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3874. 固有の体験とそれを綴ること


今朝は六時過ぎに起床した。時刻は七時を迎えようとしており、この時間帯は、もう空がダークブルーに変わり始めている。

日の出の時間もそうだが、日が沈む時間も随分と変化が見られる。それらは共に春の到来を予感させる。

昨日の入浴前に見た夕暮れ時の空がとても美しかったことを思い出す。様々な色が淡い光を発していた。

今日も天気が良いようなので、同じような夕焼けを見ることができるかもしれない。ただし、「私たちは二度と同じ川に入ることができない」という言葉にあるように、昨日見た夕焼けは唯一無二のものであり、今日の夕焼けもそうしたものになるだろう。それを意識しながら、今日の夕焼けを味わうことができたらと思う。

いつもと同じように、今朝方の夢について振り返っておきたい。夢の中で私は、大学時代のゼミの友人(TA)と話をしていた。

現実世界においては、彼はコロンビア大学の大学院に留学をしていたのだが、夢の中の彼はスイスに留学をしていた。話の話題として挙がっていたのは、彼がスイス留学に向けての準備をしている際に書いていたブログについてであった。

私は彼のブログを時折読んでおり、その内容を楽しんでいた旨を伝えた。だが一つ残念だったのは、彼がスイスに留学して以降は、パタリと更新が止まってしまったことである。

その点についても彼に伝えると、彼自身もブログを続けることができなかったことを残念がっているようだった。彼にとってはその時の留学が初めてであり、大学院での勉強と新しい国での生活に手いっぱいであり、ブログを書く余裕がなかったそうである。

その話を聞きながら、そういえば私も、初めて留学した時は、日本語で何か文章を書こうとするような意欲が減退し、新たな地に何とか適応しようとすることで精一杯だったことを思い出した。

そうしたことからも、彼がブログを継続することができなかったことを批判することはできず、事情はよく理解できた。しかしとはいえ、彼がスイスでどのような学びを得ているのかという一次情報は極めて貴重だと私は思っており、その点についても彼に伝えた。

世間では、実際に自ら経験したことを自分の言葉で表現するのではなく、二次情報や三次情報を単に紹介するようなことばかりが行なわれている傾向にあるため、彼のスイスでの体験を彼の言葉で語ることはなおさら貴重だと思った。

彼と会話をしていると、「これからファイナンスのクラスがある」と彼は述べた。私はそのクラスに関心があったので、聴講させてもらうことにした。

教室には、すでにスイス人の教授が教壇に立っており、大学院生の姿もちらほら見えた。私は学部時代にファイナンスのクラスをよく履修していたため、そこで話されていることが懐かしく、同時に当時あまり理解できなかったトピックや、大学院レベルのより応用的なトピックに触れる機会を得られたことは喜ばしかった。

今朝方はそのような夢を見ていた。夢の中で、彼が「自らの人生を綴ること」を途中でやめてしまったのは残念であった。

夢の中の私は、自らの人生を綴り、人生そのものを深めていくことの大切さを彼に伝えようとしており、実際に現実世界で同じような場面に出くわしたら、同じことを伝えるだろう。また、夢の中で彼がスイスで体験していること、考えていること、感じていることほど大切な情報源はなく、そうした一次情報としての経験こそが、その人をその人たらしめているものなのだと思う。

そして、それを自らの言葉で綴ることが、固有の自己の発見と、書くという行為を通じて、究極的な主観性を超えて、それが客観的・普遍的なものに昇華されていくのだと思う。

夢から覚めて改めて思うのは、自分を自分たらしめている固有の体験と、それを自らの言葉で綴っていくことがいかに大切かということである。さらには、そうした行為が普遍的なものに至るという点も忘れてはならないことだと思う。フローニンゲン:2019/2/24(日)07:17

No.1714: Flowers of Late Winter

It is fine weather today, too.

Flowers are starting to dress themselves for spring. Groningen, 07:54, Monday, 2/25/2019

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