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3288. 今道友信氏の『美について』より


今朝は朝焼けがとても綺麗だった。空に浮かんでいる雲が薄赤紫に輝いていて、その光景には恍惚とさせる何かがあった。刻一刻と色彩を変えていく雲を眺めながら、午前中の仕事に取りかかっていた。

今日は昨日に引き続き、和書を読んでいた。昨日は、森有正先生の日記を読み、今日は今道友信氏の『美について』を読み進めていた。後者の書籍については、過去に何度も目を通しているのだが、今日も考えさせられることが多々あった。

今道氏の説明を読みながら興味深く思ったのは、孔子の芸術哲学において、芸術が学問以上に高い位置を占めていたことだ。とりわけ、言語芸術(詩など)は象徴の力によって、定義することのできない事柄、つまり学問では分け入って行くことのできない事柄に光を当てていくことができるとしている。

これはハーバード大学教育大学院の教育哲学者キャサリン・エルギン教授が述べていることにつながる。芸術認識は、科学的な認識とは異なるものがあり、認識論の観点からも、そこに芸術の一つの価値がありそうだ。

科学では認識することのできないものを芸術を通じて認識していくことが可能であるという点に、芸術の意義を改めて見出す。この点は、自分の実生活を振り返ってみると非常に納得がいく。

先日改めて、教育哲学の中でも、芸術教育の哲学に焦点を絞って探究を進めていこうと思った。そう思った矢先に、“The History and Philosophy of Art Education (1970)”という書籍が届いた。

本書は近日中に初読を開始しようと思っている。この書籍は、西洋の芸術教育の歴史と哲学に焦点を当てており、その根源にはプラトンの芸術教育哲学がある。それを学ぶことに並行して、ぜひとも孔子の芸術教育哲学の理解も深めていきたいと思う。

プラトンも孔子も、教育における音楽の役割を強調していた。孔子はまさに、「詩において興り、楽において成る」という言葉を残しているように、言語芸術によって超越的な認識能力が喚起され、音楽によって人間は完成すると考えていた。私自身が音楽を愛するということも相まって、二人の芸術教育哲学は強い関心を引き起こす。

両者の教育思想は個人に対する教育のみならず、社会的な教育までも見据えたものだった。今道氏が指摘するように、意思に関わらず聞こえてくる音楽の調性が、無意識のうちに一般大衆の性格形成に影響を与えるという社会心理学的な作用を見過ごすわけにはいかない。

詩と音楽、そして芸術には、どうやらこれまでの自分が考えていた以上の社会的な意義と機能があることが見えてくる。今道氏の美学、さらには芸術思想についてより深く理解したいと思うようになり、今度日本に一時帰国した際には、今道氏の書籍を何冊か持って帰ろうと思う。フローニンゲン:2018/10/19(金)11:20

No.1356: Waves at Twilight

It’s 4:30PM now. Looking at the glowing sunset, I’m feeling a calm emotional energy that looks like waves. Groningen, 16:29, Sunday, 10/28/2018

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