日かなりの距離を歩いていたが、やはり歩くことによってしか発見できないこと、感じられないことがあることに気づかされる。そうしたものをもたらしてくれるのが、自らの足を使って動くということなのだろう。

足を使って街を歩き、歩きながら様々なことを感じ、考えていくというのは、文字どおり、体験学習と呼ばれるものになるかもしれない。私は日常生活において、そして旅においても、自らの足を使って移動することを通じて体験学習を行っているようなのだ。

そうした経験が蓄積されていった結果として、今の自分がある。今日もまた、バルセロナの街、そしてフィゲラスの街を自分の足を使って歩き、そこでしか感じられないこと、考えられないことを大切にしたいと思う。バルセロナ:2019/4/30(火)04:35

No.1900: Memory of the Dalí Theatre and Museum

I visited the Dalí Theatre and Museum in Figures which is Dali’s home town.

I’ll never forget the inspiration that I could obtain there. Barcelona, 21:19, Tuesday, 4/30/2019

4277.【バルセロナ・リスボン旅行記】カタルーニャ音楽堂でのコンサートを    振り返って:絶えまない感動の中で生きること

昨日は、思わぬ形でガウディと邂逅を果たし、昨夜は就寝前に、ガウディが建築したカサ・ビセンスの売店で購入した文献資料を食い入るように読んでいた。250ページ近くある分量のうち、気づけば140ページほど読み進めていた。

今日も観光からホテルに戻ってきてから、その続きを読み、可能であればもう一冊の文献資料を読み始めたいと思う。現在読んでいるのは、ガウディの全作品をオールカラーで詳細に解説したものであり、各作品のディテールに至るまで細かく解説をしてくれている。

こちらの書籍を通じて、ガウディの建築物に対する外面的な側面に関する理解を深めることができる。一方で私は、ガウディの建築物の外面的側面のみならず、そうした建築物を生み出したガウディの心の内側、つまり内面的な側面にも多大な関心があり、もう一冊の文献資料はそのあたりのところまで踏み込んで解説をしてくれている。そちらの書籍を読むことが今からとても楽しみだ。

ガウディが東洋的な建築に惹かれたきっかけや、神秘主義的なもの、そして自然などから着想を得ようとした内面的な背景及び理由について理解を深めたい。ガウディに限ったことではなく、今回の旅で言えば、ピカソ、そして明日訪れる予定のミロ美術館を通じてミロといった偉大な芸術家について、私は旅を通じて彼らについて深く知り、彼らと深層的な次元での深い出会いがもたらされているように思う。

少なくとも欧州のこの三年間における旅では、常に誰かしらの芸術家・音楽家の美術館・博物館に行き、そこで多くのことを学んできたように思う。これもここ数日の日記で指摘していたように、まさにそれは体験学習に他ならず、これからもそうした自らの体験に立脚した学びを続けていきたいと思う。

ある芸術家や音楽家が生きた場所、活躍した場所に足を運び、彼らの生涯に関する美術館や博物館に足を運ぶこと。そして何より、そこでしか感じられないこと、得られないことを大切にしていくという姿勢を持ちながら、自らを深めていこうと思う。

そういえば、一昨日の夜にカタルーニャ音楽堂で行われたコンサートについて、まだ何も書き留めていなかったことを思い出した。夕食を近くのオーガニックレストランPetit Brotという店で食べた後、私はゆっくりと音楽堂に向かった。

歩いてすぐの距離に音楽堂があったから、迷うこともなく到着し、すぐに中に入った。この音楽堂は、ガウディの師匠であったリュイス・ドメネクが建築したものであり、外装も内装もやはり立派であった。

コンサート会場に早めに到着した私は、近くのソファに腰掛けて、持参した作曲理論書を眺めていた。しばらくすると、コンサート会場に入れるようになり、私はすぐに自分の席に向かった。

私の席は、舞台に近い二階席である。二階席に到着する前に、一階席の様子と、そこからこの美しい建築物であるコンサートホールを隅から隅まで眺めていった。事前の情報通り、この音楽堂は建築物としての美を持っている。

