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3805. ドッグランだった目の前の空き地から学んだこと


時刻は午前11時を迎えた。あと一時間ほどすれば昼時となる。

日曜日が静かに流れていく。早朝より小雨が降り続けており、辺りは幾分侘しげな雰囲気を放っている。

先ほど作曲をしながら、荒野にも花々が咲けるということは、私たちはどこでも己の花を咲かせることができるということだろう、ということを思っていた。

確かに外の世界は侘しげなのだが、同時に、どことなく冬の生命力を感じられるから不思議だ。それは生物たちの生命力のみならず、冬という季節そのものの生命力も含まれている。どうやら、季節にも固有の命があるようだ。

午前中に、何気なく窓の外を眺めていると、一つ驚くべきことに気づいた。欧州での三年目の生活もすでに半分ほど経ったところで、自宅の目の前の空き地がドッグランであることに気づいたのである。

偶然犬の散歩をしている人がいたので、その人の様子を観察していると、空き地には、人間の腰ほどの高さの小さな木の扉があることを知った。その扉を開け、その人は犬と散歩を楽しんでいた。

これまでその空き地がドッグランだと気付かなかったのは、その空き地にはきちんとした柵がなく、植木が柵代わりになっているだけであり、二つの扉に気づかなかったからである。しっかりとした柵がないがゆえに、リードは付けたままであることも、そこがドッグランであることに気づかなかった理由である。

三年間の生活の中で、その空き地を犬が元気良く走っている姿を一度も見たことがなく、犬が飼い主と一緒にゆっくりと歩いている光景を目撃したことがあるだけなので、その空き地は「ドッグウォーク」と呼べるかもしれない——ただし、そのような名前をつけてしまうと、すべての場所がドッグウォークと呼べることになってしまうだろう。

改めてその空き地を眺めてみると、確かに犬がくぐり抜けるような木の設備があったりする。新たな気持ちを持って観察してみなければわからないことが沢山あることを改めて知る。

日々、新たな気持ちと新たな眼を持ってこの世界を眺めてみよう。そのようなことを思わせてくれる出来事だった。

今日は午前中に二曲ほど曲を作り、ウォルター・ピストンのハーモニーの書籍を少しばかり読み進めた。今から昼食までの時間を活用して、“Expanding Tonal Awareness: A Musical Exploration of the Evolution of Consciousness (2014)”という書籍を再読していこうと思う。

この書籍は非常にユニークな観点から書かれた書籍である。というのも、特にシュタイナーの思想を活用して、調性と人間の意識との関係性を探究しているからである。

調性の変化は意識に影響を与え、調性感覚の拡張は意識の拡張に左右しうる可能性がある。

まずはもう一度目次を眺め、気になる箇所を中心に再読を進めていこうと思う。再読に熱中していると、昼食の時間がすぐにやってくるだろう。フローニンゲン:2019/2/10(日)11:28

過去の曲の音源の保存先はこちらより(Youtube)

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