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3459. 勉強会の意義:私たちを呼ぶもの


数十分ほど前に、協働者の方たちとのオンライン勉強会を終えた。今日から四回にわたって、発達心理学者のスザンヌ・クック=グロイターの重要な論文を読み解いていく勉強会が開始した。

勉強会を終えてみての率直な感想は、勉強会を行って良かったというものである。英語の論文を読むことは、参加者の多くの方にとって馴染みのないものであったようなのだが、それでも皆さんが自分なりの気づきや発見、さらには質問事項を勉強会の中で共有してくれたことは有り難いことであった。

英語の論文を読むことに対して難しさを感じるというのは、実は内容理解よりも、そもそも文章の読み方の問題であることが多いため、その点についても勉強会の中で言及した。

論文や書籍を読む有効な方法があるにもかかわらず、とりわけ日本の教育においては、論文や書籍の読み方を教えてくれることはほぼ皆無であることはやはり問題だろうと思う。

成人教育についてはこれからますますその重要性が叫ばれ、実際に様々な動きを各企業や組織が見せはじめているが、私たちの知性——さらには感性も——を大いに育んでくれる読書の方法を多くの成人が習得していないことは問題であろう。

仮に書籍や論文の文字が読めたとしても——表面的なリテラシーがあったとしても——、書籍や論文を深く読み解いていく深層的なリテラシーがなければ、文献が自己を真に深めてくれることはないだろう。

今日の勉強会を終えてみて、二週間後の次回の勉強会が楽しみであるのと同時に、近い将来にまたオンラインゼミナールを開講したいという気持ちも芽生えた。その際には、成人発達理論に関する英語の論文に基づく内容にしたい。

取り上げたいと思う論文はすでに頭の中にあり、ゼミナールの構成も大雑把に考えているのだが、今は諸々の理由からそうしたことを行う時期ではないと考えている。ただし、近い将来にそうしたオンラインゼミナールを開講できればと思う。

今日はこれから、再度一時間程度の時間を取って、作曲理論の学習をしていく。とにかく今は作曲理論の学習に集中する。

起きてから寝るまで作曲理論のことが頭の片隅に絶えずあり、実は仮眠の最中や風呂に入っている時に、脳内で音符を並べる現象が最近よく出現する。

来年の春を迎えるまで、作曲理論の基礎を徹底的に固めていく。今日の勉強会でも改めて気づいたが、理論を深く習得することが、どれほど深い気づきや発見を私たちにもたらしてくれることか。

理論は感性の障害物なのではない。仮に障害物として機能しているのであれば、それは理論の習得が全くもって未熟だからだ。

理論に真に習熟していくと、理論を学ぶことでしか開かれない感性が開かれる。理論を蔑ろにする人は、実践だけを強調する傾向にあり、そうした人たちが行っている実践を見てみると、実践とは言えないような中身のないことを行っている傾向にある。まさに私がこれまで感覚だけに頼って600曲作ってきた実践のように。

確かに、それらは意味が全くないものであったとは言えない。むしろ、それは計り知れない意味を持っているものであった。

だが、今から思うのは、仮にそうした実践を理論の学習と並行して行っていれば、あるいは学習した理論をもとにそうした実践を行っていれば、作曲技術はより高度なものになっていただろうということだ。

一にも二にも理論の学習。寝ても覚めても理論の学習。

もしそうした学習ができないのであれば、私たちにとってそれは嬉しい知らせを意味する。端的には、そうした学習ができないのであれば、その分野には呼ばれていないのだ。

その分野を極めていくことはその瞬間に諦めてしまえばいい。本当に私たちを呼ぶものは、そう簡単に諦められるものではないのだから。フローニンゲン:2018/11/29(木)15:15

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