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3528. 遊び心について


時刻は午後の六時に近づきつつある。もう少ししたら入浴をし、夕食を摂りたい。

今日はこれまでのところ、とても充実した一日だったと言える。早朝に予期していた通り、今日という土曜日が、一つの大きな充実感に包まれていたと言える。

来月末に出版されることになった『リーダーシップに出会う瞬間』という書籍の原稿のレビューも順調に進んだ。明日にもう一章分、明後日にもう一章分のレビューを行えば、修正作業は完了となる。発売まであと一ヶ月ほどだ。

午前中にふと、今後仮に博士課程に進学し、それを修了したからといって、教授になる必要はなく、博士課程で身につけた事柄を全く違う領域で活かしていくのが自分らしいように思っていた。

学術機関における博士課程でのトレーニングは、極めて特殊な知的鍛錬がそこでなされる——少なくとも欧米のそれなりの大学の博士課程では——。そうした知的鍛錬の過程の中で培われた事柄を、学術的な世界の外で発揮することに関心を示している自分がいる。

今後、自分が博士課程に進学することがあれば、それは自分の関心を強く引く主題を純粋に探究したいためであって、決して大学教授になるためではない。そうしたことを改めて考えていた。

今日の作曲理論の学習では、調性を脱却した作曲技法について学んだ。一つには教会旋法があり、もう一つには十二音技法がある。

両者は共に興味深く、近々実験的にそれらの技法を活用した曲を作ってみようと思う。特に、十二音技法については前々から気になっていた手法であるため、それを活用した実験が今から楽しみである。

理論書の中に、十二音技法の活用ステップが書かれており、それに沿って短い曲を作ってみることを意識する。十二音技法では、ハーモニーに工夫を凝らすことが難しいので、その代わりにメロディーやリズムの工夫をしていく必要がある。

ただし、最初からそうした変数に対して複雑な工夫をしていこうとするのではなく、本当にシンプルな工夫を少々加えることにする。そうした実践を積み重ねていけば、徐々に十二音技法に慣れていくだろう。

とはいえ、私は十二音技法で作られた無調の曲をあまり好まないので、この技法を活用した曲を多く作ることは考えていない。ただし、私がまだ聴いたことがないだけであって、十二音技法で作られた曲の中に感銘を受ける作品が存在しているだろう。そうした作品にひとたび出会うことができたら、そこからは十二音技法をより積極的に活用していくかもしれない。

十二音技法について学びながらふと、遊び心はとても大切だが、技術がない状態で遊び心を作曲の中で発揮しようとすると、おかしな響きになってしまうことが多いことに考えを巡らせていた。これは当然自分の修練不足から起きている。

遊び心を真に発揮するためには、その分野における熟達が必要だ。また、スポーツにせよ、芸術にせよ、その他もろもろの仕事において、遊び心の中にその人の個性のようなものが垣間見れるように思う。

心というのは唯一無二の存在であるから、「遊び心」もその人固有のものだと言えるだろう。スポーツや芸術において感銘を受ける瞬間は、そうした遊び心が発揮されている瞬間だと言えるかもしれない。

そこに、その人がこれまで積み重ねてきた経験の全て、知識と技術の全て、さらには人格までもが滲み出すように思えてくる。

夕食後に参考にするテレマンの曲には、どこに彼の遊び心が隠されているだろうか。それを見つけるのを楽しみに作曲実践を行う。フローニンゲン:2018/12/15(土)18:08

過去の曲の音源の保存先はこちらより(Youtube)

過去の曲の楽譜と音源の保存先はこちらより(MuseScore)

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