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3085. 「使命」:この世界への奉仕と永遠への扉


時刻は午前九時に近づきつつある。まだ雨が降り始めていないが、空一面にうっすらとした雲が見える。

先日スキポール空港からフローニンゲンに戻ってくる列車の車窓から、渡り鳥の群れが空を舞っている光景を見た。ちょうど今朝も同じような光景を書斎の窓から見た。これから鳥たちは暖かい地域に移動していくのかもしれない。

昨日は、本当に柔らかい秋の空が広がっていたことを思い出す。その時の私は、「ミルクコーヒーが広がるような空だ」と思っていたことを思い出す。今日はそうした空とは違う表情が見える。

また今日は風が一切吹いていない。そこからふと、仮に人生が全く動いていないように思えても、私たちの人生は絶えずどこかに向かって動き続けているということに思いを馳せていた。

人生は本当に静かに、そして着実にあるべき場所に向かって流れていく。

来年の今頃は、私はこの世界のどこで何をしているのだろうか。そんなことを思う。

仮に自分の人生が私をアメリカにいざなえば、私はアメリカにいるだろう。また、仮に人生が私をスイスにいざなえば、スイスにいるだろう。

どちらの国で生活をすることになったとしても、それはこの人生の導きである。その導きに従ってこれからも生きて行く。

今のところ来年の選択肢はアメリカかスイスに住むことである。現在の関心事項を深く探究する上ではそのどちらかの国が望ましい。

仮にアメリカの大学院に進学することになったら、そこで博士課程まで進むかもしれない。博士課程の進学についてはとにかく慎重に検討をしたい。

少しでも疑義があれば、博士課程になど進学してはならない。四年か五年をかけて継続的に探究するに値するテーマを見つけ、博士論文を書くことの意義が明確になった時点で初めて博士課程に進学するようにする。

仮にアメリカで博士号を取得したとしても、その後私はアメリカに留まることはないように思う。確かにアメリカの西海岸は気候的な意味では非常に住みやすかったが、文化的な意味においてはやはり欧州で生活をすることが自分には望ましいように思う。

来年アメリカの大学院に戻ることになり、その後博士課程に進学することになれば、再び米国生活は長くなりそうだが、必ず欧州の地に戻ってきたいと思う。そしていつの日か、日本の地で生活をすることができればと思う。

それは当分先のことになるだろうが、母国に戻る日がいつかやってくれば幸いだ。それも人生の流れが決めることだろう。

私の意思を超えたものが人生の流れを生み出し、それが私を導いていく。その導きに従ってこれからも生きて行く。

これからどのような場所で生活を営むことになったとしても、私は自らの使命を全うしたいと思う。各人にはこの世界で果たす固有の役割が与えられており、私にもそうした役割があるはずだ。

今は徐々にその役割が明確なものになりつつある。「使命」という言葉をよくよく観察してみると、「命を使う」と解釈できることに気づいた。

使命を果たすというのは、自らの生命力を使ってこの世界に奉仕していくことなのかもしれない。自らの生命を全て使い果たした後には、きっと永遠の世界が開けてくるにちがいない。

逆に言えば、永遠の世界に参入するためには、自らの生命を使ってこの世界に奉仕し続けることが要件になるように思えてくる。私たちはこの世界に仕え、そして自らの生命を使う形で世界に奉仕するとき、永遠の世界への扉が開かれるのではないだろうか。フローニンゲン:2018/9/6(木)09:14

No.1302: An Inner Bee

Everybody has an inner bee that is very diligent.

However, we have to help it to fulfill its role; such support is essential especially in this modern society. Groningen, 16:01, Tuesday, 10/9/2018

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