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3295. 印象的な二つの夢


今朝は六時を少し過ぎた頃に起床した。今は午前七時を迎えようとしているが、辺りは真っ暗のままである。

昨日から随分と冷え込むようになり、日中の最も気温が高くなる時を除いて、ヒーターをつけていた。就寝前にもヒーターを入れ、室内を暖かくしながら眠りについた。

今朝方の夢について今思い出している。大きく分けると二つの夢を見ていた。

一つは、小学校時代に通っていたサッカースクールのグラウンドで、友人たちとサッカーに興じていた夢である。双方のチームの力が拮抗するように編成をしたにもかかわらず、試合が始まってみると、私たちのチームは随分と劣勢だった。

試合が始まって比較的早い時間帯に、すでに四点ほど点を取られてしまった。チームの士気が随分と下がっていることを感じた私は、ここで得点を入れる必要があると思い、相当強引ながらも、一点をもぎ取った。

すると、そこからチームは息を吹き返したように士気が高まり、試合が随分と面白くなっていった。終始シーソーゲームが続き、最後に私たちのチームが立て続けに得点を決めることによって、結果は11対10でこちらのチームが勝利した。

勝利の喜びを味わった瞬間に、今いるグラウンドが高校のグラウンドに変わった。そこでも私はサッカーをしていたが、その時のメンバーは高校時代の友人たちだった。

この試合をグラウンドの片隅で見ていたのは、高校時代のある体育教師だった。試合が終わると、私たちはその教師の話を聞きにいった。

その教師は随分と権威的な話し方をするものだから、私は声を荒げて、その教師を罵った。単に罵るというよりも、何も反論ができないぐらいに理詰めでその教師を罵倒し続けた。

その教師は唖然としたままその場に立ちすくんでおり、その姿を見ながら私はその場を後にした。その場を後にしながら、教職という社会的に見て極めて重要な職業に就いている多くの教師の未熟さに絶望的な気持ちになった。

だがそうした思いとともに、そうした未熟な教師から受けた数々の心の傷を乗り越えることで強靭な精神が形作られていくこともあり得ると思った。実際に自分はそうした人間だということにその時に気づいた。

しかし、生徒の心に傷を残し、生徒が持っている可能性を抑圧するような教師の存在は社会的には害悪なのではないか、ということを絶えず考えていた。そこで夢の場面が変わった。

次の夢の場面では、私はカリフォルニア州の大きなショッピングモールにいた。そのショッピングモールは変わった作りになっており、構造が少々複雑であった。

地図を見てもどこからどのように目的地に行けばいいのかわからなかった。ちょうど私は買い物を終えたところで、ショッピングモールに併設されている駅に向かおうとしていた。

列車の切符を近くに置かれていた機械を通じて購入したのだが、肝心の駅の場所がいまいちよくわからなかった。厳密には、駅の場所はなんとなくわかるのだが、そこへ行く道筋がわからなかった。

地図を再度確認し、おそらくこの道を行けば駅にたどり着くだろうという直感を頼りに歩き始めると、ショッピングモールの高層階に到着した。そこはとても薄暗く、地下鉄のプラットホームの雰囲気が漂っていた。

見ると私の直ぐ近くに、巨大な滑り台があり、滑り台の終着地点を眺めると、かすかに駅のプラットホームらしきものが見えた。私はその滑り台を滑っていくことを決意し、ゆっくりと滑り始めた。

すると後ろから、威勢のいい声が聞こえてきた。耳を傾けると、英語で「学校教育よさらば!」と叫ぶアメリカ人の若者が滑り台から勢い良く滑り落ちてきた。見ると、彼は高校生ぐらいだった。

彼が通り過ぎて行った後に間髪を入れず、後に続く形で、二人のアメリカ人の高校生が「学校教育よさらば!」と叫びながら、嬉しそうな笑顔を浮かべて滑り台を滑り落ちてきた。私は彼らの邪魔になることを避けるために、一旦滑り台の脇の手すりにつかまって、彼らが滑り落ちていくことの邪魔にならないようにした。

三人の高校生男子が滑っていく背中を眺めていると、この滑り台を滑ることは、高校を中退することの儀式なのだと知った。それに気づいたとき、自分自身が学校教育からの呪縛から解放されたのは20代の半ば、あるいは30歳を前にしてのことだったように思った。

一方で、現代人の多くは成人になった後も学校教育の呪縛から抜け出せていないことに気づかされた。そのようなことを考えながら、若くして学校教育から脱却していった彼らのことを再度思った。

彼らは高校中退という道を取ることでしか学校教育の呪縛から解放されなかったが、そもそも学校教育が私たちを抑圧するということそのものがおかしな話ではないか。そうした考えを持ちながら、私も滑り台を最後まで滑り落ちた。

するとそこには、ヒスパニック系の男性が立っており、見ると彼は物乞いのようだった。彼の横を通り抜けようとした際に、私の真ん前に立ってカネをせがんできた。

私は、物乞いの男性が手に持っている缶にカネを入れるふりをした。すると、あたかも本物のお金が缶に入ったような音が鳴り、その物乞いは満足そうな表情を浮かべていた。

その表情を見ながら私は足を進めてプラットホームの方に向かおうとしたら、急に光が差し込んできて、そこは結局さっき自分が買い物をしていた店につながる広場であることに気づいた。

そこで夢から覚めた。フローニンゲン:2018/10/21(日)07:29

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