聴覚的な美を堪能する前に、視覚的な美を堪能することができたことを嬉しく思った私は、二階の自分の席に向かった。そこからしばらくは、音楽堂を訪れる前に足を運んだピカソ美術館で購入した文献資料を眺めていた。

すると程なくして、コンサートが始まった。コンサートが始まってからの印象は、実はそれほど強いものではない。

オーケストラの演奏、ソプラノ歌手の歌声など、素晴らしい音楽を聴けたことは確かであったが、何か大きな感動が得られたかというと、そうでもない。むしろ、音楽堂に来る前に足を運んだピカソ美術館で見たピカソの作品群から得られたものの方が遥かに大きかった。

こうしたコンサートに参加することは滅多にない分、毎回のコンサートに対する期待は大きいのだが、そもそも感動を求めてコンサートにやってくるというのもどこかおかしなことなのかもしれない。感動の対象は、日常生活において至る所にあるはずであり、仮に非日常的な体験の中でしか得られない感動体験の中に固有の価値があったとしても、感動体験を求めてコンサートにやってくるというのは、芸術を単なる消費対象と見なし、感動体験を消費対象と見なしていることになりはしまいかと自分に対して危惧する。

そうした発想は、超越的・霊的な体験を求め、それを消費しようとする態度の背後にあるものと似て近しいものがあるのではないかと思う。

日常と非日常という境界線を超えて、絶えず感動の中に浸ること。絶えず感動の中で、感動を通じて日々を生きること。そしてそうした生き方の中で、自らのライフワークを継続していくこと。改めてそうしたことの大切さを知る。バルセロナ:2019/4/30(火)04:58

4278.【バルセロナ・リスボン旅行記】フラットランド化する都市計画・都市開発: リスボンへの思い

バルセロナ滞在五日目の朝はとても静かだ。時刻は午前五時を迎え、フローニンゲンであれば、この時間帯にはもう小鳥たちの清澄な鳴き声が聞こえて来る。

今私がいる街バルセロナでは、この時間にはまだ小鳥は鳴いていない。異なる場所で生活をする小鳥たちは性格や生活リズムがやはり違うのだろうと考えると、とても微笑ましい気持ちになる。

私たち人間も全く同じである。どのような生活環境の中で生きていくのかが、その人の内面及び外面を大きく左右する。

生活リズムや生活習慣、心の有り様、そしてそうした有り様がもたらす心の発達など、この世界のどのような場所で日々生活を営むのかは、私たちを形成する大きな要因になる。

今はまだバルセロナでの旅を楽しみたいが、明後日から足を運ぶリスボンへの期待が徐々に高まっている。友人かつかかりつけの美容師であるメルヴィンと先日話をしている時に、メルヴィンは確かにバルセロナも素晴らしい街であるが、リスボンの方がなお素晴らしい街であったと述べていた。

それはメルヴィンの個人的な意見であることに違いはないだが、メルヴィンと私は思想的にも感覚的にも同じようなものを共有しているため、私も同じことを二つの都市に対して感じるのではないかと思う。まだリスボンへ足を運んでいないのに、その街の魅力がひしひしと伝わって来る。

バルセロナと同様に、リスボンも海に面している。両都市には公園も多くある。だが、落ち着きという観点においては、私はリスボンの方に軍配が上がるような気がしている。

バルセロナも世界の他の主要都市と比べれば十分に落ち着いているのだが、市内の道路の作りがいかに美しくても、市内はやはりごみごみとした印象を私に与え、空気もそれほど綺麗ではないと感じている。

この世界において、人が集まるところに空気の綺麗さを求めることはできないのだが、現代の都市においては、人工的な建築物を増やすことに躍起になるのではなく、そうした単なる外見上のお化粧に一生懸命になることを離れて、空気の新鮮さを含め、今見落とされている美しさの創出を求めて欲しいところである。

フラットランドの進行は、都市計画や都市開発においても当てはまる現象なのだということが見えてくる。これは非常に残念なことであり、それは私たちの日常の心身生活に多大な影響を及ぼすことであるがゆえに、とても危惧する。

