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3690. 肥大化したセロリとブルーベリーを見て思うこと


時刻は午後の八時を迎えた。夕方に止んでいた雨が再び降り始め、小雨がぱらついている。

夕方に、ふと顔を上げると、目の前の世界は真っ暗になっていた。そこから今に至るまで、闇の世界が広がり続けている。

私は普段、肉、魚、野菜、果物、パン、チョコレートに至るまで、自分の体に取り入れるものは全てオーガニックのものにしている。昨日、有機栽培されたセロリの封を開け、一本セロリを取り出してみたところ、それがあまりにも巨大であることに思わず笑った。

先日も、有機栽培のブルーベリーを食べている時に、一粒一粒が通常よりも大きいことに気づいていた。そこから、今から一年半前にノルウェーを訪れた時に、宿泊先のホテルで見た、南極のドキュメンタリー番組をふと思い出した。

そこで特集されていたのは、南極において肥大化する生物たちであった。そこではプランクトンですらも肥大化しており、プランクトンが肥大化していることから連鎖する形で、様々な海洋生物が肥大化しているようだった。

実はこのドキュメンタリー番組については、以前にも何度か触れたことがあるように思う。極めて厳しい環境の中で、大きく育つ生命たちの力には打たれるものがある。

フローニンゲンで生活するこの三年間を振り返ってみると、南極の生物たちが肥大化するのと同じようなことが自分にも起きていることに気づく。こうした厳しい環境でしか育まれない精神と感性が間違いなく存在している。それに疑いはない。

肥大化したセロリとブルーベリーについて思い出しながら、そのようなことを思った。それともう一つ、特に有機野菜を食べることの良さは、それが季節の進行と共に見た目も味も変えることに気づき、自分が地球の動きと連動して生きていることを実感できることにあるだろう。

地球という大きな生命と自分が連動して生きていることを強く実感することができる。それもまた、有機野菜を食べることの良さだろう。

夕食前に、現代の学校でなされている奇妙な慣行について改めて考えていた。よくよく考えると、毎日決められた時間に学校に行き、同い年の人間と狭い空間の中で学び続けることが義務化されていることに違和感を覚えたのである。

そもそも、同い年とあれだけ固まって集団生活を営むというのは学校以外においては考えられず、ひとたび社会に出ると否応なく様々な年代の人たちと協働していくことになる。単純に年齢で区切られている学校制度には、どこか違和感がある。

そうしたことをひっくるめて、やはり現代の学校教育を取り巻くシステムは、目には見えない人民統制メカニズムとして機能しているように思えてくる。そして、形を変えて、似たような人民統制メカニズムが企業社会においても見られる。

こうした目には見えない社会的な力とそのメカニズムに気づいていた(気づいている)学者の書籍や論文や引き続き読んでいきたいと思う。このテーマには絶えず自分の関心があるようだ。フローニンゲン:2019/1/16(水)20:15

No.1581: A Path for Moonlight

It represents a path for moonlight, which extents somewhere far away. Groningen, 17:19, Thursday, 1/17/2019

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