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3741. 夢の続きと創造的狂気


今一日分のコーヒーを入れ始めた。先ほど、今朝方の夢について書き留めてみたところ、思っていた以上に夢を書き出すことができた。

書き出す前は、あまり夢について覚えていないと思っていたのだが、書くことが何らかの刺激となり、随分と夢について書き出すことができた。

書くことには、想起力が含まれるのかもしれない。つまり、書くことは、私たちの内側を刺激し、眠っていた事柄を外側に表出する力を持っているのかもしれないということだ。

そういえば、先ほど書き留めた以外にも、何人かの友人と、開放的なレストランでランチを共にしていたことを思い出した。私たちが店に入った時は、ちょうど昼食どきであり、店内が混んでいた。

だが幸いにも、ちょうど人数分の席が空いていた。ただし、その席だと全員が顔を合わせて話をすることが難しく、少々不便に思っていた。

するとすぐに、近くの団体客がいなくなり、私たちは彼らが使っていた席に移動することにした。そこで会話を楽しむというような夢を見ていたことを思い出す。

やはり、書くことは、私たちに自己発見を促すようだ。書かれるまで姿を見せないものが私たちの内側にはある。そして一度それについて文章を書いてみると、それは再び新たな未発見事項を引き連れて、また新しい事柄をこちらに開示してくれる。

そうした現象が起こる起点には、書くことがある。書くことは、自己発見を促す実践であり、内側に眠っている自己の側面を開示し、さらにはそれを育むことにもつながっている。今朝方の体験を通じて、そのようなことを思わされた。

今日もまた、探究活動と創造活動に励む一日としたい。自分のライフワークに打ち込むためには、時間の流れがいびつな速さを持つ場所で生活をしてはならない。

都会ではなく、自然を感じられる静かな場所で生活を営んでいくこと。それは、ライフワークを着実に進めていくための必要条件である。

昨夜、自分の口から、「創造的狂気」という言葉が生まれた、この言葉は、自分にとってとても大切な言葉だと改めて思う。

創造的狂気に取り憑かれることと、自らの真の生を生きていくことは同一なのではないかと思えてくる。創造的狂気に取り憑かれることは、自らの宿命を引き受けることであり、この人生に与えられた役割を引き受けることでもある。

そうしたことを考えてみると、自分の中で芽生えつつある創造的狂気をいかに守り、いかに育んでいくかが重要であることがわかる。

昨夜も考えていたが、私が日本に戻ろうとしないのは、日本で生活をすると、日本人である私が持つ創造的狂気がしぼんでしまうからなのだろう。欧州での生活を始めてからしばらくの間は、数十年後のどこかで日本に戻り、そこからは日本で生活をしようと考えていた。

だが、今となっては、もう日本で生活をすることはないのかもしれないと思い始めている。それは、自らが持つ創造的狂気を死滅させないためであり、それを育て、開花させるためには、日本の外で生活を営み続けることが不可欠であるということが分かり始めているからだ。

今日もまた、自らの創造的狂気を育む一日になるだろう。フローニンゲン:2019/1/28(月)06:45

No.1620: Tranquil Ripples

Today that looks like tranquil ripples is approaching the end.

I wish tomorrow to be the same as today. Groningen, 18:00, Monday, 1/28/2019

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