いずれにせよ、明後日に実際にリスボンに訪れてみて、この身・この心でリスボンの街と向き合ってみようと思う。そこで感じられたこと、考えたことをまたこの日記に書き留めておきたい。

時刻は午前五時半を迎えようとしている。起床から二時間ほど経った。

今日は、ホテルを八時半をめどに出発し、バルセロナ・サンツ駅の構内にあるカフェでコーヒーを一杯購入する。随分久しぶりのコーヒーを今から楽しみにしている。

コーヒーを購入したら、乗車予定の特急列車に乗るためのセキュリティー検査を済ませ、セキュリティーの先にあるらしいインターネットスペースの机で作業をする。時間のゆとりを見て、過去の日記を編集するか、作曲上の写経実践をするかを判断したい。

列車に乗る時間は一時間であり、その間に十分な写経実践が行えるであろうから、列車を待っている時間は過去の日記の編集に充ててもいいかもしれない。

今日はこれから作曲実践をし、その後にリンゴを一個食べながらリラックスする。旅がくつろぎの中で進行し、その進行に合わせて自己が深耕されていくのを感じる。バルセロナ:2019/4/30(火)05:28

4279.【バルセロナ・リスボン旅行記】バルセロナ滞在五日目の朝に見た夢

そういえば、まだ今朝方の夢について振り返っていなかった。ここのところは、夢の振り返りよりもまず先に、起床直後に自分が考えていることや感じていることを日記に書くことが多く、その他にはその日の旅の予定などを書くことが多くなっている。これから夢について書き、書き終えてから早朝の作曲実践に励みたいと思う。

夢の中で私は、実際に通っていた中学校の体育館にいた。そこではこれからバスケの部活が始まろうとしていた。

だが、体育館にいるメンバーたちを見ると、確かに同じ学校の部活のメンバーもいたのだが、近くの別の中学校のバスケ部のメンバーの顔もあった。国立大学の付属中学校であるその学校のバスケ部の一学年上は、バスケがうまい人たちが揃っており、全国大会に出場するほどのチームであった。

彼らは確かに学校が違い、試合においては相手なのだが、彼らのプレーはいつも私を魅了していた。今日の部活では、どうやらうちの学校の体育館で練習試合をすることになっているようだった。

私はどういうわけか、相手の学校のチームの一人として練習試合に出場することになった。いざ試合が始まってみると不思議なもので、上手い人たちと一緒にプレーをすると、自分も上手くなったかのように感じられる。

それはまさに、発達心理学者のヴィゴツツーが提唱した「最近接発達領域」という概念や、カート・フィッシャーが提唱した「最適レベル」と呼ばれる概念を彷彿とさせる現象であり、私たちは自分たちよりも技術が上のものと協働することによって、自分が持っている最大限の力を発揮できるようだった。

その試合の中では、決して現実世界では実現不可能な、アリウープやダンクシュートなどを私は次々と決めて行った。爽快感を通り越し、そうしたプレーができることは自分の中での当たり前に変わり、不思議な落ち着きが絶えず自分の中にあったのを覚えている。

次の夢の場面では、私は雪山にいた。どうやら、今からスキーの練習をすることになっているようだった。

周りを見ると、そこには小中学校時代の友人が三人(HY & RS & AF)ほどいた。そのうちの一人は小中と野球をやっており、彼が今回のスキーのインストラクターを務めてくれることになっていた。

私が、「あれっ、スキーなんてできたっけ?」と尋ねてみると、「うん、できるっちゃ」と彼は笑顔で答えた。私たち四人は、早速スキーの基本的な動作を行うことから始めた。

もう二人の友人のうち一人は、これまた野球部に所属していたひときわ運動神経の良い友人であり、もう一人の友人はテニス部に所属しており、彼も運動神経は悪くなかった。インストラクターの友人が、雪山を移動する際に行う固有の動きをまず教えてくれた。

それは、右左右・・・と足を斜め前方に滑らせていく動きであり、インストラクターの友人の動きはやはり見事だった。私たちはまずその動きを習得することから始め、徐々にコツを掴んでいった。

すると、野球部に所属する運動神経の良い友人は、そうした動作の練習に飽きてしまったようであり、勝手に別の練習を始めた。それはもはやスキーの動きではなく、スキー板に腹をつけて、スーパーマンのような格好で滑っていくような悪ふざけの動きであった。

私はそれを見て面白そうだと思い、後から自分もやってみようと思った。だがまずは、インストラクターの友人と一緒に基本的な動作を練習しようと思った。そこで夢から覚めた。バルセロナ:2019/4/30(火)05:44

No.1901: The Early Morning on the Sixth Day in Barcelona

It is fine in Barcelona today, too.

I’ll go to a music sheet store and visit the Fundació Joan Miró. Barcelona, 07:50, Wednesday, 5/1/2019

4280.【バルセロナ・リスボン旅行記】バルセロナ・サンツ駅にて

つい先ほどホテルを出発し、今はバルセロナ・サンツ駅にいる。予定通り、駅構内のカフェで一杯の小さなコーヒーを購入し、それを持って列車に乗り込むことにした。

これから乗る特急列車のプラットホームに行くためには、一度セキュリティーをくぐり抜けなければならない。先ほど、そのセキュリティーも速やかにくぐり抜け、今はインターネットスペースの一席でこの文章を書いている。

列車の出発まであと40分ほどあり、随分と余裕がある。電光掲示板を確認すると、これから向かうフィゲラス行きの表示があることはあるのだが、全て私が列車に乗る時間よりも早いか遅いかの二本しかなく、昨日オンラインで購入したチケットの時間が表示されておらず、少々おかしいと思った。

すぐにチケット売り場に行き、親切そうな係員の男性に尋ねてみた。すると、私が乗る便は、三月の初旬に訪れたパリの主要駅に向かう列車とのことであり、途中駅にフィゲラスがあるとのことであった。

それを最初聞いた時、「本当ですか?」と再度係員に確かめたところ、駅員は「本当です」と笑いながら答えた。確かに、地図を頭に思い浮かべてみたところ、バルセロナ、フィゲラス、パリの位置関係を考えてみると、駅員の言う通り、パリ行きの列車に乗って、フィゲラスで降りるというのはおかしなことではないと思った。

私は係員の男性にお礼を述べ、再度電光掲示板を確認し、09:25発パリ行きの列車を確認し、一安心した。

今、コーヒーの一口目を飲んで一息ついた。これから作曲上の写経実践に励もうと思う。

一時間の列車の旅において、景色が見えたらぼんやりと窓越しに外の景色を眺めたいと思う。それ以外の時間については、写経実践を行っていく。

一昨日はピカソとの出会いがあり、昨日はガウディとの出会いがあった。今日はダリとの深層的な出会いがあるだろうか。それに対する期待が徐々に高まってくる。

今朝は午前三時過ぎに起床し、今日は珍しく、いつもは一つしか食べないリンゴを二つも食べてしまった。リンゴは整腸作用があるためか、五時あたりに一つ目のリンゴを食べると、すぐに快便が出て、七時半に二つ目を食べると、再び快便が出た。

このところ便も大切な観察対象となり、色、形、匂いなどを多角的に分析するようにしている。一日一食生活を始め、良質な果物と野菜を摂るようにしてから二ヶ月弱が経ち、ようやく自分の腸が随分と健全な状態になっているのを実感する。

それは便の観察を通じて明らかになってきている。これからも現在の食生活を継続していきたいと思う。

今回の旅行の最中は、午前中に果物を食べるようにしており、フローニンゲンの生活において一日一食生活をしている際には、午前中に果物すら食べないようにしていた。

果物を食べることによって消化にエネルギーを使うことを嫌がっていたが、どうも果物程度だと、消化にエネルギーをさほど使わないことがわかった。これまでの私は、ケトーシス状態を作り出そうとする意識が強すぎたのかもしれないと思う。

朝に果物を食べる場合と食べない場合において、頭の働き方に違いはなく、重要なことは朝食を「しっかり食べないこと」であり、昼食を食べないことなのだと気づく。謝って朝食をしっかり食べてしまったり、昼食を食べてしまうと、その瞬間に消化に多くのエネルギーが使われてしまい、脳の働きが悪くなってしまう。

また、旅行中の朝に果物を食べてみてわかったのは、やはり朝の果物が「金」と呼ばれるように、果物による整腸作用によって、便の排出が促されるということに気づいた。こうしたことから、フローニンゲンに戻ってからの生活においても、きちんとした食事を摂るのはこれまで通り夜だけにしながらも、夕方に食べていたリンゴ一個は朝に食べるようにしたいと思う。

もう少ししたらトイレに行き、その後、フィゲラス行きの列車が待つプラットホームに向かう。バルセロナ:2019/4/30(火)08:58

No.1902: Into a Sentimental Vortex

The morning on the sixth day in Barcelona is Dali-ish. Barcelona, 08:32, Wednesday, 5/1/2019

4281.【バルセロナ・リスボン旅行記】ダリ美劇場術館を訪れての感動

今、ダリ劇場美術館を訪れ、フィゲラス・ヴァリファント駅の構内でこの日記を書いている。単刀直入に述べると、ダリ劇場美術館を訪れたことは、これまでのところ、今回の旅の最大のハイライトである。それぐらい、この美術館に足を運べたことを幸運に思う。

フィゲラス・ヴァリファント駅からダリ劇場美術館までは歩いて20分弱の距離なのだが、道中の景色があまりにものどかで驚いた。途中、家畜の独特の匂いが漂ってきたり、いつ頃建てられたのかわからないような土の家のようなものも幾つか見かけた。

ここはダリの生地とのことであるが、ダリがこのような場所で生まれたことを驚く。

駅から美術館まではほとんど迷うことはなかった。ただし、予想以上にこの美術館を訪れる人がいて驚いた。

チケットに関しては数分ほど待つだけで速やかに購入できたのだが、受け取ったチケットを見ると、時間が表示されており、私は11:30からの入場となった。それまでは40分ぐらい時間があり、美術館の外にあるギフトショップに行き、そこで一昨日にピカソ美術館で購入したのと同じシリーズ、そして昨日カサ・ビセンスで購入したのと同じシリーズのダリに関する資料を購入した。それと、ダリに関するドキュメンタリ−DVDも購入した。

私は美術館の前の木陰に座り、購入した資料を早速眺めながら入場までの時間を過ごした。購入した資料は、ピカソやガウディのものと同じぐらい、いや私にとってはそれ以上だったかもしれないほどに興味深く、資料を読んでいると、あっという間に入場の時間となった。

帰りの列車は三時前にフィゲラス・ヴァリファント駅を出発するものであり、ダリ劇場美術館では三時間ほど時間を過ごすことができるため、十分かと思った。

案内マップに沿って鑑賞を始めてみると、ダリの世界にすっかり虜になり、一つ一つの絵画やオブジェなどに釘付けになった。正直なところ、フィゲラスという町は本当に田舎であり、美術館のある周りだけにほんの少しだけレストランや売店があるぐらいだ。

そんな場所にもかかわらず、多くの観光客がこの町に足を運び、ダリ劇場美術館にやってくるのもうなづけるぐらいに、この美術館の作りと所蔵作品はすばらしかった。

ダリもピカソと同じように、古典主義的な絵画技法の習得から始め、ピカソがベラスケスなどから多大な影響を受けたように、ダリもベラスケス、エル・グレコ、ラファエロなどの画家、そしてピカソとも親交があったためにピカソからも影響を受けていたと言える。

また、私がダリに感銘を受けるのは、様々な絵画技法を習得し、生涯を通じてその技術を絶えず変容させていった点だけではなく、その過程において、物理学や神秘主義思想、さらには精神分析学などを学んでいた点にある。

そうした絶え間ない学習と研鑽がダリの超越的な絵画思想と絵画技術に顕現している。今回のバルセロナ滞在期間中に訪れたピカソ美術館でも幾つかの作品に思わず足を止めて、そこで黙想的な意識の中で作品を眺めていることがあった。

その時以上に、今日訪れたダリ劇場美術館ではさらに多くの作品に足を止めて、黙想的な意識、さらにはダリが作品中に陥っていたであろう超越的な意識にあった。

すでに幼少時代の私に何かあると思わせたダリの絵画世界には、今の私も以前として強い関心があり、今回ダリ劇場美術館を訪問することによって、さらにダリの作品と彼の思想に関心を持った。今日はホテルに戻ったら、先ほど購入した文献資料の続きを読もうと思う。フィゲラス:2019/4/30(火)14:55

4282.【バルセロナ・リスボン旅行記】ダリが与えてくれた作曲上の方向性

たった今、フィゲラス・ヴァリファント駅を列車が出発した。今朝、バルセロナ・サンツ駅を出発した列車はパリ行きだったのに対して、今乗車した列車はマドリード行きのようだ。

今回も、途中駅のバルセロナ・サンツ駅で下車する。今から一時間ほど列車の旅を楽しみたい。

バルセロナ郊外は、予想通りに長閑な風景が広がっていた。バルセロナ滞在中は天気に恵まれ続けており、今日も快晴であり、それでいて汗をかかない清々しい一日である。

今日は昨日ほど歩いていないが、フィゲラス・ヴァリファント駅からダリ劇場美術館までは往復で40分ほどあり、いい散歩になった。足を休ませるために、今靴を脱いでくつろいでいる。

バルセロナ・サンツ駅に到着したら、昨日訪れたオーガニックカフェに行き、夕食分の大きなサラダを今日も二つ購入する。今朝ホテルを出発する時に、水を1L分持ってきたのだが、すでにほぼ飲んでいる状態なので、カフェに到着したら、サラダに合わせてスムージーを購入し、店内でスムージーを飲んで少しくつろぎたい。

バルセロナ・サンツの駅に到着するのが15:50であり、そこからカフェまでは歩いて20分ほどの距離であり、閉店が17:00なので長居はできないが、スムージーを飲みながらダリに関する文献資料の続きでも読もうかと思う。

それにしても今日は、ダリ劇場美術館に訪れることができて本当に良かった。今回の旅の最大のハイライトのひとつになるだろう。

私は単にダリの絵画作品や思想を好み、それに共感しているだけではなく、ダリの世界観と似たようなものを是非とも自分の作曲実践の中で表現したいという思いがある。その思いはとても強く、美術館内で作品を見ながら、目の前にある絵をどのように曲として表現できるだろうかと絶えず考え続けていた。

そのような観点でダリの作品を食い入るように見ている人はほとんどいないようであり、たいていの人はちらりと作品を見て、すぐに次の作品に移って行っていた。ダリのシュルレアリスム的な作品だけではなく、私は、ダリが岩の絵を組み合わせて様々なテーマの絵を描いているシリーズに大変関心を持った。

今日はホテルに戻ったら、早速ダリの絵から喚起された感覚を曲にしてみようと思う。また今後は、シュルレアリスム的な曲を是非とも作ってみたい。

そのためには、今のところ、12音技法を活用するぐらいしか方法が思いつかないが、その他の方法としては、スクリャービンが考案した神秘和音を積極的に活用することや、神秘的・幻想的な響きを持つ音列を活用することが考えられる。

それらの探究を本格的に行うために、フローニンゲンに帰ったら、参考になる文献を何冊か購入してみようと思う。神秘的・幻想的な音の響きを追い求めた作曲家として思いつくのはスクリャービンであり、この夏はやはりモスクワに行き、スクリャービン博物館に足を運ぼうと思う。

また、少し前に購入しようと思っていたスクリャービンに関する数冊の書籍もフローニンゲンに帰ったら早速注文しようと思う。あるいは、この旅の最中に、神秘的・幻想的な響きを持つ音ないしは音列の探究に有益な書籍を調べ、購入手続きを進めてもいいかもしれない。

とにかく今日ダリ劇場美術館に訪れることができたことは、自分の作曲実践上の大きなターニングポイントになるだろう。作曲に関してまた新しい方向性が見えてきたことを本当に嬉しく思う。

バルセロナ・サンツ駅に到着するまであと40分ほどあるため、今の気持ちのまま、これから作曲上の写経実践を行う。バルセロナ・サンツ駅に向かう列車の中:2019/4/30(火)15:12

4283.【バルセロナ・リスボン旅行記】バルセロナ滞在五日目の夜に

時刻は午後八時を迎えようとしている。今朝は何時に起床したのか忘れてしまい、今確認してみると、今朝はどうやら三時半過ぎに起床したようだ。

今日は仮眠を取らずにこの時間まで冴えた状態でいる。それは一日一食生活と良質な食事によるおかげであり、その他には、今日のダリ劇場美術館でのダリとの深い出会いがあったからかもしれない。

そうした諸々の要因が複合的に作用して、三時半の起床から今の時間まで非常に活動的である。繰り返しになるが、今日はフィゲラスのダリ劇場美術館に足を運ぶことができて本当に良かったと思う。

この旅を語る上で、今日訪れた美術館で得られたことは最重要なものの一つに挙げることができるだろう。

今日はダリからの刺激を受けて、一曲ほど曲を作ってから就寝したいと思う。その際には、神秘和音を活用し、特にその構成音を様々な形で使ってみようと思う。

またその際には、神秘和音の考案者であるスクリャービンの曲に範を求めることをあえてせず、新ウィーン楽派の前衛的な作曲家アントン・ウェバーンのいずれかの曲に範を求めようと思う。そして何より、ダリのいずれかの絵画作品から得られる感覚をもとに曲を作りたいため、本日購入した画集を眺め、そこから何かしらのインスピレーションを得たい。

これから少しずつ自分の作曲の幅を広げるようにしていきたい。昨日も考えていたのだが、学んだ作曲理論の何かしらの観点を実際の曲を作る時に活用したら、それをどのように活用したかをその都度文章化しておきたい。

これまでもそれを時折やっていたのだが、今後はよりそれを意識したいと思う。この点についてもまた新しい習慣にしたいと思う。

すでに夢日記を書くことや、日中に仮眠を取った際にビジョンを見ていたのであれば、それを書き留めておくことも習慣になっているのであるから、作曲実践上においてそうした文章を書き留めておくことも習慣にできるだろう。

兎にも角にも意図的かつ実験的な実践を繰り返し行っていき、どのような仮説を持って作曲をしたのか、曲を作るという実験を通じてどのような結果が得られ、また次にどのような仮説を検証してみたいと思っているのかをメモ書き程度でいいので書き留めておく。こうした文章化の実践を習慣としたい。

その他にも、作曲の学習に関しては、以前言及したように、他の領域の人たち、とりわけプログラマーや、将棋や囲碁の棋士たちがどのような学習及び研鑽を積んでいるのかを参考にしていく。

今日は、フィゲラスの町ではほどよく歩き、バルセロナ市内に戻ってきてからは、オーガニックカフェのBONに行くまでの道をほどよく歩いた。合計で一時間半ぐらいのウォーキングになったであろうか。

そうしたこともあり、今日もBONで購入した夕食のサラダが本当に美味しく感じられた。ここで売られているサラダは、ボリューム満点であり、それでいて良心的な値段である。

今日もサラダを二人前分食べた。明日は実質上バルセロナ滞在の最終日となるが、明日の夕食もここで購入したサラダにしようと思う。リスボンで宿泊する予定のホテルの近くにもオーガニックレストランがあり、市内には何軒かオーガニックレストランがあるため、リスボンでも良質なものを食べることができるだろう。

本当に日々何を内側に取り入れるのかについては、食のみならず、情報や知識、さらには体験についてもより意識を向けて行こうと思う。バルセロナ:2019/4/30(火)20:13

4月30日(火)に生まれた曲たち

Op.1091 バルセロナ滞在の五日目の朝に

Op.1092 バルセロナの早朝の表情

Op.1093 ダリ劇場美術館の思い出

過去の曲の音源の保存先はこちらより(Youtube)

過去の曲の楽譜と音源の保存先はこちらより(MuseScore)

bottom